短中編
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これも聞いた話だ
千歳を呼び出したのは、警視庁の松崎という刑事だった
松崎は出された茶を一口すすり、話始める
「さて…君は、昨日の事件のことは知っているかい?」
『…例の傷害事件、ですか』
「あぁ、話が早いね。使われた凶器は現場に残されていたこのカッターナイフなんだが、君の指紋だけが残っていたよ」
取り出されたのはポリ袋に収まっている血の付いたカッター
持ち手のステンレスが酷く傷付いており、刃こぼれが目立つ
『…昨日から見当たらないと思ったら、落としていたんですね』
いつも制服のポケットに入れて持ち歩いているものだ、見間違うはずがない
事件当日も直前まで手元にあったことも確かだ
「そうか…そうなると、君がやったのか?」
『…分かりません』
「それは、どういう…?」
『記憶が、ないんです。気が付いたときにはあの人たちが倒れていました。でも状況からすれば…私がやったんでしょうね』
「…突発的なものか…刺された少年たちと面識は?」
『…ありません、でしたけど…道ですれ違ったときに肩がぶつかって。私は気にしなかったんですが…向こうはそうじゃなかったみたいで…』
「絡まれた、と」
『はい…その時私、家の事情もあって精神的に参ってて…何も言う余裕がありませんでした。それで…』
制服の袖を肘まで捲る
「!…酷い痣…」
それまで口を開かなかった生徒指導の女講師が息を呑んだ
『これ以外にも、何ヵ所か残ってます…私が覚えているのはそこまでです。その後は、ご推測の通りだと思います…』
静かに袖を戻す
淡々とした態度は相変わらずだ
「…その、家の事情…と言うのは、聞いてもいいか?」
『…親には、見放されています。父はすでに家を出ていますし、母は…もう私を我が子とは見てません』
「…それは、辛いね」
『もう、慣れましたから。ただ、時々虚しくなるだけです』
悲観することもなく話す千歳に、二人は目頭を押さえる
「君は…」
『かわいそうなんて、思いますか?私は同情なんていりません。被害者振るなんて、あの人と同じですから。だから家にも学校にも、居場所なんて無くてもいいんです』
言葉としては何も返されなかった
「…この事件のことは、正当防衛として上に話をつけよう。それ以前の暴行の件も含めて、少年達に逮捕状を申請する」
「そうですか…」
千歳に課せられた罪は、真実から鑑みて取り消されることになった
「文月」
学校から去る刑事に女講師が連れ添ったのを死角から見送り、一人残った千歳に声をかけた
『盗み聞きなんて、悪趣味だね』
「ごめん、やっぱ気になってさ」
『…御幸君は…ううん、なんでもない
』
「文月…」
必死に、一人で立とうとする彼女がか弱く見えた
誰にも頼らないようにと、寄り掛かることを恐れているような気さえする
『御幸君…戻ろっか』
「…そうだな」
手を差し伸べたとしても彼女は掴もうとはしないだろう
せめて千歳がそれを望んだときはすぐにその手を握ろうと思った
しかし、その決断は俺を後悔させるものになった
何気ない登校風景
眠気を誤魔化すように上を見上げたとき、信じ難いものを視界に捉えた
「(え…?)」
屋上に動く人影、それはフェンスを超えて重力に従って落下した
その場は大きな悲鳴と共に騒然となる
俺は冷静さなどもう持ち合わせていなかった
「千歳!っおい、しっかりしろ千歳!!」
何でこんなことをしたのか、こんなになるまで溜め込んでいたのか、聞きたいことは言葉になることはなく
代わりに視界が霞んで滴が落ちる
サイレンの音も救急隊員の声も遠く聞こえた
搬送される間、俺はずっと千歳の手を離さなかった
もっと早くに、この手をとっていればこうはならなかった気がしてならない
数日前の自分を本気で殴ってやりたい。どうして躊躇しているんだと
失うかもしれないという恐怖と、後悔に苛まれながら、集中治療室のランプが消えるのを待った
廊下に居るのは俺と担任の教師だけ
連絡は行っているはずの、千歳の母親はまだ現れないでいた
静かな足音が近付くのと、手術中のランプが消えるのはほぼ同時だった
担任の反応から察するに、現れた足音の主は千歳の母親だ
治療室から出てきた医師に娘の容態を尋ねる姿は、普通の母親そのものだったが
落ち着き過ぎている
「一命はとりとめました。ただ、目覚めるかどうかは本人の生きたいという意思にかかっています…昏睡状態が続くと、目覚める可能性は下がるでしょう」
「…そう、ですか」
俺は千歳の生存に安堵する傍ら、この人に不信感を抱かざるを得なかった
間接的に彼女の口から聞いた話が事実だとしても、こんな状況なら何かしら変わるものだと思っていた
そんな認識は甘かった
仕事を抜け出してきたらしく、少しだけ席を外してくれと頼まれ病室を出る
俺は彼女が千歳に何と声をかけるのかと、扉際に寄りかかって確かめる
「馬鹿な子…学校の屋上から飛び降りるなんて。どうせなら死にきってくれれば保険金なり降りたのに、本当に悪運の強い…」
それが、彼女の本心なのだろう
彼女が去った後、俺は千歳の傍で半日過ごした
手を握って祈ることしかできないが、少しでも早く千歳の意識が戻るように
「千歳…お前が起きたら、言いたいことあるんだ。だから…早く目覚ましてくれよ」
返事は当然無い
時刻は12時を指している
そろそろ戻らなければ昼食を食いっぱぐれたまま部活に向かうことになる
「また明日来るからな、千歳」
無機質な寝顔を見届けて、病室を後にした
涙に暮れても君が好き
(―俺が居場所になるから)
((本当は望んでた))
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