dream

□ハング
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隣で眠っている男は、世界中の不幸を一身に背負ったような顔をしている。なら夢の中の彼は全ての罪を背負って荒野を登っていく生贄の山羊か、殉教者か。現実にはそれらとは正反対の立場の人間なのに、そう思わせるのは何故なのだろう。あちらこちらに散った髪を梳いてやると、寝言とも喚きとも分からない声を揚げた後表情が和らいだ。夢の中でも指先の温度を感じたのなら良かったが。普段はああなのだから、眠っているときくらいは心安らかでいて欲しいものだ。
私は音を立てないように服を着て、忘れ物がないか(重要なことだ)、部屋をぐるっと見渡した(大丈夫だ)。次回やそのきっかけなどない方がいい、出来ればこれきりにしたい。
それにしても寂しい部屋だ。それなりの年月を経ていて、それに見合った、デザインの古さの割に傷が少ない家具には好感が持てる。けれどそれ以外の生活用品が明らかに少ない。見えないところに収納しているわけではなく、元々ないのだ。物がない不便さを楽しんでいるわけでもなさそうだし、敢えて増やさないようにしているのか。普段の服装からも、ワードローブの乏しさが窺える。
ああ、いつ死ぬかも分からない身が、物を抱えていても仕方ないという考え方なのだろう。私とは反対だ。いつ死ぬかも分からないのだから、欲しいものを欲しいときに買って満足したい。地獄の沙汰も金次第などというが、実際に持っては行けないし、此岸と彼岸の価値観は違うだろう。
……余計なことを考えた。彼には彼の考え方がある、それは私に何ら関係のないことだ。

「……チャオ」
事務所のインターホンを鳴らすと、珍しくイルーゾォが出てくれた。私の挨拶に対して、言葉を忘れてしまったのか心配になるくらいイルーゾォのそれは遅かった。
「一人?」
「ああ」
「顔色悪いわ。こんな明るいうちから仕事?」
「明日。子供もいるんだとさ……やりたくねえ……」
どうりで。イルーゾォはチームで一番まともな人間だ。仕事相手に子供や老人がいると途端に気弱になってしまって、普段から血の気のない顔が土気色になってしまうほどだ。かわいそうに。早く慣れてくれればいいと思う一方で、変わらないでいて欲しいとも思う。私や皆のように割り切って仕事をこなすようになってしまったら、人としてお終いだ。
「ね、土曜の夜空けといて。良さそうな店を見つけたの、食べに行こう? 私のオゴリで!」
「マジで? あ、いや……」イルーゾォは奢りという単語にほんの少し顔色を明るくしたものの、「リーダーがいるだろ。オレそんなんで死にたくねえよ」
「リーダー?」
イルーゾォが何を言わんとしているのかがよく分からない。掴めていない私の様子を見て、イルーゾォも怪訝な顔をする。
「付き合ってるんだろ、リーダーと。お前ら何も言わないけど、オレ、二人でリーダーのアパートに入ってくの見たことあるんだぜ。皆だって勘付いてる」
イルーゾォがリーダーのアパート周辺にいたというのが引っかかるけど、
「……別に付き合ってるわけじゃない。けど大人の関係であるのは否定しない」
「うっわ……知りたくなかった」
最近知ったことだけど、こんな仕事をしていても、いやそのせいなのか、チームの人間から明らさまな嘲笑を受ける機会というのはあまりない。お互いの仕事ぶりは結果が伴っていればある程度は許容されるし、私生活にあれこれ言われる筋合いはさらさらない。
「例えそうだとしても、別の男性と食事しただけで嫉妬するような男は嫌」
「ハ、そりゃ安心した」
今度は鼻で笑われた。まあちょっと考えれば仕方がない気もする。イルーゾォはこれまた品位のある方で、さっきの言い回しはホルマジオ、プロシュートあたりなら下手すれば「オメーらヤッてんの?」くらい配慮がない。
「とにかく土曜日は空けといてね。予約しちゃうから」
「はいはい楽しみにしてるよ」
殆ど閉じかけたドアに声を掛ければ、さっきよりは随分と明るい声が返ってきた。
こんなことを繰り返しても、いつ終わるとも分からない人生のほんの気休めにしかならない。それでもイルーゾォも私も土曜までは生きるだろうし、日曜に死んだとしても最後に温かな食事を思い出すことができるだろう。




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