我、妖怪に御座候
□たそかれ刻_虚の世界
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頬に何かが触れた?
そんな感覚で眠りから覚めた。
頭が重い。
だるさの抜けないカラダを起こす。
前髪をかきあげ、腫れたように重い瞼を開けると、目の前に灰色の闇が視えた。
虚(うつろ)の世界の中か…。
この闇の手強さは知っている。
虚は全てを呑み込む。
本当に全てを。
現にこの世界に閉じ込められた記憶はあるものの、そうなったいきさつが思い出せない。
どうして目覚めた?
虚は、目覚められる世界なんて創らない。
全てを呑み込んでしまう闇があるだけのはず。
ゆっくり首を動かし、僕を覆うように広がる灰色の闇に目を凝らした。
霧であればどんなに深くても自分の手ぐらいは見えるものなのに、顔に近づけた指先が見えたのは指が鼻に触れてからだった。
やはり、虚の世界。
出来の良さに素直に感心して、ほうっと息を吐く。
だけど…出来は良くとも、僕は目覚めた。
何かキッカケがあったはず。
灰色しか見えない世界を、瞼を閉じて遮断する。
何かあるはず。
僕を目覚めさせた何か…。
感覚を精一杯引き伸ばし、綿のように僕の周囲を包む虚の気配に這わせていく。
ツナギ目を探して感覚を研ぎ澄ませ、不意に髪を揺する何かに気がついた。
驚きと共に、だるさの抜けない重い腕を持ち上げ、髪に触れる。
髪を揺らした何かは、周囲の空気を頼りなく揺らし、僕の指に止まった。
指をつかむ細くギザギザの脚の感触。
虫?
首をかしげて、そっと目の前に指を近づけた。
閉じていた目を開け、正体を探る。
指をつかんでいたのは、蝶だった。
白い翅に黒い斑点のモンシロチョウ。
止まる場所を得て落ち着いたのか、翅を休めて僕を見ている。
虚の世界に在るものならば、それは全てまやかし。
僕を誘う罠であるはず。
虚に閉じ込められたこの世界に僕以外がいるはずがないんだ。
これは、罠。
疑おうと思っても、この歪んだ世界で見つけた他者に胸が踊る。
「…ここを出よう。」
話しかけると、蝶は頷くように翅を動かした。
…不思議だ。
ここに自分以外の存在が在るだけでチカラが満ちてくる。
蝶の止まる指先から、カラダ全体へ…。
まるでヒトの祈りに触れた時のように、チカラが伝ってきて、重かったカラダが軽くなる。
「…君のおかげかな?」
話しかけると蝶は指を離れ、頼りなく飛び立った。
フラフラと漂うように飛んでゆく白い翅。
灰色の闇の中、蝶の姿だけは切り取った様に鮮明で、気づけば後を追いかけて歩いている。
罠だとしても、他に手もない。
この白い蝶に惑わされるとしよう。
例え出口が見つからなくても、ここで何もせずに虚の闇をみているなんて、したくない。
我、この身体消え遣らず。
朽ちることのないカラダは、この檻の中で永遠を過ごしてしまうから。
自分の想いに沈み立ち止まった僕のもとへ、白い蝶は薄い翅を揺り動かし舞い戻る。
蝶は宥めるように僕の鼻先に触れると、弱々しく翅を動かし僕を前へと導いた。
灰色の闇を寄せ付けない白い翅。
その清さが目に染みて、やはり追わずにはいられない。
これが罠であったとしても…
落ちていたいんだ…。
恋情に似た衝動に戸惑いながら、僕は蝶を追いかけた。