コトノハの箱
□ひとつの願い〜檸檬哀歌〜
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「母さま」
春の花も咲き誇り風が薫る日、可愛い水色のワンピースを着た幼子は縁側で洗濯物を畳んでいた優しい後ろ姿に抱きついた。
「だ〜れだ?」
幼子は抱き締めた温もりに嬉しそうに問いかける。
「こらこら洗濯物が畳めないぞ…いたずらな子は誰かな?」
優しい背中の持ち主は洗濯物を畳む手を止めた。
…ひとつの願い…檸檬哀歌…
「わ」
幼子の手は取られ、いつの間にか優しい膝の上にぽすっとその体はあった。
「さやだ」
幼子を覗き込む眼鏡の下の優しい眼差し。
「母さま」
幼子が手を伸ばすとそれに応えるように優しい腕に抱っこされる。
「あらあら、さやは幾つだっけ?」
暖かく良い匂いのする体に顔を埋め幼子は口を尖らせ、
「四つだけど、さやはまだ赤ちゃんだから」
そう言ってぎゅっと大好きな人のシャツを掴む。
「大きな可愛い赤ちゃんは甘えん坊」
そう言って優しい笑みを浮かべ、幼子をぎゅっと抱き締め頬ずりすると、
「今日は父さまいないから、さやがいっぱいいっぱい母さまといるの、いっぱいいっぱい母さまとすごすの…父さま何時も母さまを独り占めするから」
幼子は嬉しそうに懐に顔を埋めた。
「さやは良い子だね」
幼子の切りそろえられた髪を優しく撫でる優しい手。
腕の中の我が子の髪を撫でながら優しい声で歌う。
暖かい日溜まりの中で抱き締められると嬉しくて、ずっとずっとこのままで居たいと幼子は微睡んだ頭で思った。
幼子は本当にこの優しい人…母親が大好きだった。
何時も優しく笑い、抱き締め、時には厳しい母親が大好きだった。
「良い子ね、さや」
そう優しい声が聞こえた。
「…ん」
ふかふかの日溜まりの匂いの中で目覚めた。
暖かい布団がかけられていて昼間母が干していた布団だと気付いた。
「…母さま」
橙色の部屋で幼子は母を呼んだ。
…返事は返ってこない。
「母さまっ、母さまっ」
何度となく母を呼ぶ。
その内半狂乱のように呼ぶと込み上げてくる涙。
しゃくりあげ、泣いていると、
「さやか、母さまはねさっきばばの代わりにおつかい行ったの」
祖母が泣きじゃくった幼子を優しく抱き締める。
「…う、うっ、う…母さまっ、祖母さま…早く帰ってくる?」
祖母にしては若いその和服姿が似合う女性は幼子を大事そうに抱き締め、優しく宥めるように言った。
「…うん、さやの事大好きだもの、すぐ帰ってくるわ」
祖母はさやかを優しく抱きしめ、髪を何度も撫でたのだった。