新章 螢の光
□序章
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◇ ◇ ◇
ざばざば。
ざばざば。
土砂降りの雨が、二人に注がれる。
ざばざば。
ざばざば。
雨に紛れて雷光が走り、耳をつんざく音が国中に広がる。
ざばざば。
ざばざば。
雷の光で見えた姿に、彼女は目を見開いた。
傍らで横たわり、胸から血を流すその姿に。
「…………!」
名前を呼びたいのに、声が出ない。
手を伸ばしたいのに、体が動かない。
握り締めた剣の柄が冷たい。
ざばざば。
ざばざば。
再び、雷鳴が轟く。
彼女は自分の身に叱咤し、剣を手から離す。
恐る恐る彼の身に近付いて、背中に手を回し、重たくなった体を抱き上げた。
雨が顔を濡らし、赤茶色の癖っ毛が頬や額にへばりついている。
見るからに鬱陶しそうだ。早く払ってあげないと。
そう思って、頬に手を伸ばす。
触れた肌は雨のせいか。それとも別の理由か。氷のように冷たくて、触れた指からじわじわと体温を奪っていく。
「 」
消え入りそうな声で、彼の名を呼ぶ。
返事はない。
おかしい。いつもなら嬉しそうに笑って返してくれるのに。
飼い主に名前を呼ばれた犬のように。
優しい瞳を向けて、それはそれは嬉しそうに笑い、答えるのだ。
学生時代からそうだった。
夫婦になって子が生まれても、変わらず答えてくれたのだ。
なのにどうして、今は答えてくれないの……?
学生時代。私があなたに黙って気の乗らない見合いをしていた時、真っ先に駆けつけてくれたじゃない。
助けて。って、一言も伝えてなかったのに、助けに来てくれたじゃない。
今も助けてほしい。
目を覚まして、なんともないよと笑って、いつもみたいに笑って抱き締めてほしい。
それだけで、私の心は救われるのに。
「おねがい 」
ざばざば。
ざばざば。
雨の音が、声を遮る。
握り締めていた柄。
その手に残っていたのは、肉を貫いた時の感触だった。
◇ ◇ ◇
→予兆