special thanks 2

□五番ボックス席の怪人
1ページ/1ページ











願いなど、叶うはずもない。










あらゆる生命が明日を信じて眠りにつく頃、灰色の雲が夜空を覆ったせいで、深い闇に沈んだはずの世界は妙に明るかった。

まだ雨は降っていないが、この調子だとじきに降り始めるだろう。

そんな外の光景を眺めていたのはつい先刻のこと。

俺達は息を殺しながら、港に並ぶ貨物船の地下室に潜んでいた。

背中にあたっているコンクリートの壁は、隊服越しでもその冷たさがわかるほど。

鉄製の床からはまだ何の音も伝わってこないが、ここが取り囲まれるのも時間の問題だ。

船内にロクな明かりがないせいで、ただでなくても暗い足元は一層濃い影を作っている。





江戸の港は毎日賑やかで、何隻もの船が常に停泊していた。

その中の一隻で、今夜武器の密売があるという情報を嗅ぎつけたのが数時間前。

ある組織の末端に属するチンピラが酒に酔い暴れたのを取り押さえた際に、取引を要求してきたのだ。

今夜港でいいものが見られる、と。

結局、男は急性アルコール中毒で詳細を話し終える前に意識不明となってしまった。

信憑性の薄い情報なので隊士は集めず、俺一人で港を見回れば事足りるだろう。

独断でそう考えていたが、それを許さないヤツがいた。

俺の隣で息を潜める女隊士、副長補佐。

犬のように変なところで勘がよく従順なコイツは、俺に対して一緒に行かせろと言い張り、半ば勝手に俺の後をついてきた。

「副長の力になれないだなんて、何のための副長補佐ですか。」

それがコイツの口癖だ。

「副長は何でも一人で背負い込みすぎです、だから局長に私をあてがわれちゃうんですよ。」

事あるごとにそう言いながら、うざったいほど俺の背中を追い、後頭部には視線が刺さる。

おかげで今は、俺が相手に刀を向ける前にコイツが先回りして抜刀してしまうほど、俺の行動は読まれてしまっていた。





「…当たりでしたね。」

浅い呼吸を繰り返しながら、コイツは俺の隣にしゃがみこみ、上を向いて呟いた。

「俺は当たってほしくねぇことは当たる性分なんだよ、オマエが一番よく知ってるだろ。」

「そうでした。」

コイツは走り疲れたのか掠れた声で、俺の横顔をちらっと盗み見て苦笑する。

張り込んでいたのが相手にバレてしまい、二人共連中に囲まれたが、幸い俺の背中にはバズーカがあった。

適当に数発撃ち込み混乱に乗じて逃げ出したのはいいが、船内には予想以上に相手が潜んでいたため、脱出しにくいことこの上ない。

おまけに携帯は圏外だ。

船を出て近くの倉庫街あたりまで逃げ込めば携帯の電波もあるだろうし、屯所へ応援要請ができる。

だが、二人でそこまで逃げ切れる保証は、狭い通路がひしめき合う船内ではどこにもない。

俺の脳裏には窮地を打開する一つの案が既に準備されていたが、その案の最大の問題は他の誰でもない、コイツだ。

副長と副長補佐として数え切れない修羅場を乗り越えたし、日々のなんてことない生活だって共にしている。

だからこそ、こういうときに俺の命令をコイツが聞いてくれないであろうということもなんとなくわかってしまうのだ。



残された時間はそれほど長くない。

俺はスカーフを緩めながら、煙草も吸わずに言葉を吐き出した。



「いいか、一度しか言わねェからよく聞いてくれ。」

コイツは俺のほうに目線だけ向けて、小さく頷く。

心臓の鼓動まで聞こえてしまいそうなほど近くにいるのに、すんでのところでコイツの身体には触れずに済む距離を保っていた。

これなら大丈夫だろうと思いながら、俺は話を続ける。

「オマエはここから脱出して、倉庫街まで逃げてから屯所に応援要請をしろ。あの辺なら携帯の電波も通るはずだ。」

「…副長は?」

その先の言葉は半分読めているような、でも信じたくないといった声色でコイツは話の先を求めた。

