黒兎

□捕虜
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第一陣母船船内―――――


出口付近に足音が響く。

音の鳴る間隔は狭く、しかし急いでいる様子もない。
そのため足音の主はまだ若い小柄な体格だとわかる。

不意に足音が止まった。

船の奥からもう一つの足音が響く。


「えらく遅かったな。…団長。」

「まぁね。」


その足音の主、伊坐薙は何事も無かったかのように返す。

彼の姿は全身に血を浴び、黒い髪にこびりついた赤い液体は既に乾き、照明に反射し赤黒く光を出している。

一体一人で何人もの生物を殺したのだろう。
その姿だけでおびただしい数の命を狩ったことが容易に理解できる。


「お前さん、まさかまた味方まで殺したんじゃないんだろうな?
団長が率いて行った兵はほとんど帰って来なかったぞ?」

「そんなの一々覚えてねぇよ。」

「んなこたぁねーだろ。」


伊坐薙は止めていた足を再び進め、阿状兎の側を通り抜ける。

阿状兎は半ば呆れたように横目でそれを見つめ、ふと伊坐薙の白い頬に一筋の赤い線を見つけた。


「ちょいと待ちな、団長。」

「ん?」


突然の呼び止めに不愉快そうに振り向く。

阿状兎の表情は小さな驚きを含んでいた。


「それ、どうしたんだ?
いつもなら無傷で帰ってきてただろう。」


そう言って自分の頬をつつく。
それを見て阿状兎と同じように頬に手をやる。

ちくりと痛みを感じた後、触った手を見る。

まだ温かく水分を含んだ血がそこに付いていた。それは紛れも無い、伊坐薙自身の血。


…あぁ。あの時…。


銀時との一戦を思い出す。
その時の攻撃を完全にはかわせず、頬を掠めていたのだ。

特に大きなリアクションもせず、黙り込む。

その様子が阿状兎には不自然に感じた。


伊坐薙は神威程ではなくとも好戦的な性格であり、事あるごとに喧嘩を吹っ掛けようとする。

それが強い相手なら尚更である。

しかしこのような戦場で伊坐薙が傷を負って帰って来ることは滅多になく、もしあったとしても更に叩き潰そうとするのが常だった。


誰よりも強く、何よりも力を求めてきた伊坐薙にとって、この傷を負わせた相手は自分にとって有益な存在であるはずである。

それに対し高揚感も期待も持たず、しかも不機嫌に考え込む様子に、阿状兎はいつもと違う雰囲気を感じていた。

同時についさっき見た映像が阿状兎の脳裏に過ぎる。


「さっきの白い侍か?」


阿状兎の言葉に伊坐薙は目を丸くする。


「お前…見てたのかよ!?」

「あぁ。見てたよ?
あんまり遅いから何してんのかって映像に映してもらったんだ。

そしたらその白い侍と楽しそうにじゃれてんのが映ってんだ。

まぁ、少し遠かったからよくは見えなかったけどな。」


「…へぇ。遊んでるように見えたのか…。」


阿状兎に聞こえるかどうかの声で呟く。

顔を歪ませている阿状兎の表情から、聞こえていないと判断し、「何でもない」と最後に付け加え再び歩き出す。

阿状兎も後ろに続くように歩き始める。

足を止めようとせず迷わず進む伊坐薙に、真っ先に指令室に向かう気だと察した阿状兎は声をかける。


「団長、まさかとは思うがこのまま指令室に向かう気じゃないだろうな?」

「他に何処に行くんだよ。」


不満そうに答える伊坐薙に呆れたように阿状兎は続ける。


「その成りじゃあ指令室の奴らはびびっちまう。
せめて水でも浴びて来たらどうだ?
じゃないと、くれる情報も仕事も減るだろ。」

「かえって増えるかもしんねーよ?」

「脅す気か?やめとけ、やめとけ。
今回俺達はあくまでも助成って形なんだ。最高司令官はあの阿呆って奴に変わりはない。
そうだろ?」

「…。」

「それにアンタは団長だ。うちの顔なんだからもっとちゃんとしてくれないと困る。」

「…それもそうだな。」

伊坐薙は血の固まった髪の毛を触る。
今まで全く気にしていなかったが、血は髪だけでなく素手や顔など、露出している部位全てにこびりついていた。

このままではもらう資料にまで血が付きかねない。

伊坐薙は足を止め方向転換をする。


「…シャワーを浴びる気にでもなったか?」

「アホか、ちげーよ。顔の血落としに行くだけだ。
あぁそうだ…。それと、お前もう戻ってていいぞ。
後は俺がやっとくから休んでろ。」


歩を緩めることなく進む伊坐薙に不信感を抱きながらも、阿状兎はその背中を見つめていた。


「なんでああも不機嫌なんだ?」


心に浮かんだ疑問を呟く。
しかしその答えが返ってくることは無かった。



 
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