nitty-gritty

□残賊
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「おい、てめぇら。屋上に仇がいるぜ。」

「のんベェ」の2階。鈍兵衛は窓の向こうを見据えながら受話器に向かって言った。金時はその場にはいない。傍では自分の姉が壁にすがり付くように不自然な体勢で息絶えていた。
『鈍兵衛さん!それって…。』
「E−85だ。奴はもう虫の息だ。金時さんが姉貴の仇をとってくれた。次はてめぇらの…厭魅の仇をとれ。」
『はぃぃ!!』
感激した声が受話器越しに聞こえた。かと思えば、一方的に通話は切られた。

「金時さん…奴は…。」
鈍兵衛は背後にいた金時を振り向いた。
「油断するな。奴は瀬虎だ。いくらでも生き返ってくる。」
「化けもんじゃねぇか。」
「そうだ。奴は化けもんだ。だが、俺がいる限り奴は死ぬ運命だ。」
金時は愉しげにニヤリと笑った。
「行くぞ、兄弟。」
「ああ。」
金時の後を追って鈍兵衛は部屋を出た。冷たくなった姉貴の亡骸だけが残された。



同じ頃、楓からの連絡で土方はアパートに到着していた。301号室だが、ドアが開かない。
「破るぞ!!」
土方の掛け声で隊士たちもドアに体当たりする。何回かの後にやっとドアが壊れ、土方らは室内になだれ込んだ。
「山崎!おい、しっかりしろ!!」
20畳ほどの部屋の真ん中に山崎が倒れている。土方はすぐさま駆け寄り、呼びかけたが楓の言った通り意識はなかった。その後、山崎は医療班に担架で運ばれていった。状況からして中毒反応を示しているが軽度だと知らされた。
「奴…秋本は何処だ?」
「それが…どこ見てもいやしねぇんでさぁ。帰ったんじゃねぇですかぃ?」
土方の問いに沖田は興味なさそうに答える。

その後を鑑識に任せ、土方はパトカーに乗り込んだ。
「総悟、早くしろよ。」
土方は運転席からアパートの隣にある雑居ビルを見上げていた沖田に怒鳴った。沖田はニヤリと笑った。
「死体が見下ろしてやらぁ。」



不意に意識が戻った。背中が冷たい。自分の血に沈んでいた。まだ鈍く痛む頭を押さえた。額に空いた穴が塞がっていた。瀬虎とは恐ろしいものだ。楓は血を掻くように這って、縁に手をかけた。後ろでバタバタと階段を駆け上がる音がする。鈍兵衛が奴らに連絡したのだろうか。知恵空党の残賊に厭魅眠蔵の仇をとらせるために。死の影が静かに忍び寄っていた。血が足りない。力の入らない腕で、体を縁に引き寄せ、地上を見下ろす。

「死体が見下ろしてやらぁ。」
沖田が自分を見上げていた。何もかも見透かしたように黒い笑みを浮かべている。
「助けてくれ、なんて口が裂けても言えねぇよなぁ。…厭魅や、うちの隊士の分の報復だと思え。」
楓は何も言わずにぼんやりと沖田を見下ろした。最初から真選組の助けなど期待してはいない。命を奪っておきながら助けてもらおうなんて、そんな馬鹿な話があるものか。
「佐々木と旦那には言っといてやらぁ。」
そう言い残して、沖田は立ち去ろうとした。楓の背後には知恵空党の男らが木刀やらパイプやらを構えていた。楓の手から縁へと血が滴る。
「お前らしくない。普通のお前なら…そんなことすらしないだろ。それっぽっちの情けだってあたしには必要ないんじゃないのか?」
楓の低い呟きに沖田はまた屋上を見上げた。そこにはもう楓の姿はなかった。沖田は弾かれたようにパトカーに乗り込んだ。



「よくもボスを…厭魅眠蔵を殺してくれたな。俺らは…あの人が奪われてからずっとお前に復讐することだけを考えてきた…!!」
浪士の一人が楓の胸ぐらを掴み、引き寄せた。
「お前にもボスと同じくらいの苦しみを味わってもらわなきゃなぁ…。」
両側から腕を持たれ、動かない足を引きずって運ばれる。階段を降りきったところで古いセダンのトランクに押し込まれ、3台ほどを先導して走る。2時間ほど走り続けていただろう。

