MONSTER
□禁じられた遊び
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躾は飼い主のために、餌は安い命のために。
私の生活には変化がない。
勿論事件によって現場は違うし、身体を張った捜査もするけれど、基本的には毎日淡々と仕事をこなすか読書をするかのどちらかだ。
潜在犯として拘束されていると、顔見知りも滅多に増えない。
執行官として公安局に来たばかりの頃は、こんなに閉塞的な場所で頭がおかしくならないか本気で心配したこともあった。
それでもぼんやりとした不安はいつのまにか消えて、今ではこの生活こそ日常だと自然に受け止めている。
精神が崩壊するより先に、私の身体は環境に適応してしまった。
どうやら私は想像していたよりもずっと図々しく、逞しく生き抜く力を持っているらしい。
護送車に一係の執行官全員が乗り込むと、流石に少し狭苦しく感じられる。
外の景色は見えないけれど、今頃護送車はギノの覆面パトカーの後を追うようにして高速道路を走っているだろう。
現場に到着するまでの間は、皆それぞれ無言で好きなことをして時間を潰すのがお決まりのパターンだ。
今は殆ど見かけなくなった2Dのゲーム機を機嫌よく弄ぶ秀星。
デバイスで音楽雑誌のデータを表示し熱心に読み耽る六合塚。
征陸さんは腕を組み、目を瞑ったまま何か考え事をしている。
今向かっている現場のデータをデバイスで表示させ、黙々と目を通しているのは狡噛だ。
私も例外ではなく、スーツの胸ポケットに突っ込んでおいた文庫本を読み始める。
三島由紀夫の「美徳のよろめき」、所謂ありがちな恋愛小説だ。
昨日読み始めたばかりで刺激的な展開とは言えないけれど、繊細な言葉使いと背徳的な文章は嫌いじゃない。
むしろ密かに続きが気になってしまう作風だ。
しおりが挟んであるページを開くと、あっという間に別の世界に浸ってしまう。
一係の皆は、お互いに誰が何をしていてもあまり気にしない。
任務中はある程度チームワークを大切にしていても、現場から一歩離れれば途端に個人の領域を作ってしまう人間ばかりだ。
以前所属していた場所といい、私は風変わりな環境に縁があるのかもしれない。
普通じゃない、そんな誉め言葉が通用してこそ私の世界だ。
やがて護送車はゆっくりと停まり、重い音を立てつつ扉が開く。
執行官になってから、外の空気を吸う回数は格段に減った。
三年前までは善良な一般市民というカテゴリで生きていた私自身を、今はうまく思い出せない。
ただ、徐々に外の空気が慣れないものに変わっていく違和感だけははっきりと覚えていた。
護送車から全員降りると、簡単な説明を受けて要塞のような工場内へ入るよう指示される。
東京といってもノナタワーや多くの高層ビルがそびえ立つ地区とは違い、緑が目立つ八王子市。
市街地から離れたここは都心の喧騒を免れた代わりに、ぞっとするような雰囲気を漂わせている。
閉塞的なドローン工場で起こっているのは、事故と報告された不可解な事件だ。
被害者は塩山大輔、二十七歳。
八王子ドローン工場勤務で、テスト中のドローンによって身体をバラバラにされている。
これだけなら、まだ事故だと言い張ってもおかしくないかもしれない。
問題は、該当の工場から死傷者が出るのはこの一年で既に三人目だということだ。
現場はドローンの挙動検査セクション、完全自動化された生産ラインの中で唯一の有人区画となっている。
およそ五十人あまりのデバッガが常駐し、毎月千台以上のドローンを評価検証するにはフルタイムシフトを組むしかない。
捜査資料にはギノの備考が書き加えられている。
“検査前のドローンに誤作動を誘発するプログラムを仕込めば、事故を装った犯行は十分に可能”
つまり最近は殆ど見なくなった計画的殺人かもしれない、と言いたいのだろう。
普通なら全員の犯罪係数をチェックすれば済む話なのに、この現場特有の事情がそれを許さない。
その結果まとまったのが、執行官を総動員して現場に向かうという折衷案だった。
施設の中に足を踏み入れる直前、気まずそうな二人の監視官を盗み見てみる。
まだ何も始まっていないのにギノは難しい顔をしているし、常守監視官は不安げな目をしていた。
周りを観察する余裕があるうちはいい。
問題ない、大丈夫。
心の中でそう唱えつつ、ワイシャツの上からさりげなく首元のクロスに触れる。
その仕草に目ざとく気づいたのだろう、ふいに常守監視官が私の顔を覗き込んだ。
「陽本さん、大丈夫ですか?」
「え?」
「今、一瞬怖い顔をしていたので」
「…すみません、大丈夫です」
「そうですか…」
変なことを言ってごめんなさい、と常守監視官は女の子らしく頭を下げた。
上司なのに敬語を使われるのも何だかくすぐったいし、当分慣れそうもない。
そういえば狡噛も、この監視官は会ったばかりの執行官に謝ってしまう珍しいやつだと言っていたのを思い出す。
「常守監視官にお願いがあります」
「何ですか?」
「私のことは呼び捨てでいいですし、敬語で話す必要もないです。普通に喋ってください」
「でも、」
「歳もそんなに違わないですよ」
「…それじゃあ、香月さんって呼ばせてください」
なるべく穏やかな口調で要求すると、彼女はギノと違ってあっさりと私の申し出を受け入れてくれた。
この柔軟さは、ギノにも見習ってほしいくらいだ。
「その代わり、私のことも名前で呼んでくださいね」
「上司なのに?」
「いいんです」
「…わかりました、今度から非番のときは朱ちゃんって呼びます」
「はい!」
知り合って間もない上司を名前呼びするのは流石に気が引ける。
でも、彼女があまりにも嬉しそうな顔をするので思わず頷いてしまった。
おそらく彼女なりに、こんな職場でも人間関係を構築しようと必死なのだろう。
私はどこにいるときも大抵好き勝手にしていたせいで、生憎そんな協調性は持ち合わせていない。
それでも彼女の生真面目さと素直さは憎めないし、嫌えそうになかった。