dream

□その名を呼んではいけない
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「悪いねえブチャラティ。その娘、お母さんが亡くなってから勤めに出る以外は殆ど外出しなくなっちゃって。塞ぎ込んじまってるんだよ。もともとあんまり社交的なタイプじゃなかったけど、放っておくことも出来ないだろ?」
顔見知りの老女からアパートの店子の様子を見に来てくれないかと頼まれたのが始まりだった。
老女は40年間ここネアポリスに住んでおり、いくらか所有する不動産のうちのこのアパートの管理人をしている。ここいらでの顔が広く友人との喋るのが大好きで、数ヶ月に1度孫が顔を見せに来るのをとても楽しみにしている。少々行き過ぎたおせっかいなところもあるが、おれがここに流れてきた頃は随分と世話になった。
「構わないよ。だが若い女だったらおれじゃなくても、むしろおれじゃない方がいいんじゃないか? 管理人のあなたのほうがずっと自然だと思うんだが」
「あたしもはじめはそう思ったよ。ただその娘ね、あいつ、ルカと一緒にいるとこ見たって人がいるのよ」
「ああ、なるほどな」
「あんたのところの人間を悪く言うつもりはないけど、あいつの良い話なんて1度も聞いたことないじゃない。どうしても好きになれないわ」
老女の言い分はもっともだ。ルカもこの近辺を縄張りにしているから自ずと話は耳に入る。最近は理不尽にショバ代を徴収することがあるようだし、子どもに麻薬を売っているとも自分でもやっているという噂もある。
「ああほら、あの隅の部屋……。ナマエちゃんいるかい? 管理人だけど。ちょっと顔を見せてくれないかい」
呼び鈴を鳴らし、ノックをして名前を呼んでも返事がない。物音がしたので居るようだが出てくる気配はない。
「だめだね。先週もこんな調子だったのよ」
「単に体調が悪いとか、人に会うような気分じゃないっていうんじゃないのかい」
「だったらあたしが看病してあげるわよ。それに迷惑だってんなら、1度顔見せて『心配してくれてありがとう。気持ちは嬉しいけど、大丈夫ですから』って言やぁ良いハナシじゃないのよ」
「たとえそう言われたとしても上がり込んで無理にでも看病するつもりなんだろ?」
「当然よ!」
「鍵は? おれが行ってみて、そのナマエの様子を見てこれば良いんだな」
「ええ。おかしな様子じゃないならあたしが後で看病するなり話を聴いてあげるなりするから」
満足のいった風に老女が頷く。この強引なところが老女の短所でもあり、長所でもある。
開錠しドアノブをひねった。老女にはここで待っていてくれと言い置いた。

1人で暮らすには広すぎる室内は薄暗くひんやりとしていた。日中だというのにカーテンを閉めているようだ。ドアを閉めると奥から物音がして、また直ぐ静かになる。
「ナマエ? ボンジョルノ……」
進んでいくと、果たして件の若い女はリビングのソファに小さく身を固めていた。おれを認識するなり手元にあったクッションを投げつけてきた。
「出てって! 何なの誰よアンタ、ふざけんな! 帰れ!」
「突然押しかけて悪いと思ってる。おれはブチャラティっていうんだ。ブローノ・ブチャラティ」
おれが喋っている間もナマエはヒステリックにわめき散らす。しかもクッションどころかテレビのリモコン、ハードカバーの本、CD、雑誌、爪ヤスリ、保湿クリームなどなど、近くにある物を掴んでは手当たり次第投げつけてくる。
「管理人のばあさんが君のこと心配してる。様子を見るように頼まれたんだ」
「あたしの知ったことじゃないわ。いいから出ていって!」
「個人的にはさっさと退散したいんだけどな、君が大丈夫って分かったらすぐに出て行くさ」
「アンタあたしがいかれてるって言うのッ」
「そうは言ってない。それとも思い当たることがあるのか?」
「ふざけんじゃねえわよッ……!」
ナマエの表情が怯えから怒りに変わった。興奮状態は相変わらず。だがおれに投げつけるものは手元に無い。ナマエは素早い身のこなしでソファから下りると、更に奥の部屋に閉じこもってしまった。


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