MONSTER

□やわらかな傷跡
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潜在犯の部屋とはとても思えない内装のそこには、玩具箱の賑やかさがある。

この部屋を訪ねるまで本物なんて見たことがなかった、昔流行ったらしい旧式のクレーンゲームとピンボール。

レトロなビリヤード台や使い込まれたダーツボードに、大きな対戦用ゲーム機。

凝ったインテリアで彩られた室内は、ちょっとしたプールバーかゲームセンターの装いだ。

床に張り巡らせたタイルは遊び心の表れだろう。

秀星もドアにロックをかけない。

監獄の中で鍵をかける必要はない、それが彼や私の言い分だ。

キッチン付きのリビングルームへ入ると、酸味のある香りが流れ込んでくる。

お手製サルサソースの匂いに食欲をそそられた私は、ようやく軽い空腹感を覚えた。

シンクに近づけば、私服姿の秀星と目が合う。

部屋に負けず劣らず色の洪水と化した服装が、彼の好みだ。

ラフな形のカットソーに鮮やかな緑色のボトムはどちらもお気に入りらしく、ソムリエ風のエプロンがよく似合う。

どんな服装でも欠かさない水色のピン留めは、秀星を幼く見せた。

「ごめん、待たせちゃった」

「いーや、時間ぴったり。暇だったから下ごしらえはしてたけど」

フライパンを片手に屈託ない顔をした彼は、普段より機嫌がいい。

今日は秀星と私が非番なので、飲みながらおいしいものを食べようと昨日から約束していたのだ。

秀星が作る食事は何でもおいしい。

それは技術的な問題でなく、手間がかかっているからだろう。

機能食やオートサーバーとは比べ物にならない、本物の味だ。

料理に読書、デッサンにトレーニング。

時間がかかって面倒なことも、丁寧に成し遂げれば必ず何か意味を持つ。

そう悟っているからこそ、執行官が務まるのかもしれない。

秀星が作ってくれたタコライスを初めて食べたとき、おかわりまで要求して笑われたのを思い出す。

『おいしいよ、このタコライス』

『だろー?俺って天才かも!』

普段皮肉ばかり言っている秀星が無邪気な表情を見せたのは、そのときが初めてだった。

五歳で潜在犯の烙印を押された彼は、外の世界を殆ど知らない。

物心がついた頃から柵の見えない檻の中で生きてきた人間だ。

秀星は常に淡々としていた。

潔く全てを諦めて、与えられた世界で一生を終える。

普通の人間なら絶望する現状を受け止める覚悟が、無意識にできているようだった。

「今日のメニューは?」

「いい食材が揃ったから、結構豪華にやっちゃうよ」

「期待していい?」

「当たり前だろ!タコのマリネにフルーツのパスタサラダ。ニジマスのムニエルにチキンのハーブ焼き…あとはタコスとタコライス」

「凝ってるね、おいしそう」

「俺が作るんだから、おいしいに決まってる」

このメニューなら、近くに置いてあるワインにもよく合うだろう。

ラベルには、まだアルコールが盛んに飲まれていた年代が印字されている。

「これは征陸さんからもらったの?」

「そ、『美味い酒の味がわかる大人になれ』だってさ」

「征陸さんらしいな」

「何でもバーチャルじゃ、生きてる心地しないっつーの」

「今日は徹底的に飲もうか」

「勿論」

ワインの瓶を持ち上げると、秀星は悪戯を企む子供の目をした。

テーブルに置かれていたソムリエ用のエプロンを身につけてキッチンに立つと、いくつか置かれた玉子が目につく。

「…これって」

「香月はオムレツ担当」

「作るのはいいけど、おつまみに向かないよ?」

「いーじゃん。俺は好きだね、あのオムレツ。ふわふわのとろとろで美味いし。オムレツだけは香月に敵わないんだよなー」

「私はオムレツしか作れないけどね」

「唯一の得意料理ってやつでしょ?」

軽快に話しつつ手を止めない秀星は、鶏肉に下味を施している。

彼の手際の良さはきっと一生真似できないと思いつつ、バジルに手を伸ばしたところで、ふいに案が浮かび上がった。

「…秀星、監視官も呼んでいい?」

「は?まさかギノさん?」

「違うって、朱ちゃんだよ」

「朱ちゃんなら別にいいけど、なんで?」

「おいしいものは皆で食べたほうがいいでしょ?」

配属された早々、朱ちゃんが秀星に目の敵扱いされていると狡噛から聞いたのを思い出す。

秀星はどう感じているかわからないけれど、朱ちゃんが執行官と関係を作りたがっているのは間違いないだろう。

そのせいか、勤務時間前に執行官宿舎をうろついている彼女を時々見かける。

彼女の努力を知っている以上、少しでも協力してあげたかったし、何より秀星の料理を食べておいしいと思わない人はいないはずだ。

「ふーん…じゃあ誰が一番アルコールに強いか勝負しようぜ」

「いいよ」

もう少しで勤務時間が終わる彼女にデバイスからメールを送って、再び料理に取りかかる。





執行官として公安局に来てからは、皆との食事は珍しいことではなくなった。

三年前、まだ潜在犯ではなかった頃。

あの頃から人と食事する楽しさを知り始めた。

私を見つけてくれた、紫煙を纏う悪態好きの彼に教えられて。









   
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