黒蝶は鮮青の風に吹かれる

□芽吹く心
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「そうか……私が、この平泉に残された最後の……」


男はゆっくりと、優樹に視線を向けた。
その眼差しに、すくむ足が一歩下がる。


「このように残酷な因果のもとで巡り合うとは……まこと呪いといったところか。……それなのに、私は」


銀の瞳は優樹を追い求めるように揺らいだ。
伸ばされた手。逃れようとするも、距離を埋められぐっとつかまれる。そのあまりの力強さに優樹は身をすくめた。


「抑えることができなくなる……この心を……封じなければならない、この記憶を……」


引き抜こうとした手は強く引き寄せられた。


「あなたを求める気持ちを、止めることができない」


抱きすくめられ、優樹は抵抗を示した。


「っやめてください……」

「……お許しください……あなたの心に触れるたびに、無くしたはずの私の感情も、取り戻されていく。
許されぬことなのに……あなたに心惹かれることを、止めることができない」


どくどくと、心臓が脈打った。
抱き寄せる腕の力強さに優樹は顔をしかめた。

だが、離してくださいという訴えは、男の発した言葉により行き場をなくす。



「――朝露の君」


優樹は息を飲み込んだ。
……今、この人は何と言った。……嘘だ、嘘だ、と信じきれない気持ちで男の顔を見上げた。


「あなた、は……」

「ずっと、あなたにお会いしたかった。あなたがくれた約束の叶う日を、私はずっと待ち望んでおりました」


頭の中を混乱で満たしながら見つめると、男は高ぶる感情を抑えきれないというように瞳を揺らした。
優樹は唇をわななかせた。


『――朝露の君』


あれは、夢だ。夢のはずだ。……そう思っていたのに。それなのに、どうして。
つながるはずのなかった夢の通い路にさまよい出で、刹那の邂逅を果たしたとでもいうのか。
つながるはずのなかった運命が生んだ、因果なのか。

逃れようとする優樹を許さないかのように、ぐっと腰が引き寄せられた。


「あなたは、一度ならず二度までも、人の心を失い空虚にさまよい出でた私に、私を取り戻させた。
あのとき、私は死んでも良いと思っていた。死んでしまいたいと、己の犯した罪とともに、消え去りたいと願っていました。
それなのに、あなたは私に残酷な喜びを与えてしまった。望みのない約束だけを残して姿を消して……。
あなたにもう一度会いたいと、その思いだけで、私は生きたいと願ってしまった」


頭の後ろに手を回され、背けようとする顔を上げられた。


「やめて、ください……銀さん」

「私の名は、銀ではありません。私は――」


隙間を埋め合おうとする唇と唇をさえぎるように出された諸手も、つかみ取られてしまう。


「私の名は――」

「――銀殿、白昼で戯れがすぎますよ」


突如降りかかった声に、優樹は息を飲み込んだ。
その声は救いの手のように安堵をもたらし、心に冷や水を浴びせた。


「嫌がっている相手を無理矢理自分のものにするのは、それほどまでに楽しいものですか?」


首をめぐらせ、優樹は声のする方へ顔を向けた。いつから、そこにいたというのか。
弁慶は、ぞっとするほど穏やかな笑みを浮かべていた。


「早くその手を離さないというのなら、こちらも少々乱暴な手に出ざるをえませんね」



ゆるゆると解けていく拘束に優樹は安堵したが、その胸中は動揺に埋め尽くされていた。
離れていくなかで、男はそっと優樹の耳元へと口を寄せた。


「ご無礼を働いたこと、お許しください。ですが……」


つかまれた手に、優樹の心臓は冷ややかに脈打った。
ああ、こんな姿を見られたくない――……っ。手を引き抜こうとするも、男は指に力を込めた。


「……どうか忘れないでください。そして、消えないでください、私の前から、二度と――朝露の君」



熱のこもった視軸に気づかないふりをして、優樹はうつむき顔をそらした。
名残惜しそうに、手から伝わる熱が離れていった。
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