コトノハの唄
□胡蝶夢奇譚
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「え」
百目鬼の手にある蝶の羽根を写したという髪飾りに触れた時だった。
頭に響くノイズ音とともに、映り込む映像。
「…、」
その意識に流れ込む…何処かの店と、出された珈琲、差し出された髪飾り、そして小学生くらいの男の子、見守る女性の後ろ姿。
それはセピア色に映る。
「…お前、教授と何処へ行った?」
頭に流れ込む映像に軽い頭痛を覚えた四月一日は、百目鬼の温かい手ごと髪飾りを掴みながら尋ねた。
「…ある旧家から文献を見て欲しいとの連絡を受けた、三輪教授に言われるまま伺った、今夏休み中だからな」
百目鬼はある大学の民俗学研究室の教授の助手であるが、近々助教授になることが決まっている。
助教授から教授になった三輪に師事し、発表した論文の功績が認められたからだ。
「…で、お目当てのものは見つかったのか」
そう尋ねる四月一日の脳裏に流れ込む映像の中、散らばる札の中、気になる印を見つけたのだ。
花押。
それは自分の署名のかわりに記す,自署を図案化した文字の事だ。
「…まあな」
百目鬼は詳しくは喋らない。
四月一日には繋がる目から、分け与えた血から繋がってしまう。
繋がっているのだ。
好む好まざるも否応なしに繋がり続ける。
これからもずっと。
「…侑子さんの花押だ」
床に散らばった沢山の札、それは呪いの為の札だろう。
それを束ねていた紐は切れ、その紐についていたのはまた札。
その札には、花押があった。
先代の店主、壱原侑子の蝶を模した花押が。
「侑子さんが封印していた札…」
そう言いかけた四月一日の脳裏にまたノイズが発生した。
女性が映る。
四月一日の眉が上がったのだ。
「…この女性」
四月一日は思わず声を上げた。
「視えたか」
「…おう」
「その髪飾りはその女性(ひと)が作ったものだ」
「…、だろうな」
四月一日はその手にしている蝶の羽を模した髪飾りを見つめた。
「何なんだ、この女性は…」
四月一日の目を通して見えるのは、女性。
その眉は上がったまま。
何故なのか。
脳裏の映像は女性を映している。
髪が肩より長く、小柄な方だということ、だがおかしい。
顔が見えない。
いや、顔は見えるが覚えられないというのが正確か。
「そのひとが蝶の話を伝えてくれと」
「…え」
四月一日は思わず百目鬼を見た。
「蝶、の話、」
「ああ、」
四月一日はその目で視ようとするが、それは百目鬼の顔に阻まれた。
「…百目鬼」
その口も直ぐに塞がれ、その行為は深くなり、ひとしきり唇の中を確かめ離れていく。
何時の間にか当たり前になった彼の所作を何時しか心待ちにする四月一日がいたのだ。
「…で、蝶の話とこの髪飾りの事を詳しく聞きたい」
唇が離れいくと、軽く痺れるような感じがある。
今唇を重ねた彼は何か憂いを隠している。
昔、あるひとは唇は意外と気持ちを伝えるものだと言った。
それは一番外側にある内臓だからとか、言葉を発するからとか、それだけじゃない。
触れ合い、重なる場所から言葉にできない思いを伝えるのだ。
喜びも、悲しみも、怒りも、…愛しい思いも言葉よりも強く…。
百目鬼は何かを憂い、躊躇っていたのだ。
「お前、」
それは何か。
四月一日は知っていた、百目鬼と言うひとが四月一日自身に懸かる不安や不穏を決して近づけさせない、その為にどれだけ気を遣っているかを。
彼の持つ憂いはきっと四月一日に係わる不安。
「おれはそんなやわじゃねえよ、それにお前も居てくれんだろ?」
四月一日は小さく息を吐き言う。
「…おう」
「心配すんな」
色違いの目は百目鬼を捕らえるとゆっくり目を閉じる。
百目鬼が憂うのは四月一日の今までの事があったからだ。
『願いを』、というミセに現れる客の願いを叶える為、現店主となった四月一日は手探りで此処までやって来た。
その依頼の内容は様々で、叶える為に四月一日も幾度となく身体、生命の危険を向かえ、…何とか乗り越えてきたから。
何とか乗り越えたのは、それは百目鬼が必ず四月一日の側に居たからだった。
百目鬼の存在が四月一日を助け、共に過ごし今がある。
「見事な蝶だな」
「…ああ」
確かめるように触れ合う互いの手。
まるで今を、存在する事を確かめるよう。
先代の店主が篭り、四月一日が時を隔て新店主として閉じ込められたこの今を選んでから、百目鬼もまた四月一日を選んだのだ。
四月一日との時を。
時を隔てられ籠の中に居る四月一日との今を。
願いを叶えるミセの新しい店主の恋人として、四月一日の翡翠として。
『アナタ達は翡翠なの、翡翠はカワセミの雄と雌をも司る、雄と雌、それは光と影、陰と陽、二つで一つ、なのよ』
美しく聡明な先代の店主は言った。
翡翠、その言葉は今も百目鬼の奥深くにある。
互いを思いやりながらただそのひとの側に居る事を選んで。
「…貴方の一番大事なひとにあげて欲しいと言われた」
百目鬼は四月一日の手にある髪飾りを見て言った。