コトノハの唄
□あたりまえの空の色。
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*『あたりまえの空の色』
ひらひらり、とピンク色の小さなものが降ってくる。
それは一つだけじゃない、二つ、三つ。
まだまだ無数に。
それは雨の様に降り注ぐ。
「また、この季節が来たな」
大きな鞄を持ち、スタスタと早歩きの男性はふと足を止め、幾つもの小さなものを降らせる、大元を見た。
「桜」
其処には大きな桜の樹が、幾重にも枝を張り、ピンク色の花や蕾をつけていた。
大きな鞄を持つ男性の切れ長の眼に映るのは、淡い花の色。
それは優しく映っていた。
柔らかい日差しと、時折吹く温かい南風は桜を護るようにある様に思えたのは、男性だけだろうか。
今時の細身の紺のスーツに臙脂と紺の縞の入ったネクタイは長身な彼に良く似合っていた。
嬉しそうに眼を細めた男性は、淡い花に笑みを一つ残し、また歩きだした。
大きな鞄を誇らしげに持ち、其の先を目指した。
温かい風が通り過ぎる。
男性の眼には、ありとあらゆる光景が映っていた。
瑞々しい蜜柑の葉。
仲睦まじくさえずる名もしらぬ鳥達。
街の見慣れた建物や建築物の風景。
その男性の眼に、飛び込んできた映像。
その眼に映る全てのものより、確かな、其処に在る存在。
其処には、美しいひとが立っていた。
雲一つ無い、蒼い蒼い、美しい空と同化した、綺麗なひとが背を向け立っていた。
風が吹くと、短い黒髪が靡く。
美しい『花浅葱』色の着物は、蒼い空と余り変わらなかった。
「…君尋」
男性は嬉しそうに声を掛けていた。
その言葉に、ありったけの思いを込めて。
男性はこの美しいひとを、心から愛していたのだ。
「君尋」
思いを込め、愛を込めもう一度呼んだ。
「…はい」
ゆっくり振り返る、『花浅葱』色の着物のひと。
綺麗な笑顔を応える様に男性に向けたのだ。
「静」
蒼い空と同化する様な蒼い瞳と、茶色の真っ直ぐな瞳は、直ぐに男性を映し出した。
「…静」
男性の思いを受け入れそれを湛え、また自分も返す様に呼ぶ。
嬉しそうな眼差し。
その腕には、小さな未来を抱いていた。
「ねえ、静、空が凄く綺麗」
美しいひとは、空を見上げて言った。
「ああ」
確かに蒼い蒼い抜けるような、雲一つ無い青空だった。
「本当に綺麗、空ってこんな蒼かったかな?…あたりまえの事だけど忘れてたなあ」
「そうだな」
「でも…良く考えたらさ」
温かい風が吹いた。
降り注ぐ、淡いピンク色の花びら。
「あたりまえの空が…明日もあるとは限らないよな」
美しいひとの言葉に、男性の切れ長の眼が見開かれた。
「…あたりまえの」
「…うん、明日は青空じゃなく、雨かも知れない、目がぼやけてるし」
雨の日に節々が痛むのと同じだと、『君尋』と呼ばれたひとは言った。
「…そうだな、あたりまえに明日が来るって思ってたが、明日在るとは限らない」
今度は美しい蒼い瞳が見開かれていた。
「静」
「明日在るという事は、奇跡なのかもな」
この刻にあって、この先変わりなく在り続けるものなんてないからと男性は言った。
「奇跡」
二人の視線は自ずと抱かれている小さな未来へ注がれていく。
男性はゆっくり近づくと、小さな未来を抱く美しいひとを抱き締めた。
「…あたりまえに『今』在る、私達から生まれた、奇跡ね」
二人は見合って微笑んだ。
「ああ」
淡い花びらが舞いながら降り注ぐ、その時雨の様に見える景色の先に、二人を見守るひと達が手を振っていた。
「…ひまわりちゃん、蒲公英、…モコナ」
小さな未来を抱いた二人は、頷いた。
その瞳に映るのは、黒髪美しい、その耳に鈴の耳飾りをつけた美女が手を振っていた。
「侑子さん」
溢れるような笑顔で呼んだのだ、今、居てくれて在ってくれて有難うと。
「四月一日」
応える様に答え微笑んだ。
「さあ、お花見を兼ねて宴会よっ」
「はいはい」
その日の空は限りなく蒼いものだった、あたりまえのように青く。
生まれた小さな未来の映す空が、こんな色でありますように。
『あたりまえの空の色』
終わり。
クリスマスの小咄は新しい章の最初にと考えていたお話。
題名は私の大好きなアーティスト「池田綾子」さんのアルバム「オトムスビ」から頂きました。
彼女の歌声は美しく聡明、癒やしの波動に満ちていて私は大好きです。
「あたりまえ過ぎて分からない幸せ。
それは君がいるからある幸せ。」
そんなコンセプトの下作ったお話。
どうかこんな未来が来ることを。
2010.2.20
新家 唯