彼岸桜若しくは、千本彼岸

□望ノ実
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 夏休みはそれぞれがそれぞれに忙しい日々を過ごしていた。
 シリウスとレギュラスは各方面への挨拶回りと、日本の魔法魔術学校の見学で日々を費やしていたし、夏期公開が終われば今度は、向こうの魔法界で仕事をするらしいシリウスの就活を進めていた。
 彰は父方の祖父と魔法の研究を進めていた。
「でも学校の外で魔法は使っちゃいけないんでしょ?」
「俺じゃなくてじいちゃんが使うには問題ないだろ?」
「そうだろうけど……」
「俺だってやれることはやっておきたいさ」
 とは、夏休み初めに彰が言っていたことだ。それならば止めるまい。と彰子はそれ以来、口を出していない。
 千恵は夏期公開が終了して、レギュラスとシリウスがイギリスへと帰ってからも逗留し、祖母から花の手入れを学んでいた。なんでも薬草学が壊滅的に弱いらしく、せっかくだからと植物の育てかたを覚えて活かすつもりらしい。祖母もガーデニング仲間、と言うよりガーデニングの弟子が出来たようでとても喜んでいた。
 さて、一方の彰子はと言うと、
「おい、大丈夫か?」
「うぅ、きもちわるい」
 端的に言えば寝込んでいた。
「視えるようになってから、ここんとこ、毎日言ってるよな」
「なんかもう、周りのみんなが心配してくれるのが目に視えて分かるから申し訳ないの半分、情けないの半分って所かな……」
 うえ、と嘔吐きながら彰子は布団の上で言う。そんな妹の様子を見ながら、彰は愉快そうに笑う。
「なんか同時に耳も良くなったから、情報量が多すぎてパンク状態っぽいな」
「ひ…他人事だと思って……うえっ」
「実際他人事だからな。ワールドカップの観戦招待来てるけど、その様子じゃ無理そうだな」
「サッカー?」
「クディッチ」
「誰から来てんの?」
「ドラコとロン」
「うー……あー……どっちも断る……兄さんは行くんでしょ?」
「まあ、誘われてるし、気になるし」
 そう、と頷いた彰子はそのまま苦しそうに顔を伏せる。喋るのもしんどそうだが、慣れてもらうしかない、とは祖父の言葉だ。
「今からそんなんで……学校は大丈夫かよ」
 彰の呟いた言葉が聞こえたのか、妹は力の入っていない手で彰の膝を叩いた。






 視え過ぎるのも良くない、と塞いでもらった目を使いたいと言ったのは、夏休みに入って少しした頃だった。両祖父はその言葉に一度首を傾げるが、ややあって「ああ」と声を発した。
「術は切れているが……無意識に自分で制御を掛けていたのか」
「兄さんが言うには」
「ふむ……恐らくまだ術を掛けられていると思うからこそだろう。ならば『術を解いた』という事実があれば良いのだろうな」
「なるほど?」
「だがなぁ……」
「じい様?」
「……彰子や、お前の力は年々強くなっているのだ。夢殿を易々と歩けること然り、精霊たちの力を借りること然り。恐らく術を解くことで、視えなかったものを視るだけでなく、聞こえなかったものを聞くだろう」
「はい」
「今までの百倍もの情報を一遍に頭の中に流れ込む……それでも術を解く方を選ぶのか?」
 父方の祖父の言葉に、彰子はゆっくりと頷く。
「精霊術を使うなら……私が精霊の奏者の素質を有しているなら、視るべきだと思いました」
「それが千年前の悲劇を繰り返すかもしれないのだぞ?」
「いいえ。私は……護るために、傷つけないために力を借ります。もう立ち止まらないって、決めたんです」
 彰子は真っ直ぐに両祖父の目を見つめる。暫くして安倍の祖父が鷹揚に頷く。それを見た四月一日の祖父は苦く笑う。
