黒蝶は鮮青の風に吹かれる

□芽吹く心
2ページ/12ページ



「銀さ、ん……?」


まるで駆けてきたかのように肩で息をしている男に、優樹は腕をつかまれていた。
驚いたように向けられる二つの視線に銀は意識が向いていないのか、真っ直ぐに優樹の目を見つめていた。
空気を凍てつかせるほどの真剣な様子。その表情はどこか強張っているようでもあった。


「銀殿、どうかしましたか。優樹くんに何か……」


いぶかしむ眼差しを向けられ、銀は何かをこらえるように震える息を吐き出した。



「……いえ、突然、申し訳ありません。……優樹様に用があったものですから。
少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」


尋ねる物言いながら、拒絶の言葉を許さぬ雰囲気を放っていた。


「わかり、ました」


空気に飲まれ優樹は不安に眉をひそめた。
つかまれた腕が、痛い。


「……一体どのような用件でしょうか。何か、急ぎのことが起こりましたか」


そのまま優樹を引く連れて行こうとする男の背に、弁慶は言葉を浴びせた。


「……御館が、優樹様にお会いしたいとのことにございます」

「御館が……?」

「すぐに済みますので、ご心配なく」


そのまま振り返ることもなく、銀は足を進めていった。



「あの、銀さん……痛いです」


半ば引きずられるように歩みを進めるなか、優樹はとうとう口を開いた。
いまだ銀につかまれた腕は解放されず、そのあまりの力強さに苦悶の表情を浮かべた。
物腰柔らかな男にしては、どこか乱暴な立ち居振る舞いであった。


「……申し訳ありません」


立ち止まるとともに手を離され、優樹はようやく息をついた。


「突然このように連れ出したこと、どうかお許しください」

「いえ……でも、どうして秀衡さん、御館が私に」

「……嘘にございます」

「え……?」


振り返り、銀は優樹に眼差しを注いだ。


「先ほど申し上げたことは……御館が優樹様にお会いしたいと言ったという話は、嘘にございます」


優樹は言葉に詰まった。


「……それなら、どうして」


近づいてきた男に淡い恐怖が湧き上がり、優樹は後ずさった。
まわりに誰もいないことに、不安が浮かび上がる。


「私が、あなたにお会いしたいと思ったから……」


一歩下がると、距離を詰めるように大きく踏み出される。


「あなたの姿を、微笑みを見たくて。あなたの眼差しに恋い焦がれて……あなたが微笑みを向けるのも、その瞳に映すのも、私だけでいたい……」


怯えたように見返すその瞳に、銀は瞳を揺らしながら苦笑を浮かべた。


「こんな愚かな願いを抱く男を……あなたは軽蔑しますか」



震えるのどに、優樹は必死で声をのせようとした。
ここまではっきりと感情を晒されて、男の想いに気づかぬほどの鈍さは持ち合わせていなかった。
だが、突然のことに頭がついていかなかった。飲み込まれそうな空気に、心が震える。


「すみま、せん……私、は……」


その先に続く言葉を予期したのかどうか。銀は、空いた隙間を埋めるように大きく踏み出した。
二の腕をつかまれ、優樹は怯えながら男を見上げた。払おうとするも、逃れることができない。


「このような想いを抱くこと、それこそが私の罪なのでしょう……けれど、どうしようもなくあなたに惹かれて止まない……」

「やめて、ください」


逃れるほどに、指先が肌に沈み込んでいく。


「っ…………」


小さなうめき声が一つ。突如顔をそらしうつむいた銀は、苦しそうに表情を歪めた。
突然のことに驚くも、拘束が弛まったことで優樹は男から離れた。

苦悶にあらがうように、男は胸をかき抱いた。
異変に気づきながら、優樹は言葉をかけることもできずに立ちすくんだ。

荒々しい呼吸が続いた後に、銀は落ち着きを取り戻したように悄然とうなだれた。
うつむいた顔から覗ける瞳は、どこか虚ろで、そして驚きに見開かれているようであった。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