作品

□ステンレス
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この頭が不銹鋼であったなら。
下らないと思いつつ越知は瞼を伏した。
考えるだけ無駄な話だ、この関係が終わる日など見ないふりをしているだけで現実には直ぐそこに、それこそ一寸先にも見えているかもしれないというのに。
人は呼吸をする度に体が錆びつくという。
酸素に当てられた鉄の様に、いずれは朽ちる所も然り。

瞼を伏した先に在ったのは恋人の姿。
と言うよりは旋毛で、そこに越知は顎を乗せて癖毛の擽ったい感触に一二度身動いだ。
「月光さん…?」
不思議そうに見上げようとするが、叶わずに毛利は同様に視線を伏した。
お互い眼前に在るのは恋人だと云うのにもやつく思考を振り払えずにただ抱き合っているのみだった。
場所は互いの自室、つまりは合宿所の一室。
越知のベッドの上で腰を下ろして向かい合わせに座る長身の男二人、異様な光景の様に思えてその実、姿が一回り小さく見える程哀愁のようなものが漂っていた。
「……忘れたくはない。」
「え?」
か細く、低い呟きが頭上で漏れた毛利は思わず声を上げる。
「何でもない。」
「それ、ズルいです。」
不満そうに乗せられた顎を除け毛利は越知と目線を合わせる様に背筋を伸ばし、細い輪郭のラインへと掌を触れさせた。
「で、何を忘れたくないんでっか?」
視線を逸らさないように固定した筈が一向に視線は合うことはなく、越知は瞼を伏したまま黙り込んでいる。
「月光さん、」
咎めるでも諭すでもなく愛称を呼ぶ。
普段呼んでいるものと違いはなくとも少しの緊張感に毛利は口角を歪めた。
そのまま僅かに舌を出し唇を舐める。
それも見えているのだろう、前髪の向こうの瞳が覗き、見開かれていた。
「もしかして、俺の事?……なんちゃって。」
「そうだ。」
誤魔化しの入る前に越知が短く答える、と同様に眼前に座る彼は目を瞠り言葉を無くす。
「もうすぐ、この合宿も終わる。俺の高校生活も。」
淡々と続く声に今度は毛利が視線を伏し目を合わせられずに居た。
知りながら言葉を続ける越知の声音に温度は感じられない。
「…この日々を忘れたくはない。そう言ったんだ。何一つとして忘れたくない、出来ない事と解っている。」
諦めたような声色、しかしそれに弾かれたように毛利は勢い良く顔を上げた。
一向に感情を口に出してはくれない相手の本心に初めて気付いた、と云うよりは何となくは知っていた事に確信が持てた事に驚いている様子。
言い倦ねたまま黒目がちの瞳はじっと越知を捉えていた。
「こうなる事を恐れていた。」
最後に短く添えて口を噤んだ。
紺青混じりの銀髪が悲しげに揺れ手の代わりに顔を覆う。
「俺やって、忘れて欲しないです。」
毛利には絞り出すようにそう告げるのが精一杯で。
瞠目したまま仕草の一つ一つを焼き付けながら、何を言おうか考える事すら忘れていた。
越知もまた、真剣な視線に思考等は無いのだと理解した上で制止せずに無言に耐えていた。
「月光さんて、」
暫く続いた静寂を破り、毛利がかさついた喉から乾いた声で語り始める。
「何ちゅうか…女の人みたいですよね。」
本当の意味を解せずに口元を引き結んで見つめると慌てて両掌を見せ否定する。
「あ!いや、ちゃうんです、女々しいとかやなくて…そない細かいこと考えるとか…俺には出来へんから…尊敬しとったっちゅーか…。」
絡まる思考を落ち着けようと首筋に唇を寄せる。
そこは消えかけたものとつい最近付けられたものが肌を埋めるように混在していた。
「忘れる事なんて、何も考えてへんかった。」
解けないそれに泣き出しそうな背を掌で撫で下ろし、頭上で浅く溜息を吐く。
越知の仕草に好意と自覚が溢れ小さな胸を満たす。
「当然だ。……お前はそれで良い。」
「言われたら、気になって…忘れられへん…っ」
とうとう涙が溢れ駄々を捏ねる子供の様に胸を軽く叩く。
愛おしげに受けた後自嘲を零してそっと制し、背を撫で告げた。
「…そうなって欲しかったのかも知れない。」
「え?」
自らの嗚咽に聞き逃したそれを再度、と促す調子で見上げる。
表情は先程より穏やかで。
「俺の不安を知って欲しかった…もとい、忘れてしまうのなら…お前が忘れずに居れば良いと。お前に全てを押し付けようとした。」
自嘲に歪む唇を次に開くまでに毛利は自分の唇で塞いでしまっていた。
涙の塩気にも構わず舌を触れさせ、絡め、吸い付く。
「ッ…!ん、ん…」
雫に濡れた顔が近付いた所で瞼を閉じた。
これも、忘れたくない光景で感触で温度で、大切な時間だというのに。
口惜しさも快感に負け二人の雁字搦めの思考は白く溶けていった。
この頭がステンレスであったなら
こんなにもすぐに錆びて風化しそうな事実に溺れただろうか。
呼吸を忘れた時に始まりを思い出す。
全ての始点を忘れているようでは。
息苦しさに唇を離すと越知の目にも涙が滲んでいた。

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