 得てして子どもというのは成長が恐ろしく早く、大人をも驚かせるほどに真っ直ぐで美しい。幼くして親を失い、幼さを嘆き、弱さを厭うた二人の孫は、急に大人に成らざるを得なかったのだろうと。大人によって大人に引き上げられてしまったのだろうと。哀しめばいいのか、成長を喜べばいいのか、昌浩と君尋はそっと目を伏せるのだった。
「彰子や」
「はい、じい様」
「レギュラスくんから渡されたものがあるだろう? 暫く前に」
 彰子はそっと首に下げた香袋を持ち上げる。その中のものを取り出して差し出せば、四月一日の祖父がそれを持ち上げる。
「これはお前のお母さんとばあ様、おばあさんが生まれてくる子のため、孫のために力を合わせて作ったものなのだよ」
「視え過ぎた目は陰陽師が、聴こえ過ぎた耳は魔術師が塞いだ。そして、彰子の力を少し抜いてこの石に封じた」
「視たいと言うなら、聴きたいと言うなら、この中の力も戻してやらねばの。均衡が崩れてしまう」
 両祖父の言葉を聞き、こくりと頷く。目を閉じて、という祖父の声に従い、彰子が目を閉じると、安倍の祖父が目の上に手を翳し、四月一日の祖父が耳を包む。じわりじわりと二人の体温が彰子に伝わり、耳が二人の血潮の流れる音を聞き分ける。
 目の上の手が避けられ、耳を塞いでいた手が離れていく。彰子がそっと目を開けると、チカチカと光るものや黒い靄、見えていた妖や見えていなかった雑鬼や妖精の姿が視界に溢れた。耳には風の音、外を走る車の音、人々の声や生活音、そして人成らざるものの声が一度に聴こえる。
 その結果。
「う、えっ」
 酷い目眩と頭痛による吐き気に襲われ、彰子は蹲る。音も光も、色も声も、明かりも影も、全てが鮮やかで、強く突き刺さってくる。ぐる、と胃が暴れる。
「彰子」
 四月一日の祖父が声をかける。込み上げる吐き気を押さえ込みながら、顔を上げた彰子に祖父はたった一言、無情に告げた。
「慣れろ」
 やっとの思いで彰子は首を動かした。




 胃が重たい。頭も重いし、体もだるい。吐き気はだいぶ治まったというのに、調子に乗って精霊や小妖、雑鬼達と夜通し話し込んでしまったのが原因か。
「熱だな」
 彰がクディッチのワールドカップへ向かう日、うんうんと唸る彰子の額には冷たく濡らされた手ぬぐいが乗っていた。手桶の水を取り替えながら、祖父の式神がため息をつく。
「大丈夫か?」
 首を横に振る。
「ま、知恵熱の範囲だろうしな……窒息しない程度に布団かぶって寝ちまえ」
 今度は首を上下に振る。
「視えるようになったからってあんまり周りに侍らすなよ」
「は……はべらすって……」
「違うのか? 今日の朝まで話し込んでたのはどこの誰だっけ?」
「わた、し、だけど、でも」
「だけども、でもも聞かねえよ。寝ろ」
「……おやすみなさい、騰蛇」
「おやすみ」
 もぞもぞと布団に潜り込み、穏やかに寝息をたてた彰子を見た式神は、周囲に目を配らせ、その眼光を鋭く煌めかせる。
「静かに寝かせろ。いいな」
 その冷たい黄金の双眸が宿す光は、彰子を見守る保護者のそれではなく、圧倒的な焔を操る闘将のそれであった。




 いつもなら兄と共に歩いているダイアゴン横丁だが、今年は重たい体を引き摺ってレギュラスと共に歩いていた。
「大丈夫です?」
「……うん……はい」
「大丈夫じゃなさそうですね……」
 ぐったりと椅子に座り込む彰子に苦笑が漏れる。学用品や教科書と共に用意するよう通知されていたドレスを買いに、洋装店へ来ていた。
「なんでドレス……?」
「なんででしょうねぇ」
「レジーは知ってるんですね」
「まあ」
「教えては」
「あげられないんです」
「ですよねぇ」
