dream

□ストリンジェンド
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物音に気付いて彼女がミルクパンから顔を上げると、突如開けられたドアの隙間から地を叩く雨音とそれに散々打たれた男が入ってきた。いいだけ水を吸ったその長い髪とパンツ、元はダークグレイだったシャツ(以前見たことがあるものと同じなら)は同じ色になってしまっている。もともとかさというか厚みのない身体をしているのが、濡れた分余計に縮こまって不憫なほどだ。
そんなことを考えながら眺めていると、何事か呟いてから男は幾つもに束ねた髪を纏めて絞った。
「ちょっ―」
何故屋内で絞るのか。外がどしゃ降りだからというのは分かるが、その濡れた床は誰が拭くのだ。男は続けて肌に張りついたシャツの裾を絞り、身体から引き剥がす。さすがに注意してやろうと思った彼女は、その蒼白の肢体に釘付けになる。一見病的に痩せているようだが骨が浮き出ているわけではない。骨と皮という例えがあるがそれよりは筋に薄皮を張り付けているといった具合で、筋肉の凹凸が細かに見て取れる。脂肪が殆どついていないのだ。
「何か言った?」
男は脱いだシャツを絞りながら漸く気が付いたとばかりに彼女を見る。顔面に垂れた前髪を忌々しげに掻き上げるものの直ぐにポロポロとした塊が落ちてくる。ちなみにこの男は二ヶ月ほど前にチームに加わった新人だ。口数は少ないものの仕事と自己主張はしっかりするあたり、始めこそリゾットと似ていると思ったが最近はどうもそうではない気がしている。
「何も。寒そうね? 傘は持って行かなかったの?」
「……邪魔だから」
「遅い時間になるほど強く降るって言ってたと思うけど」
「天気予報なんて当てにならない」
で、傘を持たなかった結果がこれだ。
「夕食は?」
「……まだだけど」
だからなんなの、と姿見に伸ばした手はそのままに、振り返った男は怪訝な顔をしている。
「ミネストローネが嫌いじゃなかったら、温めてあげる。シャワーが終わったらこっち戻ってきなよ」
「アンタが作ったやつ?」
「そうだけど?」
「じゃあ、頼む」
そのまま行ってしまうのかと思ったが、男はほんの少しだけ顔をこちらに向けたまま黙ってしまった。
「グラッツェ」
蚊の鳴くような声とはこのことだ。もし彼女が注視していなかったら絶対に聞き逃したであろう声量。彼女は何も言えず、男も彼女に構うことなくずぶりと鏡の中に入ってしまった。戻ったらちゃんと床を拭かせよう。彼女はそう思う一方で水溜まりを見ながらなんとなく想像してみる。もしも自分ではなく愛しい人が相手だったらあの男ももう少し柔らかく、優しく微笑んだりするのだろうかと。
雨音は更に強くなってゆく。


 

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