present

□荒涼とした欣快
1ページ/3ページ



 男を完成させるためだけに彼女は時間を生きた。もしかしたら彼は彼女の手により現存することに最大の望みを託した。不思議なことに祈りをささげていたら突然、神の啓示が耳におりてきたように唐突に引き合い、彼女は彼からたった1つの使命を託された。
 
 ある種の神秘体験をした彼女は、しかし、聖職者ではなかった。一介の学生でありこの世に作品を送り出す側の人間であった。澄んだ海の底まで見透かすように物事と経験全てを自らの知識と創造に結びつける技術力と才能があったが天才にはなれない決定的に欠けていたものがあった。
――美のなかにのみ潜む官能の陶酔経験と高められた感受性と深遠な意識である。

 創造に奥行きを醸し出す動静であり眼目たるそれがなかった。探究心や挑戦や才能と結びつく純然な智覚は芸術家にとって、なによりも、なにものよりも必要だった。
 腕もよく将来は期待されていたが所謂、それなりのクリエーターとしてしか生きられないだろうと彼女も周囲も認識していた。
 
 彼女は学生として最後の長期休暇にエジプトの熱と砂と太陽で包まれた土地に訪れた観光客だった。この国と彼女の生まれた国は歴史的つながりが深く、地理的にも近い。訪れやすかった。 
 そして怪しい者でありながら惹きつけられずにはいられない様子に魅かれ、気づいたら彼女はその館へ赴いた。
 ……おそらく危険な目には合わない。何か素晴らしいモノを経験できる。けれど獲物にされかねない。
 稚拙ではあるが芸術においてインスピレーションを担う霊感とも言うべき感覚が防衛本能として働いた。
 
 そこでの体験は不可思議だった。
 館の主人である彼直々に明るい時間は眠るから夜、呼んだときにのみ自室へ来いと条件を提示された。彼女はそのとおりにした。昼間、美術館や遺跡やピラミッドやスフィンクスを観に行き王家の谷を何度も訪れ、素晴らしさに感嘆する。その場で感じたことを全てメモにとり夕方に屋敷へ戻り、彼から来て欲しいと誘われたときのみ夜通し語らった。彼女には館の誰もが優しかった。金もないただの観光客なのに。なぜか多くいる女達も得体の知れない使用人も、みなが丁重に彼女もてなした。
「『客人』ですから」使えているうちの1人はそう淡々と語った。
 彼女はそこで1ヶ月を送った。その後の人生の方向を決定する30日を。


次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