質問は最後まで話を聞いてからだといつもの注意を口にしかけるが、この場合は質問禁止が正しいと思い、そのまま言葉を付け足す。

「俺ァここで足止めをする。相手の気を引くには十分だろ。」

「そんなの駄目に決まってるじゃないですか!副長が戦うなら、私も戦います。」

「それだと応援を要請できねェ。」

「でも…っ、」

俺が話したことは全て本音でもあり、同時に建前でもあった。

正直に言えば、正確な相手の数もわからないのにコイツと俺の二人が立ち向かったところで、命の保証は全くない。

俺はいつでも死ぬ覚悟をして生きているし、当然他の隊士もそうあるべきだ。

ただ、そんな正論をコイツの前でかざす余裕など今の俺は持ち合わせていない。



願わくば、生きてほしい。

俺に何があろうとも。





「…すみません、できないです。」

案の定、コイツは俺に対する忠誠心は厚いくせに、俺の指示を受け入れてくれなかった。

副長補佐は副長のために在るべきだ、という思想。

それは間違いで、隊士はあくまで真選組全体や江戸の治安のために動くべきだと今まで何度も教えたのに。

「…そうか。」

これ以上ここで無駄な争いをしているわけにはいかない。

コイツが予想できないことでもしでかして隙を作り、無理矢理事を運ばせるしか方法はなくなった。

俺は静かに立ち上がり、腰に準備していた刀の柄に触れる。

その動きを、これから二人で戦うという合図として受け取ったのだろう。

コイツも同じように立ち上がり、俺の目線の先を眺めようとした瞬間。





俺はコイツの背中に素早く手を回し、力を込めて抱きしめた。





「副長、っ」

コイツの顔はちょうど俺の肩の辺りに収まって、もごもごと俺を呼ぶ。

予想できない事態が起こったことに混乱したコイツが、俺の顔を見るため上を向こうとしたとき。

「すまねェ。」

俺は刀の柄を引き上げ、鳩尾に一発、躊躇いなく衝撃を与える。

「っ、あ…」

華奢な身体は見る見るうちに力をなくし、コイツは俺に全体重を預ける格好になった。





「…悪ィな。」

気絶させてしまったことを謝ったのか、抱きしめてしまったことを詫びたのか。

どちらなのかは俺自身わからないまま、上へと続く非常口からコイツを抱えて引きずり出した。

そのまま船から下りて、すぐ脇の荷が山積みになっている場所へとコイツを運び、さりげなく身体を隠してやって船へと戻る。

やがてバズーカが引き金となり暴発を繰り返していた船は傾き始め、血眼で俺達を捜す輩が次々に現れた。

どこまで粘れるか、そう考えつつ上着の胸ポケットから取り出した煙草に火をつける。

煙草は、まだ数本残っていた。

俺は上着を脱ぎ捨て、ベスト姿になってからポケットに煙草の残りを突っ込み、終わりの時間を決める。

この煙草が最後の一本になるまでは、絶対に倒れない。

どう転んだとしても、締めは落ち着いて煙草を味わいたかった。

フィルターを口に咥えてから、刀を静かに抜き連中と向き合う。

準備ならできていると姿勢で暗に示しながら、俺は低く呟いた。



「この先は通せねェ。」



水平に構えた刀はただ美しく、それを滑らせれば赤が走る。



沈みゆくのは船か、思いか。










鈍い爆音が響き渡る中、俺は刀を口に咥え、港まで泳ぎ着いた。

「っ、は…!」

隊服は海水に濡れて重くなり、ワイシャツは赤に染まっている。

振り返れば、船は徐々に沈没し始めていた。

辺りには硝煙の匂いが立ちこめていて、おまけに雨まで降り出している。

肩で息をしながら感じたのは、任務を遂行できた希望と生き延びてしまった絶望だ。

よろよろと足を運び、コイツの元まで辿り着けば、コイツは雨に打たれながらも気を失ったままでいた。

俺はその場に座り込み、投げ出した足の太股にコイツの頭を乗せ、雨で濡れた髪に触れてみる。

口寂しさを覚えてポケットから