長編夢小説 『 Unusual world 』 

□『第1章』 2話 - 陰の世界 -
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『第1章』 2話 - 陰の世界 -


















祖父秋元 康が死んだのは、一ヶ月と少し前の事だった。






不仲の両親に代わって私をずっと見守っていてくれたのは、祖父だった。

ただっ広いこの屋敷に一人で住んでいた祖父は、

幼い私を何も言わずに迎え入れ、以来十年以上の歳月を、二人はこの屋敷で共有した。



二人でも持てあますくらい広いこの屋敷では、

それほど親密な交流があったとは言えないが、それは二人にとって最適な距離感だった。




左手と左足の麻痺が原因で他人の奇異の目に晒され続けた私には、

祖父の空気のような存在感と、時折投げかけられる、どこか寂しげな優しい瞳が心地よかった。

祖父もまた、自分をとても大切な存在として想ってくれていたと思う。



父も母も、自分の事で手一杯で、自分に本当の意味で向き合ってくれた人はいなかった。



だが、祖父はそうじゃなかった。

祖父は私にとって、生まれて初めてできた本物の『家族』のようだった。






祖父の屋敷に来た十年前以来、梨花はほとんど家を出ていない。

日も昇らない明け方にふらっとランニングに出かけ、朝日が眩しくなる前に戻るくらいだ。






私にとって、屋敷の外の世界というのは――

――そう。『昼の世界』というのは、酷く縁遠いものに感じられた。

友達も、先生も、すれ違う人も皆、自分と会うと変な顔をして、言葉に詰まる。

私の左手と、左足に宿った不幸を哀れみながら、どう言葉を投げかけたものか思案するのだ。

私は周りのそういう表情が、一番嫌いだった。

それを見るたびに、あの母親の沈鬱な瞳を思い出すのだ。







そして、いつしか思うようになった。




ああいう表情をする人々と、私は、全く違う世界の住人なのだ、と。



・・彼らは日の光を燦々と浴びる昼の世界の住人。




私は陰に身を潜めて息を殺す、陰の世界の住人・・。





二つの世界の住人は、互いに相容れない存在なのだ。

昼の世界の住人は昼の世界で生きればいい。

陰に身を潜めている、五体不満足な少女の事など、知りもしないでいればいい。

そうしてくれれば、自分だって奇異の目に晒されなくてすむ。

そしてそれは、自分が昼の世界に求める唯一のものだった。



だから私は屋敷にこもった。


屋敷の中は安全で、安寧で、安心できた。

祖父は自分とどこか同じ匂いがして、側にいたとしても苦痛ではなかった。



それに祖父は、昼の世界を拒否した私を、責め立てたりしなかった。

もちろん間違った事をすれば叱ってくれる。

むしろそれしかしてくれないが、それで十分だ。

それで、両親よりはるかに私の事を思ってくれているとわかるから。



幸いにも今は学校を通わなくても、量子通信(ネットワーク)を介して良質な通信教育が受けられる。

運動をしたければ広大な屋敷の一角にある武道場で、祖父がなんだかよくわからない格闘技の稽古をつけてくれる。

夜は人工筋肉付きの義足で毎晩ランニングもする。

学校みたいに休日なんてないから毎日それをやっていたら、通学するよりもずっと早いペースで高卒単位を取得できている。





そういう、最低限やるべき事を教えてくれた(勉強とか、運動とか)のは、

全て祖父だった。

私の世界は、真夜中のマラソンで見る誰もいない朝靄のかかった街と、祖父の言葉少ない教えだけだった。

それでよかった。

そうして過ごす時間は、自分が普通の人でない事をいちいち囁かないし、

祖父から学べば学ぶ程、鍛えられれば鍛えられる程、

自分はいつか、外の世界の誰にも頼らずに、一人で生きられるかもしれないと、希望と自信を持つ事が出来た。






「・・・おじいちゃん。」

そんな言葉を呟き、一人目元を拭う。



私に様々なことを教えてくれた祖父。

その祖父は今、仏壇の額縁で永遠に微笑んでいる。



ついこの間の朝、目を覚まさなかった祖父はそのまま棺に納められた。

葬式の時、涙は止まらなかったが、不思議とあまり悲しいとは思わなかった。



ただ私は呆然としてたのだろう。



これまで自分にすべてを分けてくれたのは祖父だった。

私は単純に勉強や運動を教えてもらったのではない、

ここで暮らしながら、生き方そのものを教わっていたのだ。

そして何より、祖父は家族だった。





梨花自身にとって、唯一心許せる家族。それが、失われた。


人生という台本は今やあっさり失われて、手元に残ったは広大な屋敷と不完全でポンコツな自分の体だけ。

これからどうやって生きればいいのか、さっぱりわからない。


考える気にもなれない。それでも

それでも、現実は変わっていく。

時間は笑えるくらい残酷だ。




祖父が死んで以来、ずっと足を止めたままの自分を、

過ぎゆく時はあっという間に追い抜いていってしまった。




そしてあの日から、私の世界は一変した。

安寧とした時は周りの大人達が廃墟を整理する重機みたいにひっぺがしていく。

私を誰が引き取るのかが自分の頭越しで相談されていて、

屋敷を始めとした祖父の遺産――――

そう"遺"産を、誰が手中に収めるか、親戚達が静かに奪い合いを始めている。

そうして過ぎていった時間で、あれから世界は一ヶ月も経ったらしい。



信じられない・・よ。・・私。


だって、私はまだ、祖父が死んだあの日から、一歩だって動いていないのに・・。
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