作品

□離船
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想いを伝えあってから1週間。

毎日、朝から晩までずっと一緒に居て。
それでも足りなければ、口づけて抱きしめて……交わって。

毛利寿三郎は、愛しさが膨らんでいく幸せな日々を送っていた。


……はずだった。


***


I'm So HAPPY!

一目見てそうわかる。
寿三郎はご機嫌な笑顔を隠すことなく、うきうきと歓談室のPCと向かい合っていた。
一日の練習を終えたあと、休日の下調べのためにネットサーフィンをしているところだ。

日々非常にハードな練習メニューが組まれているU-17代表合宿だが、長期にわたる分調整日も日程として組まれている。

そして、明後日は恋人と付き合い始めてから初めてのオフの日だ。
付き合い始める前には、何度か休日に一緒に出掛けたこともあったが、恋人として過ごすのは初めて。
いわゆる「初デート」。
初々しいカップルにとってはビッグイベントである。

(何をしよう? どこへ行こう?)

気持ちははやり、あれもしたいこれもしたいと願望が膨らむ一方で、「これぞ!!」というしっくりくるアイディアはなかなか浮かばない。
相手と相談してもいいのだけれど、素敵なプランを作って、あの人に「良い一日だった」と褒めてもらえたら。
そんな想いがあって、寿三郎は一人PCとにらめっこを続けていた。

あの人――こと、越知月光。

この合宿で知り合った、寿三郎のダブルスパートナー兼、恋人だ。
なかなか類を見ない、226cmの長身の持ち主で、常に冷静な佇まいは相手に並々ならぬ精神的重圧≪プレッシャー≫を与えると言われ「精神の暗殺者≪メンタルアサシン≫」などという二つ名で呼ばれている。
……と、これだけ聞くとずいぶん物騒だが、親しくなった相手には気配りが上手く、一本芯の通っている男だ。

寿三郎は、彼の優秀さを尊敬しているし、長身だからこその悩みも共有できる。
それに、無感情そうに見える鉄面皮が緩んだときの笑顔にはいつも胸がキュンとなる。
つまりは、愛しくて、愛しくてたまらなかった。

(月光さん……)

改めて、こみあげてきた想いに浸っていると、いつの間にかPCの画面が月の画像で埋め尽くされていた。
気持ちが昂ぶるあまり、うっかり検索エンジンに“月光”と打ち込んでしまっていたようだ。
そのうちの一つが何故かピアノのサムネイルだったので、気になってクリックしてみると、飛んだ先は動画サイトだった。

再生してみれば、流れだしたのはベートーヴェンのピアノソナタ『月光』。
ピンと張りつめた空気を切り裂くように、美しく響くピアノの旋律は、まさに月光によく似合う気がした。

「名は体を表す……とは違うけど、月光さんにピッタリですわ」
「…ベートーベンか」
「!?」

音楽に聞き入っていて気がつかなかった。
いつの間にか背後からかけられた声に慌てて振り返ると、そこに立っていたのは、まさに懸想していた相手本人・越知月光だった。
モニターを隠すのは手遅れで、冷や汗が背を伝う。

「つ、つつつ月光さん」
「もう遅い。音量は下げて聴け。
 …それは、まだ時間がかかるのか」
「あ、えっと。
 もう少し、調べたいことがあって」
「……。そうか。
 俺は先に部屋へ戻るぞ」

それだけ言うと、月光は踵を返して部屋へと歩いて行く。
その背が廊下の角を曲がって消えると、寿三郎は深く息を吐き出した。

(あー、ハズカシッ!)

彼を想うあまりに、その名を検索してこの曲にたどり着いたこと、気づかれてしまっただろうか。
そういう部分については案外鈍感だから、気づいていないといいのだけれど。

「……けど」

彼が消えていった廊下の先をちらりと見る。
突然声をかけられて焦ったものの、あっさりと立ち去られてしまうと、それはそれでちょっと名残惜しい。
そもそも、自分はこんなにも彼のことで頭がいっぱいなのに。
月光の方は、せっかくこうして顔を合わせても、さっさと一人で部屋へ戻ってしまう。

