present

□荒涼とした欣快
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 カイロの屋敷で彼女と彼はあらゆる美術を語った。芸術を紐解けば歴史に結びつき、全て称賛に値する作品群である。彼は信じられないほど19世紀末の美術と風俗に詳しかった。現代やその他の時代においては専門的に学んだだけあって彼女の方が知識も説得力も上回っていたけれど、会話は弾み自然と2人は充実した有意義で濃密とも言える時間を過ごした。

「なぜ一番初めにオベリスクを観に来た?君の国の方が多くあるじゃないか?素晴らしいものが」
「ルーツを徹底して辿りたいのよ。自分が創り上げるものに活かしたい。芽が出るかは不明だけれど」
 彼女が彫刻を学んでいると知ると彼は興味深そうにした。古代のアレクサンドロスかプラクシテレスの残した永遠に想像をかきたてるヴィーナスや、バロックが生んだ「芸術の奇跡」ベルニーニの大胆でありながら伝統だけにとらわれない絢爛で流動的で光耀の神聖とも言える彫刻を語り、「近代彫刻の父」ロダンの自然を源泉とし死すら生の持続とも言える作品を彼は好んだ。彼女とは異なる。芸術に疎い人間も認める圧倒的才能を持った彼らよりも好きだという女性を挙げるとからかわれた。

「その女は利用されただけじゃないか。恋人の日陰にいて表には出られず家族の愛も美貌も失って貧困のまま最期は精神病院の中で閉鎖的に亡くなった。作品だって殆ど現存していない」
 
 彼女は数少ない作品を見るだけで、経緯を知るだけで、尊敬に値する、と断言した。
 芸術とは男性が担うべき、男性だけが天才と呼ばれる時代で、女性には最も不利と言われる彫刻の重労働を物ともせず、自分の内部、存在の根源を深く探ろうとした姿勢を愛している、と。同性だからじゃない、その女性の作品には彼らが束になっても到達していない色気があり、凄絶で呼吸も叫びも拒絶も聴こえる。圧倒的な愛情の渇望が全てに宿っている。そんな芸術を作れた人間を他に知らない。
 様々な美術作品を費用の工面をして実際に観てきた。感動もした。言葉もなくした。確かにスケールも世界もその女性の作品とはケタ違いとも言える。けれどそれは製作者の性別で優遇されており、財源が保証された状態で、アシスタントを使い、恵まれた中で妥協しなかったからだ。
 極限にまでストイックになり狂気と創造と才能の荒れ狂う中、その女性は、たった独り、誰もが到達できなかった境地を彫りあげられた。そんな偉業は他にはいない。女を愛しながら何一つ安全な柵から出なかった彫刻家なんて粘土から命を生み出せても石の工程は弟子まかせだった。その女性は勇敢にも特に難しい部分を敢えて自ら行った。出来ることしか行わなかった著名な彫刻家は芸術と人生の保身者そして敗北者でしかない。
 熱っぽく力説した。

 彼女の腕前を知りたいと彼は思った。高価に大理石でも用意しよう。そう提案したが彼女は安価な粘土で良いと答えた。お世話になっているし本格的な道具も今はないから、と。指先のみで塑造したそれに驚愕する。彼女の腕は一流だった。土の塊をダイナミックで流れ出すようなナイル川とカイロの光景に変化させた出来栄えに圧倒されつつも、やはり何かが足りなかった。『凄い』。そう思える。しかしこの程度の実力は世界でも何人かいるだろう。探せば見つかる。どの時代、どの国にも既存するレベルだ。彼もすぐにそれは感じた。
 決定的で致命的な、何か。それさえ加えてやれば彼女は歴史に名を残す。それも100年やそこらで消え失せない普遍であり絶対とも言える、鋭才。その可能性を秘めている。花開けるかはとても難しい。彼は真剣に考えた。彼女を埋没させるのは惜しい。考えうる全てを分析し純粋に欠けきった『なにか』を彼は遂に探り当てた。

 ある晩、彼は彼女を呼び寄せた。彼女は翌日帰国する。少し滞在期間を延ばそうかとも思ったが彼に却下された。ここ最近は館の人間もどこか緊迫した空気を持っていたので彼女も納得した。そもそも1ヶ月の予定だった。ビザも切れる。
 彼は彼女をいつもと異なる部屋に呼び寄せた。暗く明かりもない。闇に目が慣れると中央に寝台がある。眠るための部屋かもしれない。彼はどこに。どうしたのだろうか。
 いきなり彼女はベッドに押し倒された。マットのスプリングがきいているから痛みはないけれど、のしかかってきた彼に驚く。彼女は彼と親しくなるうちに彼直々に教えてもらった。「恋愛なんて馬鹿馬鹿しい。女なんて食い物だ」。一種の観念のように。彼女と彼は芸術を理解できる者同士という絆でがっちりと鎖のように頑丈な線引きをしていた。それを何故今になって覆そうというのだろうか。
 彼は手馴れて彼女の衣服を脱がせた。彼女は動けなかった。押さえつけられてはいない。逃げようと思えば逃げ出せる。しかし、出来なかった。
 彼女の体を彼はゆっくりと撫で始めた。やや厚みのある男性的なあたたかい手が髪から始まり、首を撫で、鎖骨を模り、腕を通り、手を包み、胸を柔らかく揉み、腰を確かめ、両足の爪先まで。彼女の身体を改めて創るように。熱のこもった手つきに彼女は愛撫で身体が溶解されて別のものになると感じた。すべてはこの人にある、と。 彼は最後に彼女の唇を中指で押え、体の摩擦を終えた。彼は恐怖以上の『なにか』が彼女の瞳にとうとう宿ったのを見届けた。

「お前にはこの私を賞嘆させる技量がある。私を永遠のものにしてくれ。文明が淘汰されても誰もが知るべき存在として君臨させ私を創り上げろ。お前の手で生み出されたい。文化が破壊されてしまっても不滅である全てとして」


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