「降りろ!!」
無理矢理引きずり下ろされ外に出た。薄暗い、コンクリートの廃墟がそこにはあった。引きずって運ばれ、廃墟の中へ入り、ほぼ暗闇に近い奥の壁へ投げ飛ばされる。
「ぐふっ!」
背中を強く打ち、楓は呻いた。仰向けの体勢で天井を仰いだ。これから降りかかるであろう恨みに任せた仕打ちに自然と呼吸が早まる。明らかにこれは恐怖の表れだった。
休む間もなく再び両腕を持たれると、壁に縄で両腕を固定される。浪士が一人、薄笑いを浮かべながら近づいてきた。
「ボスの痛み、知ってもらわねぇとなぁ…。」
着流しの袖を肩から破り取られる。楓の顎を掴み、自分の顔を近づけた。
「俺らは大人の拷問なんぞには興味ねぇ。ただ、お前がだらだら血を流して泣き叫ぶ姿が見てぇのさ。」
楓は何かを失う気がしていた。だが、男らの考えは違っていたらしい。

楓の回りを取り囲んだ。ナイフや鎖を振り回す奴がいる。
「ま、自業自得だ。まだ、処女を失わないだけマシだと思え。」
それを聞き終わらないうちに殴られた。強すぎて一瞬意識が飛んだ。
「起きろ!!」
前髪を掴まれ、壁に叩きつけられる。何回も何回も何回も繰り返される。
「うう…っ…うぇっ…。」
楓は血を吐き出した。荒い呼吸を繰り返す。
「ふーっ…ふーっ…ふーっ…ふーっ…。」
右腕を掴まれ、二の腕にナイフの先端を突き立てられる。男はニヤリと笑ったまま楓が向くのを待っていた。楓は相変わらず荒い呼吸を繰り返し、びっしょりと脂汗をかいていた。
「何してんだ。」
楓は呻いた。
「やるなら早くやれ。」
楓は横目で男を見た。腕にナイフが降り下ろされ、チャックを開けるように横にスライドする。それも何回も繰り返される。
「あ゛あああーっっ!!ああああー!…ふーっ…ふーっ…ふーっ…ふーっ…。」
楓は絶叫した。痛みなんてもんじゃない。全身を駆け巡り、自然と叫ばずには耐えられないほどだった。
「痛いか…?痛いよなぁ?…痛い、痛い、痛い……。」
耳元で囁かれる。首に重さがかかる。じゃらじゃらと鎖か揺れる。男が鎖を振り回している。次第に首に巻き付く鎖は絞まっていく。
「あっ……かっ…。がっ!!あ゛っ!!」
別の鎖が鞭のように体を打ち、痛みを生んだ。口を開けて空気を求めた。
「はっ……はっはっはっ…はっ…はっ……はっはっはっはっはっはっ…。」
息が吸えず、全身の感覚がなくなってくる。恨めしいことに、それでも右腕の無数のチャックは塞がりかけてくる。
「大した回復力だな、瀬虎。」
男の心の内が読めた。

「やめろぉぉ!!」
線になった傷口をぶちぶちと菓子袋を開けるように開かれる。
「あ゛ああああ゛あああああ゛ああああ!!…ぐぇっ…うぇっ…。かっ…かっ…。」
酸欠状態で絶叫し、顔は真っ赤で、見開かれた目はあらぬ方向に向いている。首の骨はめしめしと軋む。男らは目隠しをしてダーツのようにナイフを投げる。もう、ナイフを捉えるほどの気力はなかった。腹に、肩に、腕に、喉に、そして頭に刺さった。



楓の絶叫は外まで響いていた。
「虚様…本当によろしいので?」
「ああ。奴も少しは自覚するべきだ。…自分のことを。」
廃墟の屋上に2羽の烏。虚は朧を背に遠くを見つめていた。陽が落ち、江戸の町に闇がかかる。

ズキリと痛みが走った。いつの間にか気絶していたらしい。浪士が傷口に爪楊枝を刺している。これで傷口は治らずに開いたままだ。楓は歯を食い縛った。
「起きたか。」
部屋の向こうから何人もが両手にバケツを持ってこちらへ向かってくる。
「よかったなぁ…これで終いだ。最後はキツいぞ!ククク…。水と塩。1:9の割合の塩水だ。痛いなぁ…!!傷に染み込んだら…ククク…!!」
もう、どうでもよかった。痛みなんて、そんなものどうでもよかった。
「いくぞー!!」



部屋から塩水が流れ出す。喉の枯れた悲鳴が息も絶え絶えに廃墟にこだまする。溶けきらない塩のどろどろとした液体は身体にまとわりつき、奴らの思惑通り傷に染み込んだ。浪士らは少女を残し、部屋を出ていった。
心臓が破裂しそうなくらいに脈打っていた。指一本動かすこともできない。

その時、1羽の烏が音もなく現れた。楓に近づくと、壁に刺さったナイフで縄を切る。
「奴らを殺せ。」
烏の面からくぐもった声。楓は人形のようにずるずると力なく壁にもたれ座り込んだ。烏はしゃがみこむと楓の額に手をかざした。
「これは貴様の運命だ。」
黒い闇が迫ってきて、否応なく飲み込まれた。視界は闇に包まれた。


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