nitty-gritty

□責誚
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楓は壁に背を向けて、扉の向こうに耳をすませた。楓は独りでに喋り始める。
「あんたは脱走しようとしたところを私に捕まったって設定ね。」
「あっ…はい。」
「アドリブでやるから。とりあえず人質演じててよ。」
「わかりました。」
人がいるかもしれない。遭遇したら殴ればいい。そう安易に考えて、気絶した男から無線機を奪う。楓は朝衛門の襟を掴むと強引に引っ張り、外へ出る。

「は…放してください!」
部屋を出た瞬間、朝衛門が悲鳴をあげる。
その時だった。廊下の向こう側から見覚えのある3人組がこちらを向いた。こちらに気づいたようだった。
「お前!朝衛門を放すネ!」
仮面の下で顔が強ばった。だが、誤算も計画のうちだ。3人が走ってくる。
「至急だ!応援を頼む。」
時間がない。一つ咳払いをすると、楓は無線に呼びかける。声は完全に若い男のものだった。
『どうした!』
「池田朝衛門が脱走しようとしたところを確保したが、どうやら仲間に援助を要請していた模様だ。」
『分かった!今行く!』

無線を切る。自分はなんてゲス野郎なんだ。朝衛門の濡れ衣もいいところだ。仲間を裏切った自分を嘲った。朝衛門を連れてデッキへ走る。
「お前!待て!」
銀時が追ってくる。向こうは三人だ。三手に別れて、この入り組んだ廊下を追ってきていた。
「貴様ら!!」
無線で連絡した応援が来た。そうは言えども全員敵であることは間違いない。御試し御用の男らは塊になって銀時たちをそれぞれ足止めした。
「てめーら!どくネ!!」
御試し御用ごときではあの三人は倒せない。精々時間稼ぎに過ぎないのだ。その間も楓と朝衛門はデッキに向かって走り続けた。

銃声が聞こえた。瞬間、右足に激痛が走る。
「っ…。」
神楽の番傘だ。楓は歯を食い縛って走り続けた。今、ここで朝衛門に名前を叫ばれたら困る。
後ろをチラリと振り向いた。まだ五十メートルくらい距離はある。
「走り続けて。」
朝衛門は頷く。楓は屈んで右足の傷口を見た。懐から出した小型ナイフで弾を取り出す。
「待て!」
銀時の声に顔を上げた。一人だ。やられた。新八と神楽に先を越された。

楓は傷口が塞がるのを見て、立ち上がり再び走り始めた。
新八がこちらに気づき、朝衛門を背に木刀を構える。神楽はどこにいる?
新八たちのところまで五メートル。二人は逃げない。何かを託すような新八の視線が自分の背後に向いている。
「しまった。」
小さく呟く。楓は目を見開いた。背後で神楽の気配を感じた。
気づけば一歩先、そこはデッキだった。空が薄暗く白み始めている。



「うっ…!」
神楽の渾身の一発で殴られた。デッキの端で身体を打ち付ける。
「朝衛門を拉致しようとしたのはお前ネ。全部朝衛門に押しつけるなんて最悪な奴ヨ。」
神楽が目の前に立って言う。楓は頭を押さえて立ち上がった。

最悪な奴。
その言葉が深々と胸の内に刺さったのを感じた。ああ、痛い。
自分で裏切っといて傷つくなんて馬鹿だ。そんな結果見えていたじゃないか。裏切るなら傷つく心を持っちゃいけない。慈悲なんて必要ない。

「今日はそういえば…白夜の日でしたね。」
その時、夜衛門が船内から姿を現した。相変わらず笑みを浮かべている。
「秋本楓は死にましたからね、関係はないですが。」
銀時は夜衛門を睨み付けて怒鳴った。
「てめぇのせいで楓は死んだんだろ!」
楓と銀時が互いに演技だということは知るよしもない。
「さあ…どうでしょうね。」
夜衛門はデッキの中央に向かって歩く。

「奴は諜報員と言うよりは…戦争の遺物でした。」
夜衛門は足を止めた。
「戦時中から現在まで佐々木の言いなりになって人を殺してきた。本人もかなり苦しかったはずです。」
銀時たちを振り向いた。悦びに満ちた笑みだ。
「私が奴を終わらせた。…たったそれだけのことです。」
夜衛門は再び海に体を向けた。潮風が吹いていた。

