Assassina

□その街で、女はタクシーを降りた
1ページ/1ページ


その日の僕はなんとなくやる気が起きず、もう帰って昨日買った本の続きでも読もうかと思いながら、駅から人が出てくる様子を眺めていた。
「おや」
その内の女性一人が、綺麗な顔に渋味を浮かべながらタクシー待ちの行列を見つめていた。外国の顔立ちだ。ノースリーブのワンピースに薄手のカーディガンを羽織って、野暮ったくなるかならないかのギリギリまで肌の露出を抑えているのには好感が持てた。
「こんにちは、タクシーを探してるの? 僕はもう帰るから良かったら格安で乗っけてあげる」
「君、中……高校生? 君が運転するの? 免許は?」
「……確かに僕は学生ですけど。乗るんですか、乗らないんですか」
こっちは右も左も分からない観光客だと思って話し掛けたのに、不意打ちもいいところだ。
「そうだね、今すぐ格安でっていうならお願いするわ。チップはちゃんと払う、だから荷物だけ乗せてトンズラするとか料金をぼったくるとか、酷いことはしないでね」
「心外だな。そんなことしないですよ……まあいいや、目的地までの快適なドライブを約束しますよ」
「良かった。まあ、盗って得するようなものは持って無いけれど」
彼女はさして気にも留めない様子でさっさと荷物ごと後部座席に乗り込んだ。抑揚の乏しい喋り方からは、知らない土地での高揚感は見られなかった。望んで赴いたわけではないということだろうか? 言ってしまえば、二十そこらの身空で人生に疲れ切ってしまったような気怠さすらあった。そうかと思えば、目的地を告げて暫くすると、彼女は随分とせわしない様子だった。しきりに腕を組んだり髪の毛を触ったりして挙動不審、時々俯いたりもする。それでもすぐにメーターに視線を戻すので驚かされるのだが。そういえば、彼女の腕ー治りかけの打撲痕は両腕のそこここにあるようだし、髪の毛でよく見えないがさっきも左頬の近くに同じような痕を見た。
「ねえ……、何か話してくれないかな」
唐突に言われても、僕は普段から求められれば最低限のことには応じるが、こちらから話題を提供するなんてことはまずしない。大抵は外国人観光客ばかりだからいいのだが(英語で話しかけられればてきとうにイタリア語で返してる)、今は正直面倒だ。拒否しても彼女は怒りはしないだろうけど、チップを減らされるのも面白くない。
「何かって言われてもな……なら、お客さんは観光客ではないですよね? 目的地に何があるんです? ある程度想像はつきますけど」
「……そこから再出発するの。どう転ぶかは私次第だから、死ぬ気でやるつもり」
彼女の口から溢れたのは意外な単語と自嘲じみた乾いた笑い。忌まわしい過去と決別して、また別の街でやり直すということかなのか。人それぞれの色んな人生があるってことかな。などと思っていると彼女は一人何かつぶやいて、また不安そうな顔で窓の外を眺めている。
そうこうしているうちに、遠くに目的の施設が見えてきた。
「グラッツェ、助かったよ」
「どういたしまして……」
入口のすぐ前に車を停める。彼女は数分前とは打って変わって晴れ晴れした笑顔で運賃と相場よりかなり多めのチップをくれた。多少面倒くさいやり取りはあったものの、これだけチップを貰えれば中々の上客と言えるだろう。彼女はボストンバッグを下ろしドアを閉めようと手を掛けて、そうだと言ってこちらを見る。
「君が話し相手になってくれて良かった、すごく楽になったわ。もっと前に覚悟を決めたつもりだったのに」
その時、彼女の横へ数人の小学生が近づいてきた。彼女は視線を僕へ向けたまま肩に掛けていたハンドバッグとボストンバッグをしっかり抱え込んだ。集団から微かな舌打ちが聞こえたが彼らは何事も無かったように通り過ぎていく。
「私はーーっていうんだけど……君の名前を是非教えて欲しいな」
「ああ、僕はジョルノ・ジョバァーナ」
「ジョルノね。良い名前だわ」
それはどうも……けど、僕はそれより彼女のガードの固さに感心してしまって肝心の名前を全然聞いていなかった。ちょっと申し訳なく思っている僕の心中には気付いた様子も無く、彼女は手を振るとしっかりとした足取りで刑務所に向かって行った。



[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