nitty-gritty

□吉原
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黒いダッフルコートに赤いマフラー。楓は夜明け前の江戸の町を歩いていた。コートのポケットに両手を突っ込んで、白い息を吐きながら俯き、思い詰めたような表情だった。
とにかく結果はどうであれ、戦えればいい。吉原の夜王・鳳仙、そして神威。厄介な奴らだ。佐々木には生きて帰ると言ったものの、その自信は全くと言っていいほどなかった。瀬虎の本能で戦うのも、戦時中に感じた殺人に対する恐怖を思い出すのも怖かった。だけど、その恐怖を乗り越えなくては元には戻れない。それらがなくては自分にある僅かな勝機もなくなってしまうかもしれない。そんなこと、とっくに分かっていた。それなのに。

早朝のシャッター通りを通る。まだ夜は明けてないから、誰もいるはずない。だが、陽が昇れば人々は活動を始め、いつもと同じように今日の日を過ごすのだろう。
そうやって、生きていくことに憧れた。いつもと同じ時間に活動して、決まった生活があることが羨ましいと思った。普通の生活がしてみたかった。

いつも感傷的にそんな想いを巡らせては諦める。自分には無理な話だ、と。生まれから幸せなやつばかりだとも限らないし、かといってその後の人生が保証されているわけでもない。皆、自分で生き方を見つけ、夢があればそれに向かって進んでく。そんな一般的な人生を歩めない自分が何となく悲しくて。生まれから、既に固定されたような人生。毎度、命を捨てる覚悟で任務に臨み、それは死ぬまで続く。苦しいとか、怖いだとかの感情さえ捨てられればきっとそんなのも苦にならないし、いくらか楽なんだろう。…今の自分は何だ。それしか道はないというのに。それしか生きることができないというのに。不安定で、掴み所のないような中途半端さ加減でユラユラと波に流され、浮き沈みを繰り返している落ち葉同然だ。

もう、潮時かもしれない。今回ので、もし生きて帰れたとして。何事もなく帰れるとは思えない。その引き換えが今の記憶だったとしたら…。自分は…戦時中の自分は万事屋とどう関わっていけばいいのだろう。
いや、関わらなくていいのだ。もう、あの人たちに頼らずに生きていかなくちゃいけないんだ。
普通の生活とは言えなくても、それに近い生活は出来た。きっと、それが最初で最後の幸せだったんだ。諦めて、満足しろ。こんな道しかないんだ。
俯いていた顔を上げた。遠い地平線から覗いた太陽が朝焼けとなって、眩しく、辺りをオレンジ色に染めた。暖かな温もりを感じた。
万が一の死ぬ覚悟は出来ている。最後の最後で思い出も出来た。もう、何も必要ない。思い残すこともない。

何も言わずに出てきて、勝手にくたばる私を奴らは怒るだろうか。いや、もう既に私がいないことに気づいて、怒っているだろう。
最後まで迷惑かけてばかりだ。だから、ありがとうとさよなら。もう、二度と会えないかもしれない。でも、それでいい。

吉原に続く地下通路へと足を踏み入れた。もう、後悔はしない。振り返る。常闇の住人はさっさと帰れ。黒い鬼は次第に暗闇に溶け込んで、消えていった。



暗闇を暫く歩けば、薄明かりが差し込んだ。
明るく開けた先には、地下都市・吉原があった。常に夜の続く街だ。
遊女やらなんやらとすれ違う。地上の世界とは明らかに違う雰囲気だ。

楓は暫くウロウロと歩き回ると、一際大きな遊郭の前でふと足を止めた。上を見上げれば、他の遊女とは格が違う別嬪が吉原の町を眺めていた。その顔は堂々としていたが、何処か迷いや寂しさの感じられるようだった。
「お前、狙ってんのか?」
声の主へ顔を向ければ、まだ8歳くらいの少年が睨んでこちらを見ている。捨て子なのか、少々薄汚れた容姿であった。
「女が女買うわけないやろ。」
「そうだよな。」
楓が呆れたように答えれば、少年は少し安心したような顔をした。
「あんたこそ、狙ってん。」
「無理だって言いたいだろ?」
楓は何も言わなかった。
実は、楓がここに足を止めたのも偶然じゃない。うろついている時、ふと上から見下ろされるような視線を感じた。そして、それがあの別嬪のものであることを知った。まるで、この少年と話すことを仕組まれたかのように。
「今は無理だけど、いずれは…。」
楓は少年の言葉を最後まで聞いていなかった。それよりも、周りを取り囲み始めた殺気に集中していた。
「姉ちゃん?」
少年は不思議そうな顔をして楓を見ていた。
「スリルは好きか。」
「え?」
楓は少年との間合いを一気に詰めると、否応言わせずに小脇に抱えて走り出した。

その頃、銀時たちは吉原に着いた。楓がいるのは分かっているが、どうにも広すぎて捜せない。
「銀ちゃん!あれを見るネ!」
困り果てたとき、神楽が道の先を指差して叫んだ。
「楓アル!」



噂には聞いていた。吉原自警団「百華」。死神太夫の名で恐れられる月詠という女を頭領に48人の女から成るらしい。
殺気が動き出したことに気づき、楓は走っていた。

「止まれ!おとなしく、その餓鬼をおいていくなんし。」
月詠であろう女は百華を引き連れ、小さな遊郭の屋根からそう言った。その言葉に楓は足を止め、上を見上げる。
「この餓鬼の事情は薄々分かるがね、そう簡単には渡せんな。」
「そうか。ならば、ぬしを殺すまでじゃ!撃て!!」
クナイの一斉攻撃。人数が多い分、攻撃も普通じゃない。楓はとっさに懐から小刀を取り出すと、逆手に持ち、抜き放った。そして、クナイを払い落とす。
「わぁっ!」
地面に刺さったクナイに驚いて、小脇の少年が喚いた。
「死ぬことはない。けんど、安心しろとも言えんがな。」
飛んでくるクナイを避けながら、楓は刀をポーチに逆さに入れる代わりに拳銃を取り出した。
「えっ!…あの人たち、殺しちゃうの?」
「実弾だからねぇ…。外したら命はないかな。」
少年の問いに、楓は呑気に答えた。まあ、殺すつもりははなからない。走りながら、安全装置を外して、クナイを構えた女の一人を狙って撃つ。すると、キィンという音と共に手からクナイが弾かれた。
「なっ!」
女は手に掠り傷一つ負っていない。クナイに的を絞り、尚且つ下から発砲して命中するなど偶然ではないのか。並大抵の技じゃない。百華の後ろを走っていた月詠はそう思ったが、その疑いを覆すかのように、目の前で同じことが何度も繰り返された。
「何者だ、あいつ…。」
百華の中で驚きと共にそう囁かれ始めた。自分達に敵う相手ではないと悟ったかのようだった。
「止まれ!」
月詠の声に百華の女どもは足を止めた。と同時に楓も足を止めると、拳銃を下ろした。


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