nitty-gritty

□苦悩
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「これは読んだらすぐに処分してください。」
いつか、総督は『読後焼却すべし』と印の押されたファイルを机で滑らして私に差し出した。
いつからだろうか。私の一生がかりの任務が始まったのは。
この記憶だって…最近のことか、昔のことか曖昧だった。一つだけ分かることは、このことをついさっき思い出したということだ。
過去を封じ込めていた紐が少しだけ解けたような気がしていた。



きっかけは特になかった。ただ、道端にポンと置かれた箱を開いたみたいに、しょうもないことだった。過去を追い求める自分とは裏腹に、やはり不安もあった。今まで自分が成してきたことを知るのが怖かった。
一つ溜め息をついて、左手を項にやった。何か、ここにも過去へ繋がるものがあるような気がしていた。ただ、ぼんやりとした幻想が瞼の奥でチラチラと揺れていた。まだ思い出せない。多分、いずれ分かることだ。急く必要はない。

夢うつつのまま、ベッドから起き上がると、小部屋を出た。その先の研究室では、ソファーで新井が楓の拳銃をいじっていた。
「おはよう。…また派手にやらかしたな。とうとう、不死身のスパイも死ぬかと思ったよ。」
「まだ甘い方さね。」
右腕の傷口は塞がりかけていた。自分で吊った三角巾でないことも分かっていた。多分、新井が消毒し直してくれたのだろう。
「坂田さん達…来たん。」
「ああ、メモを残していったよ。…また危ないことに巻き込ませるなよ。今回だって…。」
「…分かってる。」
新井から受け取ったメモを暫く眺めていた。目が覚めたら万事屋に来い、と。何の用だろう。
「新井。私、食堂行くから終わったらまた来る。」
「分かった。」
そう言い残して、楓は研究室を後にした。



食堂に行く前に、総督室と副長室に寄ったが、二人とも留守のようだった。気づけば、隊士の数もいつもより少ない気がする。多分、大がかりな見廻りにでも出掛けたのだろう。

食堂に着くと、白ではない…黒い隊服が目に入った。少ない白は完璧に黒に取り囲まれている。ボードの上で負ける直前のオセロのように。
「人んちで何してんですか。」
そう言うと、瞳孔の開きまくった眼がこちらを向いた。見れば、周りの真選組隊士達もボロボロだった。皆、こないだの傷が治っていないらしい。
「今、コイツらにお前の居場所聞いてたんだ。」
黒の隙間から見えた白はひどく怯えた顔をしていた。だから、駄目なんだ。今日の見廻りは、いつもやっている中で最も規模の大きいものであった。普段の見廻りに行けない連中…いわゆる下っぱでも、見廻りに参加できるチャンスであり、よっぽどの理由がない限り、選抜から外されることはない。だから、今日の選抜に選ばれなかったなら雑魚中の雑魚ということになってしまう。これはエリートだなんだと掲げる見廻組の恒例企画でもある。

「今日は皆見廻りに行ってるんですよ…その人達はお留守番でね…。関係のない人達なんで、巻き込まないで欲しいんですけど。」
「じゃあ、聞くぞ。」
大股で土方はこちらに歩み寄って来て、目の前に立ちはだかった。
「お前は一体何なんだ?…幕府のデータベース調べさせて貰ったんだがな…お前に関することは何も出てこなかったんだ。」
「…。」
楓は、ただ黙っていた。事実、自分でも自分のことは分からないのだ。
「何か言えよ。」
「…知らない。」
いつのまにか足は動いていた。このまま、ここにいたら何か思い出してしまいそうで怖かった。まだ…自分の過去を知ることを恐れているんだ。
土方の声も無視して、出来るだけ遠くに逃げようと思った。今、来た道を戻って、エレベーターに乗り込んだ。



「…どうした。」
「…。」
いつの間にかエレベーターの隅っこで踞っていたらしい。そういえば、エレベーターに乗った時の記憶がすっぽり抜けていた。
顔を上げたら、心配そうな新井の顔があった。エレベーターはいつの間にか地下7階についていたらしい。
「上に…真選組がいて…。」
いつもの強気になれなかった。やっと開いた口からでたのは掠れた弱々しい声だった。
「何か…過去を詮索されたのか。」
「…。」
ゆっくり頷いた。少しだけ…目頭が熱くなって、目の前が滲んだ。
「私…今まで自分がどうやって生きてきたのか分からない…。いつか、一気に思い出して、罪がのしかかってくるんじゃないかって…怖くて…。」
やっとの思いで言葉になった。新井の眼は真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「そうか。じゃあ、俺が真選組を追い払ってこよう。…戻って来るまで…研究室にいれるよな。」
「うん。」
新井は立ち上がって、楓を立たせて、小さな箱から出した。重い扉が閉まるのを彼女はじっと見つめていた。



研究室に入ると、目の前のソファーに足を抱えて横になった。今日の自分は、あの夢を見てからどうかしている。…まさか、これから先あんな夢を見るたび、今みたいに憂鬱な気持ちになるのだろうか。新井が帰ってきて、話をしたら万事屋に行こうと思った。

そのまま、ゴロリと寝返りをうった。柔らかいソファーの背もたれに顔が埋まって、窒息しそうになった。いままで、死のうなんて考えたことなかった。死人の痛みも知らないから、罪悪感の欠片もなかった。だけど、今はどうだ。このまま、今すぐ殺されてしまうとしたら、怖くなった。死ぬのが怖いなんて思いは、とうの昔に捨てたはずだ。

再び寝返りをうったら、いつの間にか帰っていた新井の後ろ姿が目に入った。コーヒーでも淹れているのだろう。
「真選組は説得しておいたよ。総督がいるときに来るってさ。」
「…そう。」
曖昧に返事をした。普段の自分に戻れないことが、すごく腹立たしかった。
「不安定だな。」
「今日は…なんかおかしい。」
また、少しだけ目頭が熱くなって、目の前が滲んだ。そんなの新井に見せたくない…。冷たい鋼鉄の塊で冷やすように、左手首を閉じた目の上に置いた。
「万事屋には…行くんだろ。」
「うん。」
テーブルでカチャンと音がした。新井がコーヒーのカップを置いたのだ。
「これから先…。」
「ん。」
向かいのソファーでコーヒーを啜っていた新井が顔をあげる。楓は起き上がって、コーヒーを冷ますためにスプーンで軽くかき混ぜた。
「これから先…昔のこと思い出す度にこんな気持ちになるのかなって、不安なんだ。」
「…。」
カチャリと、沈黙の空間にスプーンを置く音が響いた。
「過去…思い出したいの。」
「…本当は怖いよ。自分のしてきたこと思い出すのは。だけど私…。」
それ以上、言葉が続かなかった。正面の新井の眼が鋭さを増したような気がした。続きを言わせない雰囲気を作り出していた。楓は目を伏せて、コーヒーを一息に飲み干した。
「…拳銃、出来てる。」
「うん、ありがとう。」
ぶっきらぼうな彼の言葉に薄々、感づいていた。分かっている。今の段階で思い出してもいいような記憶なら、最初から封じたりしないと。きっと、それは任務に関わることであり、自分の命にも関わってくるのだと。
もう、追い求めるのは止めよう。自分は何のために生かされているのか、考え直すべきなのだ。
新しい黒装束に着替え、ホルスターにマガジンと拳銃を押し込んだ。ブーツを2回トントンと鳴らすと、研究室を出た。


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