nitty-gritty

□秋霖
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1年もあと何ヵ月かのある日だった。秋の長雨は何とも嫌なもので、外に行っても何もできない。任務もなく暇をもてあそんでいた楓は万事屋に足を向けた。雨の日にわざわざ行ってやる気持ちを分かってほしいものだ。

「こんにちはー。」
鍵は最初から掛かっていなかった。ガラガラと戸を開ける。万事屋にしてはやけに静かだ。玄関を見れば靴がいつもの3人分はない。銀時のだけだ。
「坂田さーん。…あれ。」
銀時はいるはずなのだが、居間にはいない。楓は襖を開けてみた。

「どうしたんすか。」
「いや…。ちょっと風邪引いちゃって…。」
楓は和室に足を踏み入れた。布団で銀時が寝ており、顔が赤い。
「熱ですか。」
楓は銀時の枕元にしゃがみ、右手を銀時の額に置いた。
「あんま近寄んなって。移るから。」
「大丈夫ですよ。瀬虎は風邪ひかないんで。」

そろそろ昼時だ。お粥でも作ってやるか。楓はとりあえず米を研ぎに台所へ向かった。米を研ごうとしたが水に触れられない。ザルとボウルに米と水をいれ、振って米を研いだ。釜にいれ、いつもより多めに水を入れる。炊飯器をセットして、洗面所に向かった。桶に冷たい水をいれ、清潔なタオルを棚から引っ張り出す。ポーチからゴム手袋を取りだしはめると、桶を持って銀時の元へ向かった。

「全く…何を無茶したんですか。」
「ああ…悪りいな。」
再び銀時の枕元でしゃがみ、ゴム手袋をした手で桶の水に浸したタオルを絞る。いつもの銀時なら怒っているだろう。でも、今日はそんな気力すらもないらしい。十分に絞ったタオルを畳んで銀時の鼻と口を覆った。
「あのー。楓ちゃん?」
くぐもった銀時の声が聞こえたが楓は気にせず銀時の様子を伺っている。次第に銀時は涙目になってきた。

「冗談ですよ。」
「いや、冗談って顔じゃなかったからね?」
楓はタオルを裏返すと、銀時の前髪を掻き分けて額に置いた。

暫く沈黙が続いた。銀時は目を閉じていて眠っているようで話しかけづらかったし、何よりもこの状況に緊張していた。
「何、だんまりしてんの?」
少し笑って銀時は言った。楓の気持ちを察したらしい。
「新八と神楽はどうしたんです。」
「ああ。今日仕事でな。丸1日帰れねぇから寝てろって言われちまったよ。」
楓はそれを聞いて少し頬を緩めた。
「安心しました。とうとう愛想つかされて看病もしてもらえなくなったのかと。」
「それはねぇよ。」

家族でも、ましてや恋人でもない。かといって友人であるかも微妙で、もしかしたら知り合いレベルかもしれない。自分はそんなこと考えているとは露知らず、目の前にいる知り合いレベルの男は自分の困難に必ずと言っていいほど首を突っ込んでくる。それで知り合いレベルとはなんて薄情なものだろう。
きっと、この知り合い以上の男なら自分のことを知り合いレベルなんて言ったりしない。きっと家族だと言うだろう。血は繋がってなくとも、家族だと。現に彼の家族はその状態だ。

楓はおもむろにゴム手袋を外すと、また目を閉じた銀時の顔に手を添えた。
「どうしたの、今日は。」
驚きもせずに銀時は目を開けて楓を見た。そして、微笑んだ。
「楓らしくねぇな。」

「あなたは…よく信じられますね。何もかも。」
楓はそれを自然と呟いていた。銀時は何かを悟ったようだった。
「信じなきゃ何も変わらねぇ。新八と神楽も、そんでお前もな。」
嘘さえ愛せればよかったのだ。一度何もかも失っておきながらまた拾い集めた。この男は嘘も真実も関係なしに、ただ自分の志だけで生きている。
「騙されてもいいって言うんですか?」
「さぁな。ただ俺が信じなきゃ相手も信じてくれめぇよ。」
嘘も真実も追い求めてばかりの自分はなんだ。ただ、答えにすがりたいだけ。銀時の優しさにすがりたいだけ。でも、今の自分じゃ素直にそんなことできない。結局、昔に出した結論と同じだ。同じ結論を上書きしただけのこと。

「変わりましたね。」
「誰が?」
「あなたですよ。」
「何だよ、急に。」
きっと、こうゆう乱暴な内容はこんなときくらいにしか話せない。
楓は添えた手で銀時の頬を撫でた。
「10年前のあなたなら私のことこんな風に受け止めてくれなかったはずです。」
「そうかね。…俺は確かに昔とは違うし、色々許せるようになった。変わったのは俺だけじゃねぇ。」
銀時の頬に添えた手を銀時の温かい手が包む。
「お前も、だろ?」
言葉が腹の中に落ちて、温もりを残した。それで目頭がじんわりと熱くなった。

「10年前のままのお前なら、俺たちはとっくにこの世にいない。ましてやこんなことしないだろ。」
今日来たのは偶然。でも、銀時を冷水に浸したまま無視を決め込んで帰る、という残忍な手もあったのだ。
「佐々木も願っていた結果なんじゃねぇの?」
そうか。そうなのかもしれない。ただ、佐々木は血の繋がらない親として、誰よりも父親として―。

私はただの駒じゃなかったんだな。信女も同じだ。いつもそばにいた。自分の娘として危険に曝しながらも、でも誰よりも心配していた。
一緒だ。知り合いレベルのこの男と。だから佐々木の気持ちが分かるんだ。
「そうですね。」
逆らっても敵わない世界じゃない。自分の歩む道はまだ途切れちゃいない。あの残忍な父親はどんな手を使ってでも自分を歩かせ続けてきた。
楓は触れていた銀時の頬をつねった。
「いてぇな。」

「それは、慈悲ですか。」
憂いを帯びた銀時の目が楓を見つめた。
「いや…お前にはまだ分からねぇか。」
「ええ。」
何をとってもまだ分からない。でも、きっと分かるようになるだろう。不器用な父親たちの有り難さが。

炊飯器のブザーが鳴った。楓は何の躊躇いもなく、すっくと立ち上がった。


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