短編小説
□にゃんて遙かな時空の中で
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もぞもぞ、と弁慶は衾(ふすま)の中で眉根を寄せた。
ああ、眠い。
昨日遅くまで書物を読んだせいだろう。
やめれば良いとわかっているのに、どうもこればかりはやめられない。
ぐぐぐ、と背中を伸ばしたとき、弁慶は動きを止めた。――なんだこの手は。
もこもこの毛。
手に力を込めれば鋭い爪が出てきた。
おそるおそる裏返して見れば――肉球が。
「……どういうことですか、これは?」
自分ではそう言ったつもりだったのだが、口から出てきたのは「にゃにゃにゃにゃにゃぁあ」という獣の声。
「嘘でしょう……」
一室に響いたのは、にゃあ……というむなしい鳴き声であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「こんにちはあ! 今日も書の勉強、を……」
弁慶の部屋にやってきた優樹は、目をきょとんと丸くさせた。
「あれ……弁慶さんいないのかな……? 昨日約束してくれたのに……って、あれ」
この部屋に似つかわしくないもふもふとした塊を見つけて優樹は目を丸くした。
「にゃ……にゃんこ?」
どうしてこの部屋に。
驚きつつも、愛らしい姿にきゅんと心がしめつけられた。
「こ、こら〜だめだよ、勝手に上がっちゃあ」
野良猫が上がり込んだら部屋が汚れ……って、すでにもう……。……。
げふんげふん、と優樹はせきごみした。
って、あれ?
優樹はしゃがみながら、よくよく猫を見た。
――綺麗すぎる。野良猫にしては、やたらと毛が綺麗だ。
違和感を探ろうとまじまじと見つめていると、きゅるり、とした視線で猫が見上げてきた。
その愛らしい姿に、きゅん、とくる。
だが、なんとなくもじもじとしているような、警戒しているような。
そこではっと思い出す。
そうだ! 猫はじっと見つめちゃいけないんだった。
猫にとってじっと見つめられることは威嚇されているのと同意義。
そう、たしか親愛のあいさつは……。
優樹は猫と目を合わせながらゆっくりとまばたきを繰り返した。
猫にとって相手を見つめてゆっくりとまばたきをすることは愛情表現の一種だ。
さあ……私は敵じゃないぞ〜。
だが、相手の猫はいっこうにまばたきを返してくれない。
くっ、だめか。
内心、がっくりしながらも、あきらめない。
私はあきらめないよにゃんこ!
そろ〜と近づいていく。
そして、ゆっくりと人差し指を猫の鼻先に寄せる。
「ふふふ……」
思わず笑みがこぼれる。
猫はお互いの匂いをかぎあうことが挨拶になる。
さあ、私は敵じゃないよお〜。
私の指先の匂いをかいでおくれ。
だが、猫は指先を見つめてくるばかりで何の反応もしない。
くっ、だめか、警戒されている。
そろそろ手を引っ込めようか、と思った次の瞬間、優樹はくわっと目を見開いた。
すり……と猫が目を細めながら頬をすりよせてきたのだ。
「かわいすぎるうううううううううっ!!!!!!!」
……と叫びたいところだったが、猫を驚かせてはいけないという信念の元「っ……! っ…………!!」と声にならない叫びをのどの奥にとどめた。
だが、思いを押さえることができずに勢い余って床に倒れ込んだ。
その姿を見て、びくっ猫が飛び跳ねたことに両手で顔を覆っていた優樹は気がつかなかった。
「か、か……かわいい……かわいすぎるよにゃんこ……」
か細い声で呟いていると、ぴと、と何かが頬に触れた。
「えっ……何っ……」
思わずびくりと両手の覆いを外した瞬間、優樹はふたたび目を見開いた。
心配するように、猫がその手を優樹の頬の上に置いていたのだ。
ふに、ふに。
肉球が。に、肉球が……っ。
「もう……死んでいいかもしれない」
ぷしゅー、と何かが優樹の頭の中から抜け出ようとしていた。
「にゃ、にゃ、にゃにゃん」
あわわわわ、鳴き声もなんてキュート。
間近で見下ろされ、優樹はふるふると震えた。
だ、抱きしめたい。
でも驚かせたら二度とこんな機会ないかもしれない。
あふれんばかりの衝動を押さえ込んで、優樹はじっと床に横たわった。
「君は本当にかわいいにゃあ〜……」
思わず猫語でつぶやくと、猫はぴくりと耳を震わせ優樹を大きな双眸で見つめた。