nitty-gritty

□恩師
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鳳仙と戦ってから3日ほどが経ち、一行の傷もようやく癒えてきた。
一番重傷だったのは楓で、ここしばらく意識が戻らない。
銀時は楓の寝る真上の2階の部屋で一人、窓を開け放ったまま暇をもて余していた。
ふと、昨日佐々木が言っていた話を思い出した。「for your eyes only」という名の、楓…という少女の人生をかけた任務。内容はともかくとして、「秋本楓」という名が少女の偽名であったことに衝撃を受けた。とすれば前にお登勢のスナックで話していたことは嘘だったのだ。楓の作り話か、はたまた佐々木に吹き込まれたのかは定かではない。

「暇だ。」
そんなことを考えていたら疲れてしまって、思わず呟いた。
「では、重要なことでも話しましょうか。坂田さん。」
銀時は驚いた。下の部屋で寝ているはずの楓が窓枠に座っていた。
「なんだよ、重要なことって。」
「吉田松陽は勿論ご存じですよね。」
銀時はその名を聞いて、目を見開いた。
「先生がなにか…。」
「松陽先生が生きているとしたら、あなたはどうします?」
銀時は何も言えず瞬きを繰り返した。
「どうゆう意味だ…。っていうか、楓…。」
お前、敬語で話すってことは…。銀時の言葉は続かなかった。

「楓、何をしておる!安静にしなんし!」
襖が開き、月詠が怒鳴る。
「すんません。」
楓は窓枠から下りると、渋々、月詠のもとに向かった。
「昔のあたしは敬語で話していたと聞いた。あんたの反応を見るための、ただの実験だ。」
そう言い残して楓は月詠と共に部屋を去っていった。

「何の疑いも無さそうでしたね。むしろ、自然だった。」
新井はそう言って部屋に入ると、窓枠に腰かけた。
「前の楓の口調に慣れてるからなぁ…。」
銀時は天井を見上げて呟く。
「あ。新井、お前そう言えば…何で晴太の名前が分かった?」
最初、出会った時は名前も聞かず、名もなき少年だった。だが、いつしか新井が少年を「晴太」と呼ぶようになり、それが浸透してか、皆が当たり前のように呼ぶようになったが…。
「ああ、そのことですか。」
新井は何でもないような顔をした。
「さっき、楓と話していましたよね、松陽先生のこと。」
「ああ…。」
「実は僕もそれに関わっているんですがね…。」



今から8年前。ちょうど戦争が終わる頃だった。
日輪のもとにいた一人の遊女が子供を産んだ。その女は体を壊し、すぐに死んでしまったが、彼女が産み落とした子供は他の遊女たちにとって希望そのものだった。
だが、吉原では子供を産むことを許されてはいない。日輪はその子供を鳳仙の手が届く前に地上へ逃がすことを決めた。

真夜中に子供を抱えて寝静まった吉原の町を駆けた。地上へ出たときは雨が降っていた。濡れることも構わず、ひたすら走り続けた。
「何か、お急ぎですか。」
ふと、目の前に男が立っていた。さしていた傘に日輪を入れた。
「私は吉原の者です。この子を逃がしたくて…。」
男は合点がいったように頷いた。
「分かりました。私がその子を預かりましょう。」
男は日輪から子供を受け取った。
「あなた、お名前は。」
「日輪です。」
「日輪さん。この子の代わりにあの方をお願いできますか。」
男は道の向こう側で紫陽花を眺めている栗色の長髪の人物を呼んだ。
「こちら、吉田松陽さん。松陽先生、こちら日輪さんです。」
「よろしくお願いします、吉田さん。」
日輪に松陽は会釈を返す。
「この方、諸事情で表に出られない身でして、8年だけ匿って頂きたい。」
新井は何処からか傘を一つ取り出して、日輪に渡した。
「何卒、よろしくお願いします。」
「こちらこそ、その子をよろしくお願いします。」
男は子供を抱えて、降りしきる雨のなか、消えていった。

吉原に着くと、まだ町は静まり返っていた。
日輪は月詠たちが住んでいる民家へ急いだ。
「月詠。」
扉を3回ノックすれば、月詠が顔をのぞかせた。
「そやつは誰じゃ。」
松陽を睨み付けて言った。
「吉田松陽さんだ。事情があって、子供を預けることと引き換えに匿ってほしいとある人から頼まれてね…。地下室あるだろう?そこに入れてやっとくれ。私は戻るよ。」
日輪は急いだ。鳳仙に見つかる前に遊郭に戻らなくてはと思った。

「日輪さん…!」
戻ればそわそわと待っていた遊女たちが感嘆の声をあげたが、すぐに表情が固まった。
「鳳仙様…。」
振り向けば、鳳仙が立っていた。
「子供を逃がしに地上へ出たな?」
「…。」
「貴様はもう何処にも行くな。」
遊女たちが喚くなか、鳳仙は日輪を連れ帰り、足の筋を断ち、幽閉した。
それが8年続き、今回のことに至る…。



「じゃあ、先生は…。あの時のは…。」
「僕が用意した偽者です。」
銀時の頬に汗が伝った。新井はじっと銀時の顔を見ていた。
「見分けがつかないくらい精巧だったでしょ。そのくらいの技術がなければ諜報工作員は務まりません。」
新井はふと歩き出した。銀時は慌ててついていく。階段を降りれば、車椅子に乗った日輪がいた。穏やかに笑って言った。
「とうとう、再会だね?」
「はい。」
「月詠。開けてやってくれ。」
日輪の後ろにいた月詠が畳を剥がすと、取っ手が表れ、引けば、地下へと通じる通路が見えた。階段を降りて、月詠が懐中電灯で道を照らす。新井たちも続いた。
「まさか、新井。ぬしが日輪の言っていた『ある人』だとは思わなんだ。」
「あの時は無茶な頼み事をしてしまいました。彼女には本当に申し訳なかった…けど、それしか方法がなかったんです。」
「悔やむことはない。ぬしは晴太を地上へ逃がしてくれた。その引き換えじゃ。」
月詠は一番奥の扉を示した。
「ここじゃ。」
「8年間、本当にありがとうございました。」
「礼には及ばん。」

月詠が去って、新井は銀時を見た。銀時は頷いた。新井がドアを3回ノックする。
「松陽先生。」
「お入りください。」
銀時は、その優しい声を聞いた瞬間、泣きそうになった。
「先生!」
扉を勢いよく開けて、飛び込んだ。
「銀時…!!」
ベッドで本を読んでいた松陽は驚きの声をあげた。
「立派になりましたね。元気にしてましたか。」
涙をぼろぼろ流した銀時はまるで子供のようだった。
新井はあえて部屋には入らなかった。恩師と弟子の再会に水をさすような真似はいけない。

「新井さん。」
ドアを閉めようとすると、松陽に呼び止められた。
「8年前はありがとうございました。あなたは…大丈夫ですか。お変わりありませんか。」
「ありがとうございます。あなたもお変わりなさそうだ。」
新井は微笑んで言った。
8年間、護るべきものが護りきれたことに満足感を覚えた。
くだらない幕府の下に就いた自分が馬鹿だった。だから、任期満了の直前に死刑囚をすり替えた。
そのことは結局バレずに任務を終えた。それが、ちょうど8年前の話だった。だが、自分だけではどうにもならなかったが、協力者がいたからこそ成し遂げられたことだ。その協力者が楓だと言うことなぞ、銀時は知るよしもない。いや、知らなくていいと新井は思った。誰に報告するでもない極秘任務は完了したのだ。


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