我、妖怪に御座候

□午後6時_塀の前
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鈴女さんが歪めた空間を抜けると、そこは路地だった。

コンクリートの塀が並ぶ細い路地。
直線的に伸びた道が、少し先で急に折れ曲がり見通せなくなる。

僕は、こういう場所は好きじゃない。
真っ直ぐに伸びた道と、同じに見える家が規則正しく並ぶような場所。

主様の想い人は、こんな所にお住まいでいらっしゃるのか。

「不服そうね。」

つないでいた手を放して楽しそうに腕組みした鈴女さんは、悪戯っぽく微笑んだ。

おかっぱ頭で淡い紅の小袖を可憐に着こなす姿は、どうみても大人しそうな女の子。

それでも、やっぱり妖らしく、僕が嫌がっているのがわかると楽しそうになる。

「いつもと雰囲気違いますよね?」

素直な感想が口から出てしまって、可愛い目に睨まれた。

「ははは。」

誤魔化し笑いで頭を掻いて、鈴女さんの目を逃れて背を向けた。

僕は正直すぎるらしい。

「この辺りにうちの主様の気配があるのですか?」

強引に話題を変えて、キョロキョロと周りを見わたし、目の前の塀の一つを指差した。

コンクリートの灰色の壁は、特に変わったところもない。

「この辺り。それしかわからないっ。」

強く言い切られて、まだ不機嫌なんだとわかった。

そのくせ、とても律儀なようで、

「鈴女さん、その、なんていうか、」
「黙ってっ。」

謝ろうとする僕を黙らせ、襟元で両手を合わせて気配をよむ。

真剣な表情で眉間にシワを寄せているから、僕は黙って結果を待った。

「なんか変。」

言いながら歩き出した鈴女さんについて行く。

空間を捻じって壁を抜け、また同じような路地に出て気配を探る。

それを繰り返す鈴女さんは、空間を越える程に眉間のシワを深くしてゆく。

「…おかしいわね。」

簡単にやっているように見えても、そうではないらしい。

薄っすらと汗が浮かぶ顔に、血の気はなくなっていた。
苦しいのか、呼吸をする度に肩が揺れる。

僕の主様なのに…。
なんの役にも立たず、鈴女さんに頼っているだけの自分が情けない。

「鈴女さん、少し休まれては?」

申し訳なさで顔が上げられなくて、下を向いたままそう言うと、すごいチカラで頭を叩かれてしゃがみこんだ。

くっ、痛っ!!

「うじうじするより先にやることがあるでしょ?! 悩むのは主を助けてからにしなさいよ!
…って、言ったよね?」

涙目の僕に鈴女さんは冷たく言い放つ。

コクコクと頷くと、大きなため息をついて僕に手を差し出した。

「ほんと、甘やかされてるんだから!!」

ため息まじりで僕を立たせ、つと僕の後ろの塀を顎でしゃくった。

「何ですか?」

振り返った塀に主様の匂いはない。

「そこ、変な感じ。」

ずっと眉を寄せたままの鈴女さんが、塀を睨んで腕を組み直す。

「…変な感じ。」

何の変哲もないコンクリートの塊を前に、僕も腕組みして鈴女さんが言う変な感じを探してみた。

一見、平らにみえる人工物の表面は、よく見るとザラザラでデコボコしてる。

野晒しになっているせいか所々にシミもある。

「このシミ、パンダに似てますね!」

嬉しい発見に声を踊らせると、またすごいチカラで頭を叩かれた。

…いっいだぃっ!

痛む頭を摩りながら、もう一度塀を見る。

ここに何かあるはずなんだ。

ぎゅっと眉を寄せ、見えない何かを探してシミを見つめた。

相変わらずパンダにしか見えないシミが、目に溜まった涙で歪む。

パンダじゃないなら、何なんだ。

パンダじゃなくて…、これがドアノブなら、ドアはこの一区切りのブロックになる。

小さくて、入れないよ…。

睨むうちにも目に溜まった涙が、映る像を歪めていく。

「…あたし、もう少しやってみるから。」

肩に置かれた冷たい手をつかみ、ハッとして鈴女さんを見た。

可愛らしい顔は蒼ざめ、色をなくした唇がかすかに震えている。

無関係の鈴女さんに、これ以上無理をさせちゃいけない。

『弱いモノは守れ。』

主様の数少ない名言が聞こえた気がした。

「僕が見つけます。鈴女さんは少し休んで。」

腰に括った瓢箪を外し、荒い息を繰り返す鈴女さんに手渡すと、鈴女さんは目を大きく見開いた。

「だって…。」

戸惑う鈴女さんの唇に人差し指をあて、にっこり笑う。

どうか、自信満々に見えますように。

「鈴女さんが休む間だけ、やらせてください。ね?」

この場合、鈴女さんが僕より『弱モノ』かは別として、僕にだってやれることがあるはず。

だって、僕は主様の優秀な従者なんだから。

僕のそんな気負いがどう伝わったのか、瓢箪を受け取った鈴女さんは、何故か赤くなって頬を膨らませた。

怒っちゃったかな?

心配になったけど、鈴女さんが黙ったままだから、また塀に向き直った。

パンダでも、ドアノブでもないなら…このシミはなんだ?

ああ、主様がここにいたなら、きっと僕を撫でてくださるのに…。

………。

手?
もしかして、主様の手の痕??

点々と塀に残るシミをじっと見る。
塀に手の痕?

見れば見る程、主様の手の痕にしか見えないソレに目を凝らして首を傾げた。

「鈴女さん、術に手で触ったら痕が残るんでしたっけ?」

「聞いたことないけど?」

「…ですよね?」

肩を竦めた鈴女さんに頷いて、やっぱり主様の手にしか見えないシミを指差した。

「ここが変です。」

「どこ?」

鈴女さんから瓢箪を受け取り、主様の手の痕の中心を示す。

「どんな風に?」

真剣な顔で塀を調べる鈴女さんは、そっとシミをなぞる。

「主様の手に見えるんです。」

「手?」

「気配とか、そういうのはわからないんですけど、なんか主様の手に見えちゃって。」

笑われてしまうかも知れない。

段々小さくなる僕の声は、最後には呟きになっていた。

「ん、ココね。」

確信に満ちた断言に驚いて顔を上げる。

「本当に?」

ニコリと笑った鈴女さんは、力強く頷いた。

「どんなチカラ使ったのよ? すごいじゃない?」

我、妖しき力を使役せり。
その名を主様への愛という。

鈴女さんに褒められて、僕は有頂天になった。

主様! 僕もついにやりました!
お役に立てましたよ!!

けど、世の中そんなに甘くない。

「じゃ、あたしの役目は終わったから。帰るね。」

あっさり言った鈴女さんに、「え?」と聞き返す間もなく。

「そこから入れるはずだから、後は頑張って!」

簡単な激励と共に、一瞬で消えた鈴女さんを引き止めることも出来なかった。

………。

主様、僕は…どうしたらいいんですか?!

『自分より強いモノは徹底的に利用しろ。』

主様のもう一つの格言が頭をよぎる。

今更遅いですよぉ、主様ぁ。

取り残された塀の前、僕はただただ呆然と立ち尽くした。





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