私の養父はR・A・B

□賢者の石
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 声にならない悲鳴をあげて、飛び起きた。
 全身ぐっしょりと嫌な汗をかいている。
 重たく、浅く、整わない呼吸を何とか繰り返し、額に浮いた汗を拭った。ひゅう、ひゅう、と狭い音が喉を行き来して、ゆらり、視界が揺れる。
 ゆっくりと周囲を見渡せば、部屋の中はまだ暗い。太陽が出てないんだ、とぼんやり思って、枕元で丸まっている白い生き物に手を伸ばした。

「ん? なんだ、どうした?」

 大丈夫か? と白い生き物は前足を器用に動かして、少女の頭をそっと撫でる。少女は四つ足の生き物をそっと腕に抱えると、ふかふかの毛並みに頬をくっつけた。
 それは、大きな猫のような体驅をしている。だが、猫でも犬でもない。ましてや他のどんな動物とも違う。こんな生き物は、誰も見たことがないだろう。額には紅い模様があって、それが花のように見える。耳は長く後ろに流れて、首周りを、まるで勾玉の首飾りのような形の突起が一巡している。目は丸く、透き通ったタ焼けの色。可愛げのある姿かたちをしているが、これは紛れもなく化け物なのだ。
 化け物、妖、異形、妖、化生の物、物の怪。いろいろな呼び方があるが、少女はとりあえず物の怪のもっくんと愛称で呼んでいる。だが、当の物の怪はそれがあまりお気に召さないらしい。そもそも物の怪と言うのは恨みつらみをもって死んだ人間の霊であって、自分のような異形の妖とはまったく別物なのだ、というのがもっくんの言い分だ。対する少女は、「いいじゃない、別に、たいした違いじゃないもの」と取り合わないので、物の怪は不本意なからも「もっくん」と呼ばれている。
 長い尾を揺らしていた物の怪は、自分を抱きしめている少女の腕を尾で撫でると、布団の中に戻るよう促す。

「おい、彰子」
「うん」
「このままだと風邪をひくぞ」
「……うん」

 子どものように高い声に促され、彰子と呼ばれた少女は物の怪を抱えたまま寝転がる。もうすっかり、眠れるような気分では無いのだが、風邪でもひいてしまっては、イギリスにいる養父に要らぬ心配をかけてしまう。

「もっくん、あったかいね」
「もっくん言うな……いいから目を瞑れ」
「……うん」
「大丈夫だ。そばにいるから」
「……うん」

 そっと目を閉じた彰子の目元を撫でてやると、目一杯入れられていた体の力が、だんだんと抜けていくのが分かる。
 苦しげに歪められた表情が、全てを物語っている。
 彰子は、幼い頃に見た光景を悪夢として見ているのだ。――両親と最愛の兄を喪った、あの光景を。
 今よりもずっとずっと幼い頃の出来事だというのに、彰子は決して忘れることは無かった。否、幼かったからこそ、脳裏にハッキリと焼き付いて離れないのだろう。
 緑の閃光が、生者を貫いた、あの光景を。

 どれくらいそうしていたかは分からないが、ようやく静かで控えめな寝息が聞こえてきた頃に、物の怪は小さく嘆息した。

「…………眠ったか?」
「ああ」

 暗闇から、ゆらりと神気をまといながら現れた長身の男に、物の怪は短く返す。腰の辺りで一つに括った鳶色の長い髪と、黄褐色の瞳をしている男――六合は物の怪を抱えたまま眠る彰子を見下ろし、その枕元に腰を下ろした。

「そろそろだな」
「ああ」
「着いていくのか」
「一人にはしない。約束したからな」

 物の怪の返答に、六合はそうか、とただ一言口にすると、彰子の頭を眠りを妨げないよう、注意を払いながら静かに撫でる。

「……行かなければならないのか?」
「ああ。彰子が決めたことだ」

 物の怪は六合の問いに答える。
 すると、暗闇から神気を纏った人影が現れる。肩に付かない位置で切りそろえた漆黒の髪に濡れたような黒曜の瞳を持つ女性。六合と同じ十二神将の一柱、勾陣だ。
 勾陣は壁に寄りかかると彰子と彰子の枕元にいる物の怪に視線を向けて口を開いた。

「だが……入学さえしなければ、透子(とうこ)は、この子の母親は、父親は、兄は、死ななかったはずだ。家族を失うこともなかった」
「だが、入学しなければ、この子には会えなかっただろう」
「それはそうだが……」
「安心しろ、今度こそ護ってみせるさ」

 もう二度と、魔法族に奪わせはしない。物の怪の透き通ったタ焼けの色の瞳が、剣呑な光を孕んで煌めいた。
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