世界の中で、あなただけが

□たったひとつの触れる方法
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わたしがマスルールさんて出会ってから、もう一月はたったと思う。
わたしは今日もあの人に会いに行く。シンドリアという島国の、動物たちがたくさんいる森へ。そこに行けばあたたかくてやさしい、大好きなマスルールさんがいる。

わたしは目を閉じて意識を集中させる。ふっと何かから切り離される感覚がして目を開ければ、目の前には目を閉じた"わたし"がそこにいる。

「じゃあ、いってくるね」

ふわりと宙に浮かんだままのわたしはそう"わたし"に声をかけた。
ここから出ることのできない"わたし"のために、今日もわたしはこうして外の世界に翔ていく。

わたしのそばにルフたちがあつまって、目の前が真っ白に染まる。ピィピィという声だけが耳に響く。
そしてそのまま流れに身をまかせるようにしていると、ひときわ高く、大きな声でピィーーっという声が聞こえて、わたしは目を開けた。
バサバサとルフたちが飛びたち、しかいがはれるとそこにはもうすっかり見なれた緑うつくしい森が広がっていた。

マスルールさんはまだ来ていないみたいで、わたしはマスルールさんが来るまで動物たちとおにごっこをして遊ぶことにした。
わたしはみんなに触ることはできないから、こうやって遊ぶことしかできない。
お話しして、歌って、いっしょに走りまわる。目で見て、耳で聞く。だけどそこに、さわって感触を、暖かさを感じることはできない。

それは少し残念だけど、それでもあそこにずっといることよりも、今の方がずっといい。だって、

「ティア」

わたしだけの名前を呼んでくれるあなたがいる。

「マスルールさん!」

わたしを見てくれるあなたがいる。

「遅くなって、悪かった」

わたしに触れることができるあなたがいる。

それが何よりもうれしくて、それだけで幸せだと感じられる。

「今日はどうする?また何かお話ししてくれる?それとも何か歌を歌おっか?マスルールさんといれば、何をしたって楽しそう!」

わたしが本心からそう思って言って笑えば、マスルールさんもほんのわずかに口元をゆるませて笑ってくれた。

「ティア、今日は町に出よう」

「まち?」

首を傾げるわたしに、マスルールさんは町がどんなものなのかを説明してくれた。
それを聞いているうちに、なんて楽しそうな場所だろうとわたしは目を輝かせた。

「行ってみたい!マスルールさんも、いっしょ?」

そう聞けばマスルールさんは頷いてくれて、そしてわたしの手をにぎってくれた。

そのまま手を引かれて森をぬけ、人がたくさんいる町へとついた。
マスルールさんははぐれると危ないからと手を離してはくれなかったが、わたしは逆に手をにぎってくれることが嬉しかったから素直にうなずいて笑った。

「わぁー、すっごぉい!ねえねえマスルールさん、あれはなーに?」

初めて見る物や果物にわたしはきょろきょろと周りを見ながらマスルールさんに尋ねた。
言葉は少ないけれど、マスルールさんはちゃんと答えてくれる。それが嬉しくて…………だから、わすれていた。

「おい!マスルールじゃねぇか。こんな所で何してんだ?一人でさ」

「あ………………」

わたしが、人には見えない存在だということを。

マスルールさんより肌の色が濃い、真っ白な髪をしたお兄ちゃんの言葉に、わたしはそのことを思い出して顔を俯けてしまった。

「……一人じゃないです」

「は?」

「ちゃんといる。ティアはここに、俺と手を繋いでる」

ぎゅっと、さっきよりも強く手をにぎったマスルールさんはわたしに言い聞かせるようにそう言った。その力強い言葉に、わたしはハッと顔を上げた。
マスルールさんはまっすぐにわたしを見つめていて、その赤い瞳にわたしはほっとした。

「大丈夫だ。じゃ、先輩、俺たちもう行くんで」

「はあ?お前なにわけわかんないこと言って……」

白髪のお兄ちゃんを無視して、マスルールさんはわたしの手を引いて歩いていく。

「マスルールさん……」

「ティア、もう少し歩くぞ」

見せたい場所がある。そう言ったマスルールさんにどこにいくのか気になったけれど、聞いても答えてくれなかったからわたしは黙ってマスルールさんについていった。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