空が白く、ぼんやりと薄暗い。
白夜の訪れを告げた。

途端、激しい頭痛に襲われた。頭の中が整理できない。頭を押さえたまま、おぼつかない足取りで夜衛門の背後に回る。
「お前…?」
構えていた神楽も困惑した表情だった。

「奴は一生記憶を取り戻すことはなかった。」

気を失いそうになっていた。何が何だか分からない。混乱を来していた。

「坂田さん方はご存じでしたか?E−85が秋本楓になる前に…いや、奴がE−85になる前に犯した罪を。」

呼吸が荒くなる。急かすな、急かすな、急かすな。駄目だ。思い出したくない。まだ、思い出したくない…。

「お前…大丈夫か。」
様子がおかしいと感じたのだろう。銀時が声をかける。まさか、目の前の男が楓だとは知れない。

「夜衛門様!!」
御試し御用の一人が叫ぶ。
「何でしょうか。」
「池田朝衛門を監禁していた部屋から気絶した御試し御用二人が見つかりました!この中に下手人が…!」
「そうですか…。」
話を聞いた夜衛門は笑みを浮かべた。

「火焙りにしてやりましょう。」
ドクンと心臓が脈打った。過去の罪も、思い出したくない。だけど…。
「大火傷でも負わせてやりましょうか。」
「…やめろ。」
楓は脂汗をびっしょりかいて呻く。
「一生残る傷になりますかね。」
「やめろ。」

拷問でつけられた両腕の痣だけじゃない。
背中全体を被う大火傷の引きつれた痕―。
痛みが、苦しみが、甦る。

「奴の背中にも、罪の焼き痕がくっきりと…。」
背中が燃えるように熱い。自分の中でプツンと何かが途切れた。

「やめろぉぉぉぉ!!」
楓は怒号をあげ、夜衛門に向かって駆け出す。声は完全に楓のものに戻っていた。

「とうとう尻尾を出しましたね。…死に損ないが。」
御試し御用の連中が楓を取り囲んだ。
「どけぇぇ!!」
刀を奪い取ると、容赦なく陣を切り崩す。御試し御用は呆気なく血の海に突っ伏した。楓はマスクを破り捨てる。灰色の髪が風に靡いた。

「楓っ!!」
「楓ちゃん!!」
銀時たちは驚愕した。

夜衛門は振り向く。
「あの時と同じですね。」
ニヤリと笑った。
「理性をなくした虎の目だ。」
楓の黄金色の眼が夜衛門を見据える。
刀を構え、飛び上がった。

刀と刀がぶつかり合う。
「まさか、心臓を止めてまで死んだふりをするとは。」
夜衛門は刀を収め、一瞬で抜き放つ。楓は刀で攻撃を防ぐ。右脇腹に刃が食い込む。カチカチと刀が震える。

「夜衛門様!!」
御試し御用の一人がナイフを投げる。楓の背中に刺さる。
「てめぇ!!」
銀時たちは御試し御用の集団に飛び込んだ。攻撃を仕掛けないように次々と殴り倒す。

「私は知っているんですよ。あなたの正体も。」
圧に耐えきれなくなった刀が折れ、凶刃が右脇腹を抉るように斬り込んだ。
「そのリストバンドに隠された秘密も。」

楓は背中から抜いたナイフを夜衛門の右肩に突き刺す。互いに刀を落とした。渾身の力で殴りあい、息をきらす。

身がもたない。焦点の合わない眼をしていた。意思に逆らって身体だけが、ただ夜衛門を殺すためだけに戦い続けている。
右手が夜衛門の腹を貫き、同時に蹴りも食らわせた。夜衛門の身体が床に転がった。自分が自分じゃないみたいだ。勝手に動く身体。本能のままに?そうだ。夜衛門の例えは間違っちゃいない。「理性をなくした虎」。まさにその通りじゃないか。噴き出す血を見つめながら思った。あの時みたいに私は自分の中の虎に囚われて奴を殺すんだ。


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