世界の中で、あなただけが

□交わらないふたつの世界
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今日もシンドリアの空は青い。

シンドリアの周りに広がる海のように青く澄み渡った綺麗な青空。自分はこの空が好きだった。
そしてほんの少し海の匂いがする風も心地好い。

こういう天気の日は昼寝をするのが一番だ。
後でジャーファルさんや先輩に何か言われるだろうが、まあ別にいい。

そんなことを思いながら王宮内にある森に足を踏み入れる。

「(ここはいつも変わらないな)」

青々と茂った木々からの木漏れ日の下を歩けば、ちらほらと動物達の姿が見えた。

いつ来ても変わらない平和な景色。だがふと耳に聞こえた"声"にその足はピタリと止まった。

「(何か……いる?)」

動物達の鳴き声と混じって聞こえる、それとは違う声にじっと耳を澄ませる。

「(高い声……女……いや、子供か?)」

何かの歌詞を口ずさむ声は確かに人間で、その声の高さはまだ声変わりしていない子供のそれだ。

耳に心地好い、透き通るような綺麗な声だと素直にそう思った。

暖かくてやわらかい響きの歌声に、俺は誘われるように声のする方を目指した。

「(あれは………)」

木々の先の開けた場所に見えたのはオラミーやパパゴラスといったシンドリア特有の動物やその他の動物達。
皆一様に地に伏せ目を閉じてその歌声に聴き入っていた。

そしてそんな動物達に囲まれながら歌っていたのは小さな小さな子供だった。

太陽の光にキラキラと輝く金色の髪は見慣れたピスティの金髪よりもやや薄く、その長さは地面について尚余るほどで、一見すれば金色に埋もれているようにも見えた。
こちらに背を向けているその少女の瞳の色や、表情はわからない。

いつもなら他人にあまり関心を示さない己の心が、この時ばかりはこの少女がどんな顔をしているのか、どんな瞳で自分を映してくれるのかひどく気になった。

気づいてほしい、見てほしいという想いから俺は無意識のうちに一歩足を進め、足元の草がカサリと音を立てた。

しまったと思った時には既に遅く、動物達は蜘蛛の子を散らすようにパッと森の奥に姿を消した。
そして少女の歌もパタリと止み、辺りは梢が揺れる音だけが残された。

しかしその少女はこちらに気づいていながら振り返ることはなく、暫く無言が続いた。

「………おい」

「……………。」

声をかけてみても反応はない。もしかして耳が聞こえていないのか?と俺は少女にもう一歩近づいた。

「おい。聞こえていないのか?」

「えっ……?」

その細い肩に手を乗せれば、少女は驚いたようにこちらを振り返った。
少女の見開かれた大きくて丸い瞳は、今まで見てきた瞳と全く異なっていた。

長い睫毛に縁取られた少女の瞳の色は海のように澄み切った青色と樹海のような深い緑色をしていた。
そのあまりの神秘的な色合いに引き込まれるように目を見張っていた。

「お前は……なんだ?」

自然と口を開き、気づけば俺はそう問いかけていた。

この少女は何かが違う。
何が、と聞かれたら説明はできないが、違うのだ。

そのさらりと靡く黄金色の髪も、左右で違う瞳も、空気を震わせる歌声も、少女の全てが美しく、綺麗で、神秘的な雰囲気を纏っていた。

まるでこの世に実在しないかのような、触れることもできないような、そんな不確かで曖昧で、儚い存在だった。

そう感じたからこそ、俺はそう問いかけたのかもしれなかった。
本当に今俺の目の前に存在しているのか、幻ではないのか、ただそれだけが知りたかった。

「 ! わ、わたしのことが…見えるの……?」

少女はひどく驚いたように俺を見つめ、俺が少女の言葉に首を傾げながらも頷けばますます瞳を丸くさせた。(それはもう、目玉がころりとこぼれ落ちるんじゃないかというくらいに)

「う、うそ……。わたしのこと、見えるなんて……」

わたわたと腕を上下に振りっている少女は焦っているのか困っているのかわからない。

「はじめて。わたしを見つけてくれたの」

「………そう、なのか?」

ぱっと顔を上げて二色の瞳で見上げてくる少女は何やら嬉しそうで、先程感じた雰囲気はなかった。普通に明るくて可愛らしい小さな女の子だ。

「……で、お前は何なんだ?」

「あ、えと……わたしは……」

そう少女が口を開きかけた時だった。後ろの叢(クサムラ)がガサガサと鳴って人が現れた。

「マスルール!まったく、こんな所にいた。探しましたよ」

「ジャーファルさん……」

パタパタとクーフィーヤや服についた葉っぱを払いながら近づいてきたジャーファルさんは怒った顔をして俺を見上げてきた。

「あなたまた鍛練をサボりましたね。おかげであちこち探し回る羽目になったじゃありませんか。私も暇じゃないんです。いちいち手間かけさせないでください」

「……はぁ。すみません」

ぐちぐちと説教を聞かされて、俺は少女の方を気にしながらも無表情でその場に立っていた。

「……で、結局何の用スか?」

「ああそうでした。シンが呼んでいるんです」

「シンさんが?」

「ええ。ですから早く行きますよ」

そう言って急かすジャーファルさんにこの少女のことを話そうと少女を前に出した。

「ジャーファルさん、この女の子はどうしますか?」

「………は?」

首を傾げるジャーファルさんに少女を指差して再度同じことを言った。

「マスルール?あなた何を言っているんですか?」

「………は?」

ジャーファルさんの胡乱げな視線に今度は俺が首を傾げる番だった。

「ここには私とあなた以外誰もいませんよ」

「え………」

一瞬、言われた言葉の意味がわからなかった。

だってここにいるのに。自分の隣に、手を握って、ちゃんといるのに。

「(見えていない……?)いや、ここっスよ。ほら……」

「何も……触れませんけど?」

「 !? 」

ジャーファルさんの手が、少女の頭をスッとすり抜けた。
少女は動じず、ただ静かにそこに立っている。

「マスルール、遊んでいる暇はないんです。私は政務室に戻りますが、ちゃんとシンの所に行ってくださいよ」

眉間にシワを寄せたジャーファルさんはそのまま去っていってしまって、俺は何が何だかわからなきて呆然とその背を見送った。

「………これが普通なんだよ」

静かな空間にぽつりと少女の呟きが落とされた。

「普通のひとに、わたしは見えないし、触れることはできないの」

「………どういう、意味だ?」

自然と固い声が出て、小さな少女を見下ろした。
少女は俺を見上げて、白くて細い腕を持ち上げて俺に向かって伸ばした。

「………ほら」

「 !! 」

その指先が俺の腕に触れるかと思いきや、それは先程のジャーファルさんの手と同じようにスッとすり抜けた。

「お兄ちゃんは不思議だね。どうしてわたしが見えるの?どうしてわたしに触れるの?」

首を傾げて少女は尋ねるが、そんなもの、俺にだってわからない。

この少女はいったい何者なのか。

「お前は……何なんだ……」

「わたし?……さあ、なんだろうね。わたしにもわかんないや」

するりと握っていた手がすり抜けて、少女は立ち上がると俺から少し離れた。

「また会えたらいいね。……いや、あなたが見つけられたら……かな。それじゃあ、ばいばい」

ふわり、と少女の体が浮き上がって長い長い黄金色の髪が大きくうねった。

そのまま少女は笑顔を浮かべたまま、周りの景色に溶けるようにして消えてしまった。










交わらないふたつの世界


最後に見たものは、少女の青と緑の綺麗な瞳だった。





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