短編

□声の色
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 名前、というのは結構特別だと思う。親から呼ばれる名前と、友人から呼ばれる名前、好きな人に呼ばれる名前。
 同じ名前の『音』だと言うのに、なぜだか違う響気があるような気がするから不思議だ。
「おはよう、彰子(あきこ)
「おはよう、昌浩」
 同じクラスの安倍くんが、幼馴染みである彰子ちゃんを呼ぶ。その声の柔らかさと晴れやかな笑顔に、友人と並んで歩いていた私は思わず隣の友と顔を見合わせた。聞いているこっちが照れるような、甘やかささえある、ような気がする。
 いつも優しげな声音(こわね)で話す彼だけど、彰子ちゃんに向けるそれは、また違った意味が含まれているようだ。
 今日もお熱くてらっしゃるわァ。隣の友人が赤くなった頬に手扇で風を送りながら呟いた。そうだね、と頷いた私の頬も真っ赤になっていることだろう。
 なんせ安倍くんは顔が、良い。小学校から一緒の私からみても、かっこいいなぁと思うのだ。なんというか、昔は愛嬌のある顔立ち、という形容詞が似合っていたが、今の彼は、優しい性格が滲むような、柔らかで綺麗な顔立ちをしている。彰子ちゃんが隣にいる時は、特に甘さまで加わるのだから、決して恋はしないけど、十分心臓に悪いのだ。
「仲良しだよね…あの二人」
「仲良し…で、括っていいのかなぁ…仲良すぎじゃない?」
 確かに、と友人の言葉に頷いた私は、風に遊ばれた彰子ちゃんの星空のような黒髪が、さらさらと和流(せせらぎ)のように流れるのを見つめていた。その動きが、大きく円を描くように動く。
「おはよう、みんな」
「おはよ、彰子ちゃん」
 薫風に似た、爽やかな声がする。暖かくて柔らかで、それから、高いのに落ち着くような声。彰子ちゃんのぱっちりとした目が柔らかに緩められ、桜の花弁のような唇が笑みを持って動き、頬が薔薇色になっている。同じ高校生だと言うのに、なんでこうも彼女は美しいのだろうか。思わず、ほぅ、と感嘆の息を吐き出した。
 振り返った彼女に挨拶を返すと、不意に吹いた風が、花弁を彼女の髪に乗せた。
 髪に花が、と口を開きかけた私たちの目の前で、安倍くんの指先が彼女の髪に触れないよう、花弁を摘んだ。それから、ふ、と唇で息を吹きかけ、鮮やかな色の花弁を吹き飛ばした。
「昌浩? どうかしたの?」
「なんでもないよ。今日は暖かいなって」
「そうね」
 花も綺麗だわ。彰子ちゃんの言葉に、安倍くんは相槌を打ちながら、昇降口へ向かって行った。
「なんか、すごいの見ちゃった」
「だね」
 顔を見合せた私達も、授業に遅れないように歩き出した。あれでまだ付き合ってないんだからすごい、と友人が呟いた言葉に頷きながら、早く付き合ってくれないかなと零してしまった。
「気持ちは分かる」
 心臓に悪いもんね、と呟いた友人の声に、赤い頬を冷ましながら頷いた。

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