黒蝶はつがいの風にのる

□おいでませ
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「これ……私に、ですか?」


目の前に差し出されたものに、優樹は目を丸くした。


「ええ、君も着物がひとつだけしかないと、何かと不便でしょう」


若葉一色の着物。自分の胸の前にあてながら思わず笑顔が広がった。
それを見て、男の顔にも淡く微笑みが浮かんだ。


「ありがとうございます! 大切にしますね!」




薬草をざるに並べながら、優樹はふふと思わず笑みをこぼした。
視線をおろせば、若葉色が一面に入り込む。

弁慶がくれたもの。そう思うと顔がゆるんで仕方なかった。


「さーて並べ終わった並べ終わった! あとはこれを天日干しにしないとね」



鼻歌を歌いながらざるを軒下に並べている優樹を屋内で見守りながら、男はくすりと笑みをこぼした。


一日中、着物を見下ろしては顔を崩す優樹。
だが、さすがの夜は夜着に着替えざるをえないわけで。

優樹は残念に思いながらも夜着に身を包まれながらすやすやと眠りに落ちた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇



まぶたの先から淡い光が覆ってきて、優樹は思わず目を開けた。

見慣れた教室。整然と並べられた机と椅子。
がらんとしていて、とてもさみしい。ここはさみしい。

ガラス窓からのぞく大きな夕陽に、思わず目を奪われた。
美しいと思うと同時に、もの悲しさと、畏怖の念とも呼べる恐怖を感じた。

ふと何も書かれていない黒板に目を移したとき、はっとした。

しまった。早く教室移動しないと。

いや、教室移動? どこに? いまは何限の間? いや、まずい、授業中だ。
どうしよう、遅刻だ。みんなもう行ってしまっている。

って、あれ? いまは放課後? みんな帰った。
どうしよう、早く帰らないと守衛さんに見つかって怒られ……――。 


「――よっす、どーしたんだー? そんな深刻そうな顔してさ」


はっとして、優樹は振り返った。
ふわり、とひだのついた短いスカートが風でふくらむ。


「ま、将臣……?」


机の上に行儀悪く座っている級友がそこにはいた。
だが、真新しい記憶よりもだいぶ青々しい顔立ちと体つきであった。


「ね、どうしよう……早く行かないと」

「行くってどこに?」

「どこってそれは……」


あれ、と思った。どこに行こうとしていたのか。


「え、と次の授業、に……?」

「おいおい、もう冬休みに入ったんだからよ、授業の話とか勘弁だぜ」


はは、と軽快に笑う級友に、ほっと胸をなでおろすも淡い疑問が浮かび上がる。


「いや、だったらなんで制服着て学校にいるのさ」

「たしかに。それは言えてるわ」


ははは、という笑う級友は疑問に答えてくれたわけではない。


「それにしても、だ。その着物、なかなか似合ってていいじゃねーか」

「何言って……」


制服でしょ、と言おうとして自分を見下ろしたら、若草色の着物を着ていた。
この着物、この着物は――。


「あ、れ……。私、どうして――どうして、学校にいるの。だって、だって私は――」


どこに、いたんだったか。


「あれ、なん、だっけ……」

「おいおい、大丈夫か。寝ぼけているのか? 夢の中でまでねぼけているなんて、お前らしいな」

「ゆ、め……?」

「なんで夢でお前と会っているんだろうな。事実は小説よりも奇なり、ってか」

「夢、って何言って……て、たしかに、そうだ。これ、夢だよね」

「お、ようやく気がついたか」


自分よりもはるかに落ち着いた態度で、将臣は夕陽を眺めていた。


「元気でやってんのか? あいつとはうまくいってるか?」

「うん、元気……だけど……あいつ?」


あいつって一体誰のことを――。


「って、そう! そう、なんだよね」

「なにがだ? 一人で納得して」

「この、着物、弁慶さんがくれたんだ。そうだ、私、向こうの世界に残ってて……」

「まさか、弁慶のこと忘れた、ってか? そんなこと言ったらあいつどんな反応するんだろうな。見てみたいぜ」

「わ、忘れてないよ。忘れるわけない! だって一緒に暮らし――」


はっと優樹は口を押さえた。
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