MONSTER

□やわらかな傷跡
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二件分の報告書を書き終えたタイミングで、欠伸を小さく噛み殺してみる。

眠気こそ感じていないものの、長時間のデスクワークが続くと身体が鈍ってしまうらしい。

今日は遅番からの当直だ。

勿論当直といっても、一睡もできないわけではない。

監視官と執行官は交代で仮眠を取る規則があり、刑事課の多くの人間はそのルールに従って勤務している。

ギノが監視官用の仮眠室に行ってから数十分後、タブレットを打ち込む俺の指は明らかにスピードを落とし始めていた。

報告書を作成するのは三文芝居に似ている。

現場で何が起こったのか、考察として何を述べるか。

監視官が見聞きした事実なんて関係なく、ドミネーターが全てを裁いてしまうのに、今更どんな後付けをしろというのだろう。

任務の一環として避けられないが、シビュラシステムが謳った正義の辻褄合わせをするのは正直なところ億劫だった。

だが、どんな仕事でも文句は言えない。

人は皆、自ら判断するという行為を恐れている。

一度決めた物事ですら、本当にそれでよかったのかと悩み続けるのが人の性だ。

しかしそれは非効率的な感情であり、法や秩序を乱しかねない。

だからこそ、シビュラシステムが存在する。

シビュラに促されて引き金を引く分には、何の責任も発生しない。

ドミネーターを向けられた相手がどんな姿に変わり果てようと、任務をこなしたという端的な説明で決着がつくのだ。

すっかり冷めてしまった缶コーヒーを飲み干すと、手元のデバイスからコール音が鳴り響く。

こんな時間に呼び出してくるやつなんて、ディスプレイに表示された名前を見なくても察しがついた。

発信者は非番の縢だ。

通信ボタンを押すと、縢は陽気な口調で遠慮なく呼びかけてくる。

「コウちゃん、お疲れ様―!そっちはどう?」

「変わりないが」

「それなら後で俺の部屋に来てみなよ」

「どうした」

「一係の女子二人が、酔っ払っていい感じにできあがってるから」

女子二人。

数時間前に分析官ラボへ行ったとき、志恩が『これから弥生が来るの』なんて機嫌よさそうに話していたのを思い出す。

志恩と六合塚が一緒なら、縢の部屋で飲んでいるのは早番だった常守と非番の陽本だろう。

いつも以上に饒舌な縢は、愉快げに酒の肴を羅列し始めた。

料理の腕に関して言えば、あいつはなかなかのものだ。

縢が用意してくれたつまみを食べつつ酒を飲み、ゲームの対戦相手になることも少なくない。

「飲み過ぎるなよ」

「俺が酔うとか思ってるわけ?」

「ああ」

「コウちゃん素直すぎ、直球なのも程々にしないとモテないよ」

文句を言いたげな口調の縢に用件はそれだけかと尋ねれば、それだけかなと言い残して通信は呆気なく切られた。

あいつも相当酔っているのだろう、オフとはいえかなりご機嫌だ。

こんな夜中によくやる、と溜め息混じりの俺を見たとっつぁんは、相変わらずだなと言って目を細めた。

「とっつぁんだろ、縢に酒を渡したのは」

「なあに、執行官としての嗜みだ。それにあれは度も低い」

余裕の笑みを浮かべたとっつぁんは、報告書のデータを読み直している。

まるで報告は絶対に改ざんされていると言わんばかりに、細かいところまで見落とさないよう念を押しながら。

「…あいつも苦労性だ」

とっつぁんから送られたデータを、デバイスで確認する。

そこには元々御堂が首謀したアバター事件に関する一連の経過が表示されていた。

一見問題ない内容に見えるが、ギノの手の負傷に関する情報はどこにも見当たらない。

更に、御堂の犯罪を助長する協力者の存在を匂わせた箇所は全て削除してある。

おそらく負傷に関してはギノ自身がデータを修正し、後半は上の連中から消すように命じられたのだろう。

報告書の改ざんは今に始まったことではない。

上層部にとって都合の悪い事実を当たり障りない虚偽にすり替えるのも監視官の仕事だと、とっつぁんは常々言っている。

不条理を誤魔化す隠蔽工作には、矛盾すら認める人間の手を使ったほうが話も早い。

結局、汚れ仕事は正義を語るシステムがどうにかできる問題ではないのだ。

この目で見たことが、必ずしも真実として世界に受け入れられるとは限らない。

微々たる絶望を積み重ねて、監視官で在り続ける。

現状を理解しているからこそ、ギノを責めるわけにもいかないのが正直なところだった。

「あいつは上の指示をいちいち真に受けているんだろう」

「監視官はそれが仕事だからな」

「要領が悪いというか…つくづく中間管理職には向かないやつだ」

口調こそ素っ気ないが、とっつぁんの表情はギノを哀れんでいるように見えた。

「ギノはよくやってる、俺達が暴れ馬なだけだ」

「だといいんだが」

とっつぁんは静かに義手を見据えながら、諦めた顔をする。

生きることに疲れていても、まだ立ち止まるわけにはいかないという執行官らしい表情で。

「コウがいるから、伸元も何とか続けられるんだろうよ」

「買い被りだ」

今度は俺が笑う番だった。

ギノにとって俺は反面教師に過ぎない。

監視官から執行官へと身を堕とした、常人にとって理解の範疇を越える猟犬。

これが俺の立ち位置だ。





再びディスプレイを眺めながら煙草を取り出し、さりげなく咥えてみる。

火を点けて煙を吐き出すと、それは停滞していた思考を押し流しながらゆっくりと消えていった。









   
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