たとえ君が…

□優しい言動
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海の波で微かに揺れる船の廊下を静かに歩く。

大切に抱えるように持つバスケットの中には、紅茶のポットと、焼きたてのパンが入っていた。

シンへの差し入れだ、と言ってナギさんに渡されたもの。

昼食を取らなかったシンさんのことを思ったナギさんが、用意したものだった。

今シンさんは、自分の時間を削り取るように操縦場に付き切りだった。

島に行くまでの道のりは、本来なら三日あれば余裕でいけるらしい。

けれど、今の海域を急いで通り過ぎないと、夜には嵐がくるらしく、今の状態が生まれた。

☆☆
(シンさん、大丈夫かな……)

リュウガ
『三日後に行く島が決まったぞ!』

頭の中に、船長の声が思い出される。

昼食の時間が終わりを告げる頃、食堂のドアをバンッと開けて入ってきた船長。

豪快に笑いながら食堂に入ってくる船長のあとに続くようにして、海図を調べていたシンさんも食堂に入ってきた。

船長が意気揚々と今から行く島について説明している間も、シンさんはどこかめんどくさそうに船長の話を聞きながら、窓の外を見ていた。

☆☆
(いくら船長が言い出したとはいえ、目的は私のことなんだし…)

はぁっとため息をつきながら、甲板に続く階段を上る。

☆☆
(シンさんに謝らなきゃ。迷惑かけてすみませんって…)

気合を入れるように、ひとつ息をついてから、バスケットを持ち直した。

☆☆
「…シンさん!」

操縦場で舵をとっていたシンさんに、大きな声で呼びかける。

私の声に気づいたシンさんが、その場でゆっくりと振り返った。

眼帯をしていない、綺麗な左目が、じっと私を見つめた。

宝石のように輝くシンさんの瞳に、私は一瞬、思考が停止した。

すぐにハッとなって、バスケットを持ちながら、シンさんに駆け寄る。

☆☆
「シンさん、お疲れ様です。これ、ナギさんがシンさんにって」

シン
「ああ、そこに置いといてくれ」

☆☆
「はい」

一体どこから持ってきたのか、舵の傍らには、シンさんの持ち物が置かれた小さいミニ机が置かれていた。

置かれた一冊の本をそっと隅に置いて、空いたスペースにバスケットを置いた。

☆☆
「あ、中身はどうしますか?出しときます?」

シン
「…いや、いい。落ち着いたら、自分でやる」

☆☆
「じゃあ、このままにしておきますね」

小さくシンさんに微笑んでから、視線をそっと海に移した。

太陽の光が、海の水にキラキラと反射している。

聞こえてくるのは、静かな波の音と、カモメたちの鳴き声。

永遠と続くかのように広がった海の景色は、どこか不安になっていた私の心を落ち着かせる。

シン
「……お前、どうしたんだ?」

☆☆
「…え?」

シン
「さっきから黙って海を見つめて。それも、どこか遠くを見つめながら」

☆☆
「そ、れは……」

頭の中に、昼食の前にソウシさんと会話した記憶がよみがえる。

無人島がどんなところなのかも知らずに、ひとり心の中で浮かれていた私に降り注いだ、大きな闇。

大丈夫と、いくら自分に言い聞かせても安心しきれない恐怖。

震えそうになる身体を必死で押さえ込み、私はシンさんに視線を向けた。

☆☆
「別に、どうもしてないですよ?ただ、海が綺麗だったから、見ていただけで」

シン
「嘘だな」

視線をシンさんに、海にへと移しながら、しどろもどろに言い訳じみた言葉を並べる。

必死に繋いだ私の言葉は、シンさんによってものの見事に数秒でないものとなった。

シン
「目が泳いでいる。俺に嘘がつけると思うな」

☆☆
「……」

シン
「…何があった?」

☆☆
「……」

シン
「……言いたくないなら、別にいいがな」

どこか悲しそうに笑ったシンさんが、私から海に視線をうつす。

舵をにぎるシンさんは、それだけで絵になるほど綺麗で、とても素敵だった。

真っ直ぐに海を見つめるものの、その瞳はどこか悲しい色を宿しているような気がした。

そんなシンさんの様子に、自分がこうしてしまったのかなと思いこんだ私は、小さくほんとに微かな声で呟いた。

☆☆
「……怖いんです」

シン
「…何がだ?」

☆☆
「……無人島が、です」

シン
「……」

舵からシンさんが手を離す。

震えるように呟いた私の頭に、シンさんの手がそっと置かれた。

軽く叩いたあと、シンさんがゆっくりその場を離れる。

☆☆
「シ、シンさん!舵は」

シン
「休憩だ。お前も来い」

☆☆
「は、はい!」

振り向いたシンさんがそう言って手招きをする。

返事をしてから慌ててシンさんの後を追った。

操縦場から少しだけ離れた場所で、シンさんが立ち止まる。

船の縁に手を置いたシンさんが、隣に来いと言うように、目で合図をした。

恐る恐る近づき、シンさんと同じように、私も船の縁に手を掛ける。

☆☆
「…あ、あの、シンさん。どうかした、」

シン
「それで、どうして無人島が怖いんだ?」

☆☆
「え?」

私の言葉を遮ったシンさんが、静かに問いかける。

訳が分からなくて首を傾げる私に、シンさんははぁっと、深いため息をついた。

シン
「お前、さっき言っただろう。無人島が怖いって」

☆☆
「…あ」

シン
「何で怖いんだ?話ぐらいは聞いてやる」

☆☆
「……シンさん、ありがとうございます」

小さく笑いながらそう言うと、シンさんの頬が少しだけ赤くなったような気がした。

不思議に思いながら問いかけようとした時、シンさんが早く話せと言うような視線を私に向けた。

それに気づき、ハッとなって、ひとつひとつ最初から話し始めた。

☆☆
「…さっき、ソウシさんに医務室の手伝いを頼まれて。そこで、ソウシさんにある一冊の本を見せられて」

シン
「本?」

☆☆
「シンさん、記憶の種っていう植物、知ってますか?」

シン
「記憶の種?名前は聞いた事ある。確か、赤く宝石のような実をつける植物だったか?」

☆☆
「はい、そうです」

シン
「で、それがどうしたんだ?」

☆☆
「その記憶の種を食べると、食べた本人の記憶がなくなっていくらしいんです。悲しい記憶も、楽しかった記憶も、嬉しかった記憶も、全部。…記憶がぜんぶ無くなった人は、自分の体を維持できなくなって、別の姿に変わってしまうんです。それが生命の転換という病気です」

シン
「…お前はその話を聞いて、無人島が怖くなり、今現在もこうして落ち込んでいる、そういうことか?」

☆☆
「はい……」

シンさんの問いかけに、私は力なく小さく答えた。

微かに、シンさんの重いため息が聞こえる。

こんなくだらない事に、シンさんの貴重な時間を削ってしまったと思うと、急に申し訳なくなった。

この時間があれば、もうすぐ嵐がくるというこの海域も、早く抜けられるというのに。

自分の弱さに、涙が溢れだしそうになる。

ぐっとこらえようとした時、私の頭に、何かが触れた。

☆☆
「……シ、ンさん?」

驚いて顔を上げると、目の前には優しい笑みを浮かべたシンさんが立っていた。

小さな子供をあやすように、私よりもはるかに大きいシンさんの手が、私の頭を静かに撫でる。

ふわりふわりと、壊れ物を扱うかのように優しい撫で方。

段々とその行為に心地よさをを覚え始める。

と同時に、こらえようと頑張っていた涙のしずくが頬を伝った。

シン
「……泣くな」

☆☆
「……っ」

シン
「お前は一人じゃない。何かあっても、俺達がついている」

☆☆
「……シン、さん…」

シン
「仮に記憶の種をお前が食べたとしても、俺達が必ず何とかしてみせる。だからお前は、安心して、無人島での宴を楽しめ」

☆☆
「……」

シンさんの優しい声が、言葉が、頭の中に幾度も響き渡る。

不安に満ちていた冷たい心が、ゆっくりと解けていくような気がした。

冷たい牢獄の中に、まるで太陽の光が降り注ぐように、シンさんの言葉が、私の不安や恐れを消し去っていく。

次第に頬を伝う涙の滴はおさまり始めていた。

手の甲でぐっと涙を拭き、そのまま顔を上げる。

☆☆
「…ありがとうございます、シンさん。私、シンさんの言葉のおかげで元気が出ました」

シン
「…そうか」

笑ってお礼を言うと、シンさんもふわりと優しい笑みを浮かべる。

安心したようなシンさんの表情に、私は自分がシンさんの表情を気付かないうちに暗くしていたんだと思い、急に罪悪感の気持ちを抱いた。

☆☆
「あの、シンさん…」

シン
「…もう、余計な事は考えるな」

謝ろうとした私の考えを読み取ったのか、シンさんが柔らかく私の言葉を制す。

そして視線をそっと、私から海に向け、続いて操縦場の方へ向けた。

くるりと背中を向け、シンさんが歩き出す。

ゆっくりと歩き去り、仕事場に戻っていくシンさんに、私は慌てて振り返り呼びかけた。

☆☆
「シ、シンさん!」

シン
「お前はもう笑っていろ。不安になる様な事を考えるな。船長も、お前の喜んだ顔を見る為に、宴を開くんだ。その行為を無駄にするな」

背を向け、歩き去りながらシンさんが言葉を投げ捨てる。

表情は見て取れないものの、私は今のシンさんの顔がなんとなく、とても優しいもののような気がして、知らず知らずのうちに微笑んだ。

☆☆
「シンさん!色々ありがとうございました!お仕事、頑張って下さいね!」

私の声にシンさんからの返事はなかったものの、この声がシンさんに伝わった事を私は確信していた。

それは、一瞬だけ上げた、右手の仕草からだった。

任せろと。

その仕草はまるで、シンさんの言葉を代弁するかのようだった。



→続く
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