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□心に空いた穴
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「由ー摩っ」
すっかり明るく模様替えされた由摩の現主人・詠の自室―もとい、解雇された由摩の元主人・骸の自室。
一際元気な詠の声がこだまする。
「あ…お帰りなさい、ませ…」
詠はぎこちない返事をする由摩に駆け寄ると、いきなり彼を抱き締めた。
「ぎゅーっ♪由摩、ただいまっ」
「あ、あの…」
骸が去り、詠が来てから由摩の生活はガラリと変わった。主人に甲斐甲斐しい程に世話を焼かれ、本来真逆の今の立ち位置に由摩は戸惑いを隠せない。
「ね、お風呂入ろ?ね?いいよね?」
由摩の返事も待たず、詠は由摩の装飾品だらけの衣服を脱がし始める。由摩は他人に裸を見せるのが嫌だった。
なぜなら、彼の全身は前の主人によって付けられた生傷や痣で埋め尽くされているからだ。
「あ…あの、詠、様…」
「ん?なぁに?由摩」
「奴隷にこのような…常人と変わらぬような扱いは、どうか、お止めください…」
それを聞いた詠は急に怒ったように頬を膨らませた。
「なんで?由摩と仲良くなりたいんだから、別にいいでしょ?ダメなの?」
主人の命令には逆らえないため、由摩は口をつぐむ。
詠が来てから何から何まで変わってしまった。食事も洗濯も掃除も、全て詠がやるので由摩は椅子に座っているだけだ。それに以前はいかなる場合も全裸で過ごしていたが、今はきらびやかな衣装に身を包み詠と由摩とではどちらが主人か分からぬ程である。
何不自由ない生活。しかし、由摩の心は虚しかった。
―僕はあの人が、忘れられない…
どれだけ詠に優しさをもらっても抱き締められても、彼に情は湧かなかった。それが由摩にはとても申し訳なく感じられる。それどころか元主人の存在が脳内から離れてくれない。
―あの人に、会いたい。
前のように踏みにじられたい、思い切り殴られたい、呼吸が止まる寸前まで壮絶な責め、苦しみを与えられたい―
思えば思う程情欲だけが募り、由摩は眠れぬ毎日を送っていた。
―詠様は優しい方だ。僕にはもったいないくらいに。
詠には隠していることが多すぎる。詠は自分の身体の傷を見たとき、泣きながら前の主人はひどい人だと言った。だから、由摩はそれ以上何も言えなかったのだ。
―ひどくなんかない。
―あの人は僕の全てだった。
―あの人じゃないとだめなんだ。
何度心の中で繰り返したことだろう。自分はあの人―――骸にだけは全てをさらけ出すことができた。
恥も何もかも捨て去り、何の殻をも纏わぬありのままの姿で無様に許しを乞うことができた。
骸は自分の全てを理解し、徹底的におとしめてくれた。辛かったがその時だけが、自分が自分でいられる時間だった。
―だけど、所詮僕は奴隷なんだ。
自分のような人間の望みが叶えられるはずはない。
―あの人の思い出があるだけで幸せだ。それに、詠様のような方が僕の主になってくれただけで幸せなのだ。
由摩は背後で自分の身体を丹念に洗っている詠の温かさを感じながら、静かに目を閉じた。