短編

□どうか気づかないで
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私は今、パートナーである一ノ瀬トキヤと共に課題に取り組んでいる。
トキヤは自分にも他人にも厳しく、完璧を求め、日々の努力を惜しまない人。
傍から見れは、隙のない堅苦しい人だと思われる事もあるが、そんな彼にも他人には見せない顔があることを私は知っている。

『麗(れい)…』

切なげに私のことを呼ぶトキヤの声に振り返り、何も言わずにトキヤの傍に近寄る。

『抱きしめてください』
「ん」

トキヤはたまに、言葉少なで甘えてくる時がある。
それにはもちろん理由があって。
やり切れない気持ちで一杯になったときや課題に行き詰ったときなど、自分では抱えきれない悩みが彼の中に充満したときだ。
今回は恐らく後者のほうだろう。
今、トキヤと同室の音也くんはパートナーの春歌ちゃんとレコーディングルームに行っている。
なので私達は、課題をトキヤたちの部屋で進めていたのだが…。

『私には何が足りないのでしょうか。ラブソングひとつまともに歌えないなんて』
「トキヤ…」

きっと、さっき日向先生に言われたことをずっと考えていたんだ。
“お前の歌は完璧だ。だけど足りないものがある。それが分からない内は合格をやることはできねぇな”
日向先生の言いたいことはわかる。
そう。トキヤは完璧なのだ。与えられた曲を、歌詞を理解し完璧に歌い上げる。
しかし、トキヤの曲は聴いていてもドキドキわくわくが伝わらないのだ。
ラブソングにも勿論だが、曲には喜怒哀楽がある。
それを伝えたいのに、どうしたらトキヤに上手く伝えられるのかが私にはわからないでいた。
言葉のまま伝えたとしても、“そんなことはわかっていますよ”って一蹴されそうだし。

「トキヤは…さ。恋ってした事無いの?」
『そうですね』
「まったく?」
『ええ。全くもって』

うーん。これは困ったぞ。
恋愛も十人十色だが、恋をした事があれば共感できる部分があって歌う時の感情移入はしやすいと思ったんだけど。
トキヤにとって思い出すほど記憶に残る恋愛もしたことがないとは…。

『…そういう貴女はどうなのです?』
「へ?」
『恋愛をしたことがあるのですか?』
「ま、まぁ人並みには」
『恋をすると貴女はどうなるのです?』
「え?えーっとー…」

なぜ、そんな純粋な瞳でこちらを見上げるのか。
そしてこの、私と向かい合わせでトキヤはデスクの椅子に座ったまま、私の腰に腕を回している状況から変化はないのですね。

「うーんと、やっぱり一日中相手のことを考えるでしょー。後は一緒に居るだけでドキドキしてまともに話せなくなったりだとか」
『よく聞く話通りですね』
「そうかもしれないけどっ!…けど、私の場合は相手の人に無意識に甘えちゃってるかな」
『無意識に…甘える?』
「うん。私この人に甘えてるんだなぁって」
『…それはどういう時にですか?』
「えー?そうだなぁ。喜怒哀楽が出せる人…というか、出ちゃう人かな」
『自分の感情が出せる、ということでしょうか??』
「うーん。間違ってはいないけど…」

なんていうのかな。
やっぱり人は人と関わらずしては生きていけないからさ。

「他人といると何かしら気を使うし、怒りっていう感情はなかなか出せないと思う。でも全ての感情をさらけ出すって事はさ、その相手が自分を受け入れてくれるってのは、ある種の甘えなんだと思う」
『そう、ですか』
「後はこれも在り来たりだけど、自分のペースが乱れたり、相手の言動に一喜一憂しちゃうとか。結局は好きな相手には嫌われたくないんだよね」

まぁ、この学園は恋愛禁止だし(両思いじゃなきゃいいらしいけど)最近恋愛をしていないのは私も同じだから、あまり偉そうな事は言えないんだけど。

『………』
「トキヤ?」

トキヤは何か考え込む風にすると、急に私から身体をガバっとはがした。

『す、すみません。今日はもう少し自分で考えてみます』
「私はいいけど…大丈夫?」
『ええ。お時間を取らせてしまってすみませんでした』
「わかった…ってあれ?トキヤ顔少し赤くない??熱でも出たんじゃ…」

と、トキヤのおでこに腕を伸ばすと手を払われてしまった。

「っ?!」
『あ…。申し訳ありません…。私は本当に大丈夫ですので』
「う、うん。お大事にね」
『はい。それでは明日』
「うん。また明日ね?」


――ばたんっ。


「トキヤはビックリしただけだよね。普段ならあんなことしないし…」

それにこの胸の苦しみはなんだろうか。
もう少しトキヤに触れていたかったなんて。



私がこの感情の名前を思い出してしまったら、もう後には引けない。






『まさか私が…。麗(れい)のことを――』










End♪
 

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