この温度差。

寿三郎は肩を落とした。

「はぁ……」
「なんだお前。辛気くさいな」
「ああ……遠野さんすか」

再び頭上から声が降ってくる。
今度は彼ではない。声だけでその主が先輩の遠野だとわかって蔑ろな返事を返すと、軽く後頭部をどつかれた。

「お前、先輩への口の利き方気をつけろよ。
 処刑しちゃうよ」
「スンマセン。突然声かけてきんさったから、びっくりして」
「フン。…ま、いいや。俺、PC使うんだけど」
「どうぞ。今どきますわ」

結局、いいプランは見つかっていないが、この先輩は怒らせると後がめんどくさい。
適当にウインドウを閉じて席を空けると、遠野は遠慮なく椅子に腰掛けた。

「そういやよ、お前らってこの合宿終わったらどうすんだ」
「どうするって何がです?」

寿三郎はさっさとその場を退散しようとしたが、不意にかけられた言葉に引き止められる。
質問の意図を掴めず問うと、遠野はあきれたように寿三郎を見上げた。

「ダブルスのコンビ。
 お前ら学校違うし、年も離れてるじゃん。
 大体、月光は卒業すんだから、いつまでもダブルス組んでらんないだろ?」
「あ。」

今が幸せだから、考えてもみなかった。
「終わり」の話。

「お前、最近ずっとダブルスばっか練習してるけど、
 自分のことも考えてシングルスの練習もしとけよな。
 来年はお前が選抜メンバー引っ張ってく立場だろ。
 ……つっても、選ばれればの話だけどな! ハハ」

そのまま、遠野は高1、2年の層の薄さと中学生たちの生意気さについてぶつくさと愚痴を続ける。
しかし、寿三郎の耳には半分以上入らなかった。

(そうだ、月光さんとのダブルスはこの合宿が終わったらそこまでなんだ)

この合宿が終われば、3年生の多くは本格的に受験シーズンに突入する。選抜メンバーとして世界大会に参加したとしても、それも今年限りのことだ。

始まったばかりだからまだ遠いことだと思ってたけれど、改めて考えると、終わりまでの時間は残酷なぐらい短い気がした。

甘く浮かれていた幸福気分から、気持ちが一気に急降下する。
寿三郎がしょんぼりと肩を落とすと、それに気が付いた遠野は、ニヤニヤしながら彼の額を小突いた。

「聞いてんのかよお前。
 …あーあ、うじうじしてんじゃねーよ」
「……」
「たく。しょげるぐらいなら、もっと月光と一緒に居ろよ。
 時間が勿体ねえだろうが」
「……はぁ」

寿三郎は額をさすりながら頷いたが、遠野の言葉はほとんど聞こえていなかった。

寿三郎の学校は神奈川で、月光の学校は東京だ。
そう遠くないと言えば遠くない。
けれど気軽に歩いて行ける距離でもない。
ダブルスが終わっても、会いに行くことはできる。
けれど、毎日一緒いられるこの生活から離れてしまうことに、自分は果たして耐えられるだろうか。

「…んじゃ、俺は失礼します」

もやもや。
膨らんできた不安な気持ちをそのままにして部屋に戻る気にはなれず、寿三郎はトレーニングルームへと足を向けた。

いつも使っているトレッドミルに乗って、ひたすら走る。

やがて体力が尽き、息を切らして床に転がっても、結局心にかかった靄は晴れなかった。


***


重い足取りで部屋に戻ると、月光は既に敷き終えた布団の上で軽くストレッチをしていた。
普段、布団を敷くのは寿三郎の役目だが、既に二人分用意されている。

「ああ、すんません! 遅くなって!」
「…さしあたって、問題はない」

慌てて詫びると、月光はややばつが悪そうに他方を向いた。
怒っているわけではなさそうだが、不自然な雰囲気に寿三郎は首をかしげる。

「…何かありました?」
「気にするな」
「けど、何もなかったって雰囲気じゃない気が」

ただでさえ、晴れない気持ちを抱えているのだ。
些細な月光の変化に、さらなる不安が上書きされて寿三郎は眉間にしわを寄せた。

「なんでもない。…ただ、俺がお前を待ちきれなかっただけだ」
「へ」

マッサージを終えた月光が、ぽん、と布団の上に手をつく。
ここに来い、と招かれているのだと察して隣に座ると頭を軽く撫でられた。
長い前髪に覆われた瞳はよく見えなくて表情は読めないが、その手はとても優しくて、どこか気恥ずかしそうでもある。