 はぁ、とため息が零れる。奥から店員が声をかける。どうやら頼んでいたウエストの調整が終わったらしい。彰子は呼ばれるまま試着室へと入り、ドレスを身につける。衣装、特に洋装に疎い彰子は全てをレギュラスに託していた。
 店員に着付けられたドレスはいわゆる藤色だ。柔らかな薄紫色のスカートの部分はさらりと広がっており、裾はレース刺繍があしらわれている。胸元は下品ではない程度に開いており、白い生地で作られている。白から薄紫色にグラデーションがかかったドレスに合わせ、白いレースの手袋と紫色の靴まで用意されている。恐らく身につけるとみられたのか、母の形見である翡翠の勾玉と同じ色の糸で刺繍が背中のリボンに施されている。
「ああ、よく似合ってますよ」
 ドレスを纏った彰子を見て、とろり、とレギュラスは微笑む。照れたように頬を染めて笑い、試着室に引っ込む。手早くドレスを脱いでレギュラスのそばへ戻れば、支払いが終わってしまっていた。彰子はギョッとしてレギュラスに代金を渡そうとしたのだが、
「これは僕からの誕生日プレゼントということで。毎年毎年贈れず終いでしたからね」
 もう何ヶ月も前ですが。と微笑まれ、財布を仕舞われてしまえば、何も言えなくなってしまう。ありがとうございます、と零すように言えば笑みは益々深まる。
 彰子とレギュラスは昼食を摂ろうと近くの店に入り、注文を済ませる。
「そう言えば、良かったんですか?」
「何がです?」
「クディッチのワールドカップ。レギュラス、シーカーだったんですよね?」
「ええ、そうですけど……誰から聞いて?」
「シリウスです」
「あー……」
「シーカーだったなら、好きなんですよね? クディッチ」
「大好きです」
 真顔で返すレギュラスにふふ、と笑い声を上げる。
「尚更、ワールドカップに行かなくて良かったんですか?」
「行きたかったです」
「どうして行かなかったんです?」
「千恵さんが」
「ちーちゃん?」
「行かない方がいいと」
「え?」
 思わぬ所で聞いた友の名と言葉に、彰子はぽかんと口を開ける。
「な、なんで千恵ちゃんが?」
「千恵さん、占星術が大得意らしくて」
「はぁ……」
「ワールドカップで一悶着あるから行かない方がいいと。ですので、泣く泣く兄上に譲りました」
「そうだったんですね」
 少しだけ頬を膨らませるレギュラスは本当にクディッチが好きなのだろう。拗ねた様子が可愛らしい。オレンジジュースを飲みながらレギュラスを見ていた彰子の耳に、シャラシャラと絹が擦れるような音が届く。それは耳元で囁く精霊たちの声だった。
『懸命ね』
「そうなの?」
『ええ……何だか嫌な予感がするの。みんなもそう言ってるわ』
「そうなんだ」
 こそこそとレギュラスに聞こえない声量で、水の精に返事を返す。初めはそれこそ普通の声量で話していたが、人々には視えていないと気付き、声量はかなり落とした。人の耳に届かなくとも精霊達は音を拾ってくれるので会話に支障はない。最近は精霊や妖達も彰子の様子を伺って、必要なことだけを声に出してくれる。
『もしかして、学校で起こることと関係あるかもしれないわね』
 風の精が話す言葉に、ぐふ、とオレンジジュースを吹き出しかける。無理やり飲み込めばゴホゴホと咳き込んでしまう。
「大丈夫かい?」
「ぅ、はい、大丈夫です」
 はぁ、と息を吐きながら彰子は風の精の言葉でハリーを思い起こしてしまった。トラブル吸引体質の彼が巻き込まれるのは、最早恒例と化して来ている。どうせ今年も何かしらに巻き込まれるのだから、今のうちに心構えだけはしっかりしておこう。
 どこかズレた決意を固めた彰子の意思など知らずに、レギュラスは運ばれてきたデザートに舌鼓を打つのだった。
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