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□贖罪の雨
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「お前、卑怯や」

そう言った南の声は、聞いた事ないくらい堅くリノリウムの廊下に響いた。

「…何が」

絞るように発した声は、からからに乾燥して掠れていた。思った以上に緊張して声帯がうまく震えない。

「その一言が、や」
「だから、何が」

進まないやり取りに南の声がいい加減苛々して、声が孕む刺がだんだん鋭くなって、それがあたしを一々攻め立てる。

「お前、俺に全部言わさな気が済まんのか」

あたしの大して細くもない手首を、南の思ったより細い、でもごつごつして骨張った手が無遠慮にぎゅっと掴んだ。掴まれたところから南の熱がじんじんと伝わって、それが息苦しくて欝陶しい。このままじゃ窒息する。

「やめてや。痛い」
「やめへん」

思ったよりか細く発せられたあたしの声が南の声に押し潰されて途方に暮れる。あたしにどうしろというのだ。

「何で、いきなり」
「それが卑怯や言うねん。いきなりて何やねん。何がいきなりやねん。いきなりちゃうやろ」

怒気を含んだ声がついに直接あたしを攻め立てる。いきなりじゃない事なんてあたしが一番よく分かっている。わかってるけど。
言葉が絡んだ喉の奥が熱くて痛くて言葉が出ない。

何がいけないのだ。このままで何が。今までみたいに馬鹿やってくだらない時間を過ごして高校を卒業して、どこかでばったり会うことがあったら一緒に酒でも飲んで、それの何がいけないのだ。
どうして南はあたしたちの間にある細い細い糸を自ら断ち切ろうとするのか。それが切れてしまったらうまく繕えるはずなんてないのに。何もなかった事になんてできない現実を突き付けられるだけなのに。だからあたしは息ができなくても南の手を振りほどけないというのに。
あたし達の間の微妙なバランスはあたしの努力でまたぎりぎり保たれているというのに、どうしてそれを無下にしようとするのか。
そんな事する必要なんてないのに、どうして。


*


今日は南と一緒に帰って南の店のケロヨンを貰うはずだった。こないだサトちゃんをくれた時、ケロヨンも欲しいと言ったら家に腐るほどあるから取りきーやと言ってくれて本当に楽しみにしてたのに。

南が日直日誌を職員室に持って行って、補習に向かう岸本と三人で教室を出たまではよかった。岸本が別れ際あたし達に向かってお前らもう付き合えやと言い、あたしがアホか岸本さっさと補習行きーやと返すまではよかったのだ。

岸本の背中を見送りながら、あいつアホやんなあ、だから補習やねん、そう思わん?と南を振り返ったら南はぐにゃりと顔を歪めていて、あ、しまったと思った時にはもう遅かった。岸本が、南が戻るのをあたしと一緒に待っていたから補習は完璧に遅刻で、放課後の校内は人気がまばらだったのだけが唯一の救いだった。


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