黒蝶は片割れ月に誘われる
□04.モテる師匠はつらいぜ
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「いや、もう、優しい仮面をかぶった野じゅ……」
優樹は笑顔を凍りつかせ、俊敏な動きで臨戦態勢に入った。
(っ――!!!!? これは、殺気――!!)
ぴりぴりと肌が粟立つ。
(ま、まさか弁慶さんがいまの話を聞い――)
「ひぃっ!!!」
猪のように目前までせまってきた影に、優樹は思わず悲鳴を上げた。
砂埃を上げて止まった猪――ではなく七郎は、射殺しそうな目で優樹を見下ろしていた。
な、なんだろう、また決闘を挑まれるのだろうか。
だらだらと滝のように汗を流して固まっている優樹に対し、与一は頬杖をつきながらにやにやとその様子を眺めていた。
が、次の瞬間、はんにゃのような顔が自分に向けられたことに、与一も思わずびくりとした。
七郎はうつむき、握り拳をぷるぷると震わせていたかと思うと、鬼瓦のような顔でふたたび与一を睨みつけた。
なんだなんだ、今日は一段と不審だな。
与一がひょうひょうと眺めていると、う、と七郎は顔を歪めた。――かと思うと突如、滝のような涙をどっと流し始めた。
これにはさすがの与一も、笑顔のままぎょっとした表情をした。
「よ、与一はっ……与一は……! それがしよりもその者たちの方が良いのかっ!!
那須郷より志同じく、ともに上京してきたというのにっ!!」
「し、七郎……どうし……」
「最近はそこの譲殿につきっきりで稽古をして、時間がないのかと思って我慢していたらぱっと現れたそこの稚児助に弓の手ほどきをして!
それがしたちに対しては最近、あまり稽古をつけてくれないというのに!!
仲間の扱いが最近ぞんざいだとは思わないかっ!!!!?」
えぐえぐと本気で泣いている七郎に、与一はなんとも言えない顔をした。
目を泳がせ、奇妙な形に歪んだ口元を手で覆い隠すその姿に……。
――照れている?
横目で見てしまった優樹も、なんだか気恥ずかしい気持ちになってきた。
同性といえど人からここまでまっすぐに気持ちをぶつけられてしまえば、迷惑ではあるがうれしい気持ちがないといえば嘘になり。
なんと言ってなだめようか、と与一がなんとも言えない笑みを浮かべながら口を開こうとしたとき――。
「あのとき、与一の心を分けてもらったと思ったのはそれがしだけだったのか!?」
あのとき――という言葉が出た瞬間、与一の頬がこわばった。濃い色の瞳に浮かぶ瞳孔が開く。
注意深く見ていなければ見逃してしまいそうなほどの、わずかな変化である。
目を閉じ口元をぬぐうように親指でなでつけた与一は、腕組みをしながらにかっと笑った。
「……すまなかったな! 七郎! たしかに、お前の言う通り、私は最近お前たちのことをないがしろにしていた節があるかもしれない。
だがな、それには訳があることも知っておいてほしい」
与一は七郎の方に手をおいた。
「私は、お前たち那須党の皆の力を誇りに思っている。この背中を預けられるほどに。
だから、もう必要以上に私の手をかける必要はないと思ったんだ」
強いまなざしにまっすぐと見つめられ、七郎は涙をしずめた。
だが、その視線はふいとそらされる。
「……そう言えばなんだかんだでなだめすかせると思っているんですよね、与一は。……本当に言葉がうまいんだから」
ぼそりと呟かれた言葉に、うっと与一は笑顔のまま固まった。
……さすが長年一緒にいた仲間。知られたくないお互いのことがよくわかってしまう。
だが、本心がそこにあることもまた事実。
「私の言葉に嘘偽りはないぞ。だが、お前の言葉で反省もした。
これからはもっと那須党の皆との稽古の時間を増やそう」
七郎はじっと地面を見つめていたかと思うと、へへ、と涙混じりの笑い声を上げた。