世界の中で、あなただけが
□あなたが気づくことはない
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すうっと体全身に何かが満たされる感覚がして、わたしはゆっくりと目を開けた。
そこに映るのはいつもと変わらない灰色の薄暗い石の天井で、先程まで見ていた美しい新緑の森も、たくさんの動物達もそこにはいない。
まるで夢を見ていたようだと、いつも思う。
「(でも……だけど今日のあれは…夢、じゃ…ないよね……?)」
夕日のように、やさしくてあたたかい赤い色の髪の毛に、ちょっとこわいけれどキレイな瞳の男の人。
今までいろんな人を"見て"きたけれど、あの人はどの人とも違うように思えた。
「(だって、わたしに気づいてくれた。わたしの声を聞いてくれた)」
あのキレイな瞳はまっすぐに自分を見ていた。間違いない。
ちゃんと"わたし"を見てくれたのだ。誰の目にも映るはずのない"わたし"の姿を、その存在を。
「(うれしい)」
うれしい うれしい うれしい うれしい うれしい
たったひとつの感情がおさえきれないように心のうちを荒れ狂う。
うれしくてたまらない。こんなにうれしい気持ちはきっとはじめてだ。心が太陽の日差しをいっぱいにあびたようにポカポカとあたたかい。
「ふふっ、あなたたちもうれしいの?」
わたしの周りをパタパタと飛び回っている白くて小さな小鳥(ルフ、というらしい)を見てそう言えば、そうだよ、とうれしそうな声がわたしの耳にひびいた。
それにわたしはもっとうれしくなって声をあげて笑った。
『小さき子よ、どうしたの?』
羽ばたきの音が聞こえてそっちを見たら、この部屋に唯一ある窓の所に友達のルルがとまっていた。
「ルル!あのねあのね、聞いて!わたしね、今日ね!」
『ふふっ、少し落ち着いたら?大丈夫、ちゃんと聞いてあげるから』
おかしそうに鳴き声をあげたルルはわたしの掌まで飛んできて『さあどうぞ』とその黒い瞳でわたしを見上げた。
それにわたしは話しはじめた。今日おこった、とっても不思議でとってもうれしい出来事を。
「うん。あのね───」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
赤い人に出会った日の翌日、わたしは昨日とまったく同じ時間・場所に来ていた。
「(あの人は、またわたしを見つけてくれるかな……?)」
あのキレイな瞳に、もう一度わたしを映してくれるだろうか?わたしの声を聞いてくれるだろうか?
そう不安になったけど、昨日話を聞き終わったあとルルが言ったことを思い出した。
『大丈夫。きっとその人は貴女を見つけてくれるわ。絶対に。貴女がそう願えば、きっと叶うわ』
本当かな?だって今までもそう願っても誰もわたしを見てくれなかった。わたしの声を聞いてくれなかった。
一番のともだちであるルルをうたがうわけじゃないけど……やっぱり不安だ。
でも、もしかしたらっていう希望が消えない。あの人なら……あの人なら大丈夫なんじゃないかって思うの。
「(だから……だからどうか……届いて)」
わたしはそう願いをこめて歌った。あの人の耳に届きますように、聞こえますように、そう願って。
歌を歌って暫くして、わたしの周りには昨日のようにたくさんの動物達が集まってきた。
だけど会いたいあの人はまだ来ない。
「(やっぱり、聞こえないのかな………)」
もう歌うのをやめようか。そう思った時だった。動物達がパッと逃げていった。
わたしはハッとして歌うのをやめる。そしておそるおそる、ゆっくりと振り返る。
「(ああ………!)」
いた。来てくれた。あの人が、待ちに待ったあの人が、そこに立っていた。
「あ、あの………!」
言いたいことがたくさんあるのに、聞きたいことがたくさんあるのに、わたしはあの人のキレイでまっすぐな目に惹かれてうまく声がでなかった。
「………見つけた」
「え……?」
ぽつりと呟かれた言葉と共にあの人は膝をついて、わたしの目を覗き込むように顔を近づけてきた。
「ちゃんと、見つけた」
「っ………!」
ああ、ちゃんと聞こえたんだ。あの人の耳に、わたしの声は届いたんだ。
あの人のキレイな目に、わたしは映っているんだ。見えているんだ。
「っ……あり、がとう……」
気づいたらわたしは涙を流していた。こんなに泣いたのもはじめてだ。こんなにうれしいのも。
「な、泣くな……」
ポロポロと泣くわたしにどこか困ったような顔をしながら手をさ迷わせるその人がほんの少しおかしくて、わたしは思わず笑ってしまった。
わたしが笑えばほっとしたような顔をするから、わたしはそれがまたうれしくて笑った。気づけば涙はとまっていた。
「そういえば……まだお前の名前を聞いていない」
「な、まえ……?」
名前。たしか生きているものたちには名前があると、ルルが言っていた。
だけど、わたしは……、
「名前、ない……」
「 ? ないのか?」
じっと見られるも、わたしには本当に名前がないため首をふる。
ルル達には『小さき子』と呼ばれているが、それは名前ではないとルルは言っていた。
「…………。俺の名前はマスルールだ」
「マスルール、さん……?」
「そうだ。……で、お前の名前はティアだ」
「ティア……?わたしの…名前?」
指を指しながらそう言ったマスルールさんの言葉にわたしは目をパチクリさせた。
ティア……ティア……それが、わたしの名前?
「名前がないと呼べないだろう?」
さも当たり前のようにそう言うマスルールさん。
名前で、呼ぶ……。名前……わたしだけの、名前。
「……嫌か?」
無表情にそう聞くマスルールさんに、わたしは大きく頭を振った。
「いやじゃない!……いいの?わたしに、名前をくれるの?」
「ああ」
ティア、と呼ぶその声にわたしはドキドキと心臓が速くなるのを感じた。
「マスルールさん」
「ああ。……ティア」
「はい!マスルールさん」
マスルールさんの名前を呼べば、マスルールさんも答えてくれる。
マスルールさんがわたしの名前を呼べば、わたしも返事をした。
たったそれだけのことなのに、とってもうれしい。
「マスルールさん、マスルールさん」
「ティア」
はしゃぐわたしを宥めるようにマスルールさんがわたしの名前を呼んで頭の上に手を置いた。
わたしはそれにキョトンと目を丸くさせる。
「歌を、歌ってくれないか?」
「歌?」
首を傾げれば、マスルールさんは頷いた。
「お前の歌は綺麗だ。もっと聞きたい」
「 ! はいっ!」
そんなことを言われたのははじめてだ。マスルールさんに会ってからはじめてなことばかりだ。
でも、嫌じゃない。むしろ聞いてほしい。わたしの歌を…わたしの声を。
わたしを見てくれる、この人に聞いてほしい。
わたしは笑って頷いて、言われた通り歌を歌った。
よろこびの歌を、幸せでいっぱいにあふれた、わたしの歌を。
あなたがきづくことはない
あなたがわたしを見てくれて、どんなにうれしかったか、どんなに待ち焦がれていたか。
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