そうして、マスルールさんの足が止まった時にはオレンジ色のあたたかな光が辺りを照らしていた。

「夕日……。すっごくきれいだね、マスルールさん。わたし、こんなにきれいな夕日を見たのは初めて」

マスルールさんが連れてきてくれた場所は人がいない静かな浜辺で、寄せては引いていく波の音だけが響いていた。

「ティア」

わたしの名前を呼んだマスルールさんは、わたしをひょいと抱き上げた。いっきに高くなった視界にびっくりしたけれど、そのぶんマスルールさんが近くなったことに気づいた。
それにわたしは嬉しくなって、いつも見上げていたやさしい赤色をした髪に手を伸ばした。

「あ………………っ」

すり抜けたてのひらに、わたしは触ることができないことを思い出した。
見ることも聞くこともできるのに、触れることはできない。
それは、ここにいるのはホントウのわたしじゃないから。だけどわたしは"わたし"で、ちゃんとここにいるはずなのに………。

「っ……マスルールさん。わたしは……わたしは、ちゃんとここにいるよね?夢なんかじゃ、ないよね……?」

時々怖くなるのだ。これは"わたし"が都合のいいように見ている夢なんじゃないのかと。
本当はわたしはここにいはいなくて、あの冷たくてさびしい場所にいて、目の前にいるマスルールさんは、わたしが作り出したまぼろしなんじゃないかって。

自分の小さなてのひらを見つめていると、すっと大きなてのひらがわたしのてのひらをつつみこんだ。

「夢でも、幻なんかでもない。俺もティアもちゃんとこの世界に存在してる」

「ほん、とう…………?」

「ああ」

その言葉はわたしの耳にやさしくひびいて、不安に満ちた心に溶けこんだ。あんなにも怖かったのに、マスルールさんのたった一言でそんなものなくなってしまった。

ぎゅっとにぎってくれるマスルールさんのてのひらは、きっとあたたかいんだろう。だけどわたしがそれをしることはできない。

「わたしも、触れたらいいのにな………」

ポツリと呟いたわたしの言葉に、マスルールさんは触れると断言した。それにわたしはムリだよと首を振る。

「できないと思うからできないんだ。大丈夫、ティアならできる」

やさしく、だがキッパリとそう言うマスルールさんの言葉に、わたしは迷った。

今までも何度も試してみたけれどダメだった。わたしは触れないんだとあきらめていた。だけど………なぜだろう、マスルールさんが言うともう一度ためしてみようかという気持ちになる。

それは、わたしが心の中でこの人に触りたいと強く思っているからかもしれない。
この人の感触を、あたたかさを感じたい。ぬくもりに触れたい。

「……わかった。やってみる」

頷いたわたしに、マスルールさんも頷いて返してくれた。
そっとはなれていったマスルールさんのてのひら。わたしの手より大きなそれに、わたしは怖々と手を伸ばす。

「(大丈夫、きっと触れる。だってわたしもマスルールさんも、ちゃんとこの世界に存在してるから)」

マスルールさんが触れるならわたしだって触れるはず。自信を持って、勇気をだして、きっと大丈夫だから。そう心の中で何度も呟いて、わたしは最後の距離を縮めた。

怖くなって目を閉じた。すると、トンと指先に何かがぶつかる感覚がして、わたしはハッとして目を開けた。

「あ…………」

わたしの手は、マスルールさんの手をすり抜けることはなかった。
目を瞬かせて、トントンと指先でてのひらをつついても、やっぱりすり抜けることはなかった。

「マ、マスルールさん!わたし、わたし…………っ」

いろんな感情がないまぜになって、うまく言葉にできないまま顔を上げた。
そしたら、マスルールさんは今まで見たことのないとてもやさしい顔をしてわたしを見ていた。

「触れただろう?」

「うん、うん…………っ」

ぎゅっと手をにぎられて、わたしも同じようににぎり返した。触れる、ただそれだけがうれしくて、わたしは涙がでそうになった。

触れることのできたマスルールさんの手は、あたたかかった。そのぬくもりを感じられることが何よりもうれしかった。

「ありがとう、マスルールさん」

マスルールさんの首に抱きついて、わたしは心の底から感謝した。










たったひとつの触れる方法

それは、信じること。

自分も、相手も、確かにこの世界に存在しているのだと。触れ合うことができるのだと。

わたしはこの時はじめて、この世界に存在できた。

それを教えてくれたのは、他でもないあなたでした。





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