短編

□スランプ
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――私は今、絶賛スランプ中である。





「はぁ…。なーんも思い浮かばない」


昨日、クライアントから依頼があった楽曲のテーマは“春”。
春、と言っても一言では表せないのが日本の良きかなで。
世の中には“春”を題材にした楽曲は多数存在する。


「あー、困ったなぁー」


インスピレーションで作るタイプの私は、スランプにハマるとなかなか抜け出せないのが難点である。
気分を変えようと近所の公園に足を運び、ベンチに座る。
空を見上げると青空が広がっていた。


「良い天気だなぁ。こんな日はどっか行きたいよねー」


そんな現実逃避をしつつある私の耳に、カシャッとその場に似つかわしくない音が聞こえた。


「ん?」


音のした方に視線を向けると、自転車に乗ったスポーティーな青年がスマホを空に向けていた。


『よしっと。この画像を添付して…』
「……あれ?もしかして…」


目の前の青年に、見覚えがあった私はベンチから立ち上がり、近づいていった。


「あのー。もしかして、一十木音也くん?」
『っ!?…って、あれ?君は…』


爽やか青年の正体は、早乙女学園時代に同じクラスだった一十木音也くんだ。


『わぁ、久しぶりだね!元気だった?』
「うん、元気だよ。って言っても、私は音也くんをテレビで見かけたり、関係者から話聞いたりしてたから久しぶりって言うのも不思議な感じ」
『へへっ、なんか恥ずかしいなぁ』


相変わらず笑顔が似合う音也くんに、私の胸は高鳴った。

卒業から数年が経った筈なのに、私の淡い恋心は消え去っていなかったようだ。


「今、舞台のお仕事で忙しいんでしょ?色んな所で広告も見かけるよ」
『ありがとう!俺さ、こんなに長い期間舞台やるのって初めてで。公演内容は同じでも、毎回どこか違うのが楽しくてさ!…まぁ、たまにミスもしちゃうんだけどね』


楽しそうに舞台の事を語る音也くんに、私も自然と笑みが溢れた。
いつも一生懸命で、音楽が大好きで。楽しいって感情がすごく伝わってくる。

学園時代に一度だけ、音也くんとパートナーになったことがあった。
私のパートナーだった人が急に退学になり、急遽お願いした相手が音也くんだった。


音也くんと一緒に曲を作って、音楽ってこんなに楽しいんだって改めて思わせてもらった。
それがきっかけで、私は音也くんを目で追うようになって…。

だけど、恋愛禁止令があった学園で、私は音也くんに告白をする勇気は無かった。
困らせるのも目に見えてたし、自分の夢が諦められなかったから。
私はその想いに鍵を掛けた。

卒業後、私はシャイニング事務所に入ることは叶わなかったけれど、シャイニング事務所と繋がりのある別の事務所にスカウトされ、若手にしては有難い量の仕事をもらっている。


『そうだ。よかったら今日の舞台、観に来ない?』
「え?」
『あ。今、忙しい時期だった?』


“実は仕事のスランプ中なんです”
なんて言えるわけもなく。だけど、折角の申し出を断るのも勿体ないし…。


「で、でも急に行っても迷惑じゃない?席だって毎公演満員だって聞いてるよ?」
『席は大丈夫だよ。関係者席はまだ空いてたと思うし、折角だから皆にも会おうよ!』
「……」


正直に言えば、皆にも会いたい。
仕事も昨日もらったばかりで、今日1日なら挽回も出来る。スランプが抜けたら、だけど…。


『無理なら仕方ないけど、出来れば観に来てほしいんだ。…なにかあったんじゃないかなぁと思ってさ』
「か、顔に出てた?!」
『んー、雰囲気…かな。だから、気分転換にもどうかなって。俺たちの舞台もすっごく面白いし、損はさせないからさ!』
「…ふふっ」


真剣な音也くんの押しに負けた私は、思わず笑ってしまった。


『え?俺、今なんか変なこと言った?』
「ううん。ありがとうね」


音也くんのそういう所が変わってないから、なんだか嬉しくなった。
舞台を観たら、スランプも抜け出せるかもしれないよね。


『俺、皆に伝えておくよ。会場に着いたらスタッフさんに声かけてね』
「うん、わかった」
『絶対に、今日も良い舞台にするから!』
「楽しみにしてるよ」
『うん!それじゃあ麗(れい)!また後でね!』


音也くんは私に背を向けると、軽快に自転車のペダルをこいで行った。


「最後のは反則でしょ〜っ」


私は音也くんの姿が見えなくなるのを確認して、その場にしゃがみこんだ。
はにかみ笑顔で私の名前を呼ぶとかズルい!
色恋沙汰に免疫のなかった私には十分すぎる刺激だよっ!


「…って、舞台に行く準備しなくちゃ!」


舞台観る時ってお洒落しないとだよね?まさか普段着で行くわけにもいかないし!


走り出した私の足は、公園に来た時よりも軽くなっていた。

そして、自然と頭の中で流れるメロディを口ずさみながら、私は自宅へ向かうのだった――…










End♪

 

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