万×

□それは満月のような
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夜は暗い。


暗くて、前も後ろも、自分の感覚を頼りにしか進めない。例えば、黒ずくめの敵が潜んでいたら、いや、黒ずくめでなくても、目で気が付くことはできないだろう。

だからこそ夜に巡回が必要なのであって、そしてその巡回は昼に比べて危険な──そう、高杉なんかが現れやすいため、できるだけ担当は若手より剣の腕の立つ人間である必要がある。

しかし、そんな夜もどうだろう。これほど大きく綺麗な満月が出ていたら。


「綺麗なもんだな」


誰に言うでもなく呟く。何故なら、今日共に当番であるはずの総悟はまたどこかへと消えたから。(恐らく今頃は部屋で寝ているのだろう)

そんなことはもはやいつものことなので、さして気にとめない。そんなことよりも、今日の珍しいくらいに明るい月を眺めたい。


「月夜に黒猫とは、縁起悪ィ」


言いながら、すり寄ってきた猫の頭を撫でてやる。そんな迷信、俺は信じていない。月夜に黒猫。なんとも絵になるじゃないか。

普段なら目だけがギラついて見える野良猫だが、こうも明るいと姿が丸見えだ。こんな日には、何かあり得ないことが起こりそうな気がしてくる。

月はいい。前も後ろもわからない暗闇を明るくしてくれる。進んでいるのだと教えてくれる。月見酒なんてのもいいが、月のある明るい夜だからこそ俺は歩きたいと思う。明るいとは、字のごとく日と月でしか得られない、貴重なものだから。

ベベン、突然三味線の音が響く。警戒しながら辺りを見回した。猫は音に驚いて逃げてゆく。少し油断していたとは言え、全く気が付かなかった。いつから居たんだ、この三味線弾き。

いつの間にか俺の半径三メートル付近に居やがる。…ただ者じゃねぇな。

濃紺の着流しに草履、刀はない。持っているのは、三味線のみ。顔は編み笠を被っている性で見えない。


「月の綺麗な夜だな」
「…ああ」
「おや、猫は逃げてしまわれたか」


この声。どこかで聞いたことがある気がする。この声に、三味線。何となく浮かんできた影に、この男はまるで合わない。

隣に座るかと問われたので断る。すると、男は三味線を背に回して立ち上がった。俺より背が高く、体格がいい。これは、恐らく強いだろう。


「そんなに警戒しないでくれ。
拙者は丸腰でござるよ」


ござる…?男は笑っている。なんだ、こいつ。
ござる口調、三味線、…!

頭の中に思い当たる名前があった。


「副長殿は月が好きでござるか」
「まあ、そうだな」
「風流でござるな」
「そういうてめぇはどうだ」
「拙者に興味を持っていただけるとは、光栄」
「そりゃ興味もあるだろうよ、指名手配犯には」
「む?」
「とぼけてんじゃねぇよ、河上万斉」
「うむ、拙者は確かに河上万斉。
しかし、今は鬼兵隊幹部として来ているわけではない」
「どういう意味だ」
「ちと私用でな」


私用、だから何だというのか。そもそも、そんなこと信じられるわけがない。近くにこいつの仲間が隠れている可能性だってある。警戒はとかないまま相手の表情をうかがう、が口元しか見えない。そもそも、笠がないところでこいつサングラスかけてなかったか?それに、前は洋風な格好だったはずだ。ヘッドホンもしている。いつもあの格好という訳ではないのか?


「副長殿」
「っ!」


スローモーションのようだ。河上が笠を脱ぎ俺に──


「キスするときは目を閉じるものでござるよ、副長殿」


言いながら、相手はまた笠を被り、俺から離れる。
何だこいつ、一体どういうつもりで?

くい、と笠を少し上にして俺を見る。また、こいつの目が見えた。
人差し指を立て口元に当て笑う。


「油断は禁物だな、──土方殿」


そのまま去って行く背中を見ながら、俺は先ほどの光景を思い浮かべていた。透き通っていて、薄く色の付いた、


「きれいだな…」


満月のような、美しい瞳を。


月夜キスわれる
(決して油断していたわけでなく)


見惚れてた、なんて言えるわけもない


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