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□beard
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事後の気だるく、甘ったるい雰囲気の中、アランが、俺を呼んだ。

「エリック」
「ん?」
「頼みがあるんだ」

めったに甘えてこないアランが俺に、頼み事をしてきたので、俺は嬉しくなってしまった。
今なら、どんな無茶な願い事でも聞いてしまいそうな自分がいる。

「なんだ?」
「あの・・・髭を剃ってくれないか?」
「髭?ああ、それくらいお安い御よ・・・って、え?今、髭を剃って欲しいって、言ったのか?なんでだ?」

想像もしていなかったアランの願い事に、俺は瞬きする。

「・・・痛いんだ。頬擦りされると」
「そんな、急に・・・」

「最初は、我慢できるかなって思ってたんだけど、ごめん・・・やっぱり、痛くて」
「あ〜・・・」

俺は、天井を仰ぎ見た。

つまり、これまでアランは言わずに我慢していた、と。
俺とて、アランに痛い思いはさせたくない、が・・・髭を剃るのは、ちょっと、な

「駄目、かな」

上目遣いで俺を見てくる。

く・・・可愛いじゃねぇか

だがしかし

俺が答えあぐねていると、アランは溜め息を零した。

「わかった・・・髭は剃らないでいいよ」
「本当か?」

助かった!と喜んだのも束の間、アランは、驚くべき発言をした。

「ただし、おれに頬擦りするの禁止、ね」
「えっ!」

アランは、俺を見て笑う。
まるで、ひとを誘惑する悪魔の如き笑みだ。

「そんな、アラン」
「どちらでもいいよ?髭を剃るんでも、おれに頬擦りするのを止めるんでも」

くぅぅ!

トレードマークの髭か
アランの滑らかな頬か

どちらを選ぶか。
そんなの決まっている!


「・・・わかった!剃ってくるから、ちょっと待ってろ!」
「焦らないでいいよ」

アランはにこにこ笑って、バスルームに向かう俺を見送った。

これも惚れた弱味だろうか。
俺は、ちょっと泣きたい気持ちで、剃刀を手に取った。

さようなら、俺の髭


鏡に映った自分の顔。
髭の無い自分の顔なんて何十年ぶりだろう・・・。

「あー・・・」

鏡に映った俺は、ひどく情けない顔をしている。
正直、この顔でアランの前にいきたくない。
しかし、いつまでも、ぐずぐずしていられない。
俺は、重たい足取りで、寝室に戻った。

寝室に戻ると、アランはベッドの上で雑誌を読みながら、俺を待っていた。

ドアの開く音に気がついて、顔を上げ、俺の顔見ると、雑誌を取り落とした。
そして、まるで悲鳴を押さえるように、両手で口を覆った。

「ほら、ご希望通り、剃ってきたぞ。・・・なんだよ、笑いたければ笑え」

不機嫌な声で言うと、アランはぶんぶんと首を振った。

「違うよ、エリック!どうしよう・・・」
「剃れって言ったのは、お前だろうが」

今更、剃ってしまった髭は、戻らない

「だから、違うって!・・・・・・よすぎ」
「は?」
「格好良すぎだよ、エリック!」
「ちょっ、アラン!」

シーツを蹴る勢いで抱きついてきたアランを慌てて抱き留める。

「・・・格好良いか?」
「うん。もちろん今までの君もハンサムだったけど、今の方が、もっと格好良い。
なんで、髭生やしてたのか、そっちの方が不思議なくらいだよ」
「それは、だな」

口篭ってしまう。

「あ、もしかして、昔の彼女に言われた、とか?」
「いや、違う・・・そうじゃなくて、その、俺は、この顔があまり・・・好きじゃない」
「えっ・・・どうして」

アランが不思議そうな顔をした。

「童顔、だろうが」
「え!そんな事ない!むしろ、今までが、おじさ・・・じゃなくて」
「アーラーン?」
「・・・・・・」
「今、何言いかけたのかな?ん?」

俺が半眼になると、アランは慌てた様子になった。

「あー・・・えっと、とにかく、髭剃ってくれてありがとう!でも、困ったな」
「なんで、お前が困るんだ」
「だ、だって!今まで、エリックに興味なかったひとが、エリックの事、好きになっちゃうかもしれないだろ?どうしよう」

本気で困った顔をするアランに、俺は、可笑しくなって、ぐいと引き寄せ抱き締めた。

やさぐれていた気分もどこかへ吹き飛んでしまう。

「ばーか。困る事ないだろ。俺が、好きなのは、アラン・・・お前だけなんだから」
「・・・エリック」

頬を染めたアランにキスして、俺は、遠慮なく頬擦りした。

翌日、会う人会う人に、理由を聞かれ、そのたびに、手が滑ってうっかり剃り落とした、
と説明する面倒な事態が、待ち受けているとは、この時の俺は、想像もしていなかった。


※ a beard・・・顎鬚

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