顔が、熱くなった。

「月光さん。…ほんとスミマセン。戻ってくるの遅なって」
「詫びることではない」
「でも月光さん、寂しかったんでしょう」
「…曲解するな」

少し強気に問うと、それまで撫でてくれていた手でぺしっとはたかれたが、その仕草は図星ゆえな気がした。

「だって、俺ん方は寂しかったから。
 寂しかったから、戻るん遅くなったんです」
「不明瞭な話だな」

ため息をつきながら、寿三郎は月光の背中に腕を回す。
寝巻き用の薄いシャツに頬を押し当てると、彼の体温が暖かくて。目を伏せるとその心地よさに今までの不安が解れてゆく気がした。

「この合宿が終わったら
 月光さんと離れなならんのやなって気づいて凹んでしもたんです。
 そんで、不安で不安で。気晴らしに走っとったんですわ。
 ……でも、はよ戻ってくればよかった。
 ほんとモウシワケないっす。
 俺、自分のことしか考えてなくて」

よくよく考えてみたら、月光がPCの前ですぐ立ち去ったのは、
温度差じゃなくプライベートを気遣ってくれたのかもしれない。
遠野も、もっと月光と過ごせと言ってくれていたのに。
不安な気持ちが先に立って、結局蔑ろにしてしまった。
己の愚かしさが、恥ずかしい。

けれど、恥はかき捨てだ。どうせだから思っていることを全て吐露することにした。

「俺、終わりたくないです。
 月光さん、明後日んオフも、ダブルスしましょう。
 もっと月光さんと一緒に戦いたい。
 少しでも多く一緒にテニスがしたい。
 終わりたくない。終わりたくないです。」
「……。
 …オフの日に、試合をしては調整日の意味がない」

少しためらった後、月光は冷静な口調でそう言った。
最も過ぎる言葉だ。
しかし、続けて紡ぐ言葉とともに彼は寿三郎の頬に優しく触れる。

「大体…終わらせたくないのなら
 終わらなければいいだけのことだ」
「終わらなければ?」

問い返すと、月光は深く頷いた。

「お前がやりたいのなら、付き合ってやる。
 卒業した後も、我々のダブルスは終わらない。
 超高校級のダブルス……などと呼ばれていたが、
 しからば、次は世界に比類なきペアでも目指すとしようか」

淡々とした響きで、けれど頼もしい言葉。
じわ、と胸が熱くなって、泣きそうな気持ちになりながら寿三郎は頷いた。

「それで、納得できるか?」
「……できます!…できます!! 信じて、いいんですよね」
「……無論だ」
「月光さん。…好きです。愛しいです。…離れません。絶対。絶対」
「……このキスが俺の答えだ」

月光から柔らかく触れた口付けを、寿三郎は受け止めて。
そして、自分からはより深いものを求めて。

交わした誓いを形にするように、つながりあうよう互いを求めた。


***


「…んで? 結局オフには何して過ごしたんだよ?」
「え、えへへ」
「遠野君、野暮なこと聞くものじゃないですよ」
「ああ…あっそ…お前らやっぱそうなの」」
「え! 遠野さん、そこ察しとったわけじゃないんすか!?」
「何を?」
「彼はそういう機微には鈍感なんですよ。本能だけで生きてますからねえ」
「…そろそろコートが空きそうだな」
「次が、我々と君島さん遠野さんの試合でしたっけ」
「さて…未来の世界的ダブルスを倒しに行きましょうか、遠野君」
「ヒーハー! 覚悟しとけよお前ら」

遠野の言葉に、寿三郎は不敵に笑った。

そんな覚悟、必要な気がまったくしない。
誰よりも頼もしいパートナーが傍らにいる。
確かな絆もある。

「ぜーんぜん、負ける気ぃしませんわ」
「…ああ。さしあたって、問題はない」

ラケットをしっかり握りしめる。
遠野と君島を見据えて、寿三郎と月光は軽く拳を突きあわせた。


この絆は、合宿から離れてもずっと続いていく。


fin.

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