MONSTER

□人魚の鱗
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私が私である限り、必ず辿り着かなくてはならない。

全て飲み込む怪物が、大きな口を開けて待つ場所へ。





何度でも繰り返すのは、記憶の断片を繋ぎ合わせる作業だ。

数え切れないほど山積みにされたパズルのピースを選び、一つずつ当てはめていく。

完成したパズルが何かを示す道標になる日を夢見ていたなんて、誰かに話しても笑われるだけだろう。

それでもいい。

あの頃の私にできることはそれしかなかった。

不安を覚えても立ち止まるわけにはいかない。

ここで躊躇ったら、大切なものを必ず失ってしまう。

強迫観念に似た思想はじわじわと膨張し、冷静な判断を許さない。

電気の通らない部屋は暗く、窓の外から差し込むネオンの光は派手なのにどこか鈍い色をしている。

ひび割れて無残な窓ガラスに、何を強打したのかへこんだ壁。

ホロが投影されない天井で、雨漏りの染みは斑模様を描いている。

目の前にある、古びたプラスチックケース一箱分の荷物。

これが彼女の全てだ。

会ったこともない、会ってみたかった、彼女の。

「…初めまして」

気の利いた言葉は思いつかず、結局無難な挨拶をしてしまう。

誰もいない部屋の中でしゃがみ込み手を合わせれば、何とも言えない気持ちになった。

「開けてもいい…?」

返事はないとわかっていても、問いかけずにはいられない。

後ろめたさを追いやりつつ手を伸ばす。

ここに一番来たかったであろう彼は、遺された彼女の残骸に触れることすらできないのだ。

生きていても見届けられない、愛しくても抱き締められない。

それがどれほど辛いことなのか、彼の境遇を深く知らない私ですら想像しただけで胸が苦しくなった。

ケースの蓋を開け、慎重に荷物を取り出す。

プリーツスカートが印象的な制服に使い込まれた鞄、髪留めとポーチ。

微かに漂う甘い香りが、写真の中で囁く彼女の声を連想させる。

やがて私は、旧式のカメラと小さな手帳、数枚のスナップ写真を見つけた。

写真は彼女を映したもので、照れ隠し気味に笑う表情が活き活きと撮られている。

「可愛いな」

零れた本音に一瞬頬が緩んだけれど、タイムリミットは確実に迫っていた。

遠くから聞こえてくる、ドローンの巡回音。

慌てて荷物を元に戻すと、ふいに細く儚いものが床へ落ちた。

「っ、」

咄嗟にそれを手帳や写真と一緒にポケットへと突っ込んだ私は、ドローンに見つからないよう注意して部屋を抜け出す。

雑居ビルを離れ、寂れた歓楽街の裏路地でようやく立ち止まり、ポケットの中へ手を入れた。



指先に絡まる冷たいもの。

神を象る十字のそれが、私を強く縛ってしまう。










当直勤務の日は、夕方頃刑事課オフィスに向かえば充分間に合う。

昼過ぎまで眠っていた私は、ベッドの中で丸まりながら起き上がる決心をした。

無限に続くありふれた日々は、目覚めのときが一番辛い。

目を開ければ、昨日までと何一つ変わらない現実を突き付けられてしまう。

面白そうだと思った本が無造作に積み上げられた机に、ジャケットが投げ捨てられた椅子。

飲みかけのコーヒーはマグカップの中で闇を作っている。

片付けるのが面倒でどれもそのままにしがちな性格は、一生直せそうもない。

シャワーを浴びて着替えた頃、やっと頭が冴え始める。

冷蔵庫に常備してある栄養補給ゼリーは胃を温めてくれなくても、空腹を誤魔化すのに丁度いい。

魚を丸呑みする格好でゼリーを飲み干し、鏡の前に立ってみる。

お世辞にも血色がいいとは言えない顔に軽いメイクを施せば、執行官、陽本香月の完成だ。

「…またクマができてる」

「睡眠不足です」

「言われなくてもわかってるよ」

ファンデーションを片手に肌の状態をチェックしていると、背後からその様子を窺っていたアンジュが口を挟んだ。

思わず言い返せば、アンジュはその場でくるりと翻る。

ホロとはいえ重力を感じさせない身軽さが心底羨ましい。

慢性的に疲労感から解放されず、寝ても体力が回復したとは思えない私とは大違いだ。

「陽本香月さんの本日のサイコパス色相は」

「聞かないからね」

「聞け」

アンジュと私の会話は唐突に邪魔される。

冷徹な低い声は、確かに真後ろから聞こえてきた。

恐る恐る振り返れば、そこには見慣れた人影がある。

皺の寄った眉間と苛立ちを表す口元、レンズ越しに私を睨む目。



「…ギノ」









   
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