短編小説

□明けて移さば
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「弁慶さん……お願いします、許してください」

「だめですよ、そんな顔でお願いしたってだめです」


優樹は衾(ふすま)を胸の前でかき抱いてじりじりと後退した。


「む、無理ですっ……本気で無理ですっ」


優樹がさがった分だけ弁慶は詰めよった。


「昨日は大丈夫だったでしょう」

「あれは不意打ちだったからですよ! 今日は心構えができている分絶対にできません!」


弁慶の目がすっと細まり、優樹はひっとのどの奥で悲鳴を上げた。


「べ、弁慶さんこそ、僕の気持ちを優先してくれたっていいんじゃないですかっ」

「本来ならばそうしてあげたいところですが……こればかりは聞くわけにいきませんね」


優樹は手を握りしめた。自分だって譲るわけにはいかない。
だが、勢いにのまれるのも時間の問題である。


「っ弁慶さん後生です、お願いします……っ」


優樹は床に額をこすりつけた。

ああ……土下座なんてしたの初めてかもしれない。

切迫した中、ぼんやりとそんなことを思った。

しばしの沈黙の後、彼のため息が聞こえてきた。


「そんなに嫌ですか」

「えっと、あの……正直なところを言うと、はい」

「そんなに嫌がられると、僕も自信を無くしてしまいますよ」


目の前には床ばかりが広がるが、彼の表情が目に見えてくるようであった。


「いや、弁慶さんが悪いというわけではなく、僕のわがままなんですが……」

「だったら大丈夫ですね」

「いやっ大丈夫じゃないです無理です!」


がばりと顔を上げて優樹は恐ろしいものでも見るように弁慶の横にあるそれを見た。


「本気でそれは飲めません……っ」


湯気を立てている薬湯を指さす。


「良薬口に苦しと昔から言うでしょう」

「わかっています、わかってはいるんですけど……」


優樹は昨日のことを思い出し泣きそうになった。


「苦すぎます……」


弁慶が差しだしてきた薬湯は、史上最悪と言ってもいいほどの味であった。

「うわ、にが……」どころではなく「うっ……っ……ぐ」と言葉にならないくらいの苦さであった。

昨日はなんとか飲み干したものの、二度目は無理だ。
悪夢のような記憶によって心身ともに拒絶を示している。


「冷めたら余計に苦くなります。早く飲んでください」


「はい……」と心の中では何度も言おう言おうとしているのに、身体が言うことを聞いてくれない。

涙目になって口をぱくぱくさせていると、弁慶はため息をついた。


「まさか君がここまで薬が苦手だとは思いませんでした」


いや、苦手と言えば苦手なんですが、いつもはここまでいかないんですよ。


「わかりました……」


あきらめたかのような弁慶の呟きに、優樹は顔を上げ瞳を輝かせた。
だが、次の瞬間には悲鳴を上げた。


「っな、なんですか、弁慶さん……!」


手首をつかまれ、優樹はぎょっとした。


「こうなれば仕方がありません……最後の手段を取りましょう」


鋭い瞳に射抜かれ、優樹は息を飲んだ。


「君に選択肢を上げます。僕の口移しと自分で飲むの、どちらが良いですか」

「え、は……な、何言ってるんですか」


は、はは……と優樹は無理やり笑みをつくった。


「冗談だと思ってますか? ……君が選ばないなら僕が選びますよ」


め、目が本気だ……。


「選択肢ひとつしかないじゃないですかっ! 結局自分で飲めってことですよね!?」

「ふふ、いやですね、もうひとつあるではありませんか」


選ばない! 絶対そっちは選ばない!!

この人真剣な表情で言ってるけどあきらかにこの状況を楽しんでるよ!!


「飲みます! 飲みますからはなしてくださいぃ!!」


ようやく解放された優樹は荒い息をくりかえした。


「……もっと病人をいたわってください」

「そう言いながら元気ではありませんか」

「元気になったんで薬飲まなくてもいいですか」

「そんなに口移しがいいんですか」


くっ、と優樹は歯を食いしばった。

泣く泣く薬湯の入った椀を手に取ったが、それ以上手が動かなかった。


「やっぱり無理です!!」


脱兎のごとく逃走をはかろうとしたが、何かにつまづき思い切り転んだ。
そして弁慶に押さえつけられ悲鳴を上げた。


「そうですか……ならば君はこの方法を選んだんですね」


上から落とされた低い声に優樹は泣きそうになった。


「選んでませんん! 選択肢参を! 三つ目の選択肢『飲まない』を選ばせてくださいぃい!!」


無言で椀をとった弁慶を見て優樹は本気で泣きそうになった。必死で暴れまわる。


「弁慶さん自分でつくった薬湯飲んだことありますかっ!? 飲んだらこんな凶行きっとできませんよっ!!」

「……今から飲みますので大人しくしてください」

「嘘です!! ためさなくていいから助けてくださいぃい――――」
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