黒蝶は鮮青の風に吹かれる

□六花を染める思い
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藤原泰衡は、平泉の南の平地にある大社の舞台に構えていた。
軍の主力はそこより離れた地へと配置し、源氏軍との戦に備えていた。


夏にも関わらず、地上は真っ白に染まっていた。季節外れの雪が、平泉の大地に木枯らしを呼んでいた。
夏の盛りに喜び生い茂っていた樹木に、不釣り合いな六花が降り積もる。

幸いなことなのか、不幸なことなのか。空は青々と晴れ渡っており、戦をするに躊躇する必要のない日和であった。


大社の舞台上には、三つの人影が立ち並んでいた。
漆黒の髪を肩に流し、黒曜石の瞳を持つ男が一人。墨染の衣に刺繍された金糸の藤の花が、夜明けの光に照らされて鈍く光った。

その両脇には、白龍の神子と黒龍の神子が控えていた。



「黒龍の神子殿、明日の戦ではあなたの力が要となるだろう」


泰衡が朔へとそう告げたのは、前夜のことであった。
その言を受けた朔は、驚くとともに怪訝そうに眉をひそめた。


「それは、黒龍の神子としての力を期待されているということかしら。……けれど、私は怨霊の嘆きの声を聞くことと、わずかの間動きを止めることしかできないわ」

「あなたは御自分の力をよく理解されていないようだ。黒龍の神子の力はそれだけではないだろう。あなたには――招霊を行っていただきたい」


驚いたような朔の表情を見て、泰衡はわずかに口角を上げた。


「あなたも、幾たびかその力を使ったことがあるだろう。怨霊を自らの元へと呼び寄せる力。その力を以て、荼吉尼天をこの大社へと引き寄せてもらう」

「……たしかに、招霊をすることはできます。けれど、必ず成功するとは限らないわ。相手の力が強ければ強いほど、呼ぶことは難しくなります。それに、荼吉尼天は怨霊ではないわ」

「荼吉尼天は、怨霊を喰らってその力を増幅させていたそうだな。ならば、やつの腹の内には、計り知れぬほどの怨霊がひしめいていることだろう」

「……つまり、荼吉尼天の中にいる怨霊たちに呼びかけろと言うのね」


できるかできないかなど、はじめから聞かれていないのだと朔は理解した。
ただやれと、泰衡は言っているのだ。そこに、私情を挟む余地などなかった。
力不足の己に対する劣等感、不安など、不要なものなのだ。



「……わかったわ」



回想より意識を浮上させた朔は、夜明けの光を浴びながら目を閉じた。
まぶたの裏に、黒い龍の姿が浮かんだ。人の姿を模した、愛しい面影がぼんやりと揺れ動く。

将来を誓い合った黒き龍はすでに己の元から消え去り、たった一枚の逆鱗に縛りつけられている。
その黒い鱗は、政子が持っていた。朔がこれより招霊する荼吉尼天は、政子の身に宿っている。

どうか力を貸して、と届くはずのない祈りを胸の内で捧げた。
ふと、黒い龍の呼び声である低い鈴の音が耳の奥に鳴り響き、朔ははっと目を見開いた。
耳を澄まさねばわからぬほどの、微かな音色であった。気のせいだったのだろうか、いや、確かに今のは、と焦燥が胸中で揺れ動いた。
意識を研ぎ澄ませ何度も呼びかけてみるも、何も聞こえなかった。

やはり己の錯覚であったのだと肩を落としたとき、指先に触れたぬくもりに朔は驚いて隣を見た。


「大丈夫、朔ならできるよ」


対の少女の揺るぎない瞳にあてられ、朔は微笑みをこぼした。


「……どうして、あなたは欲しいと思う言葉をくれるのかしら。あなたに言われると、不思議とそうなんだと思えてくるわ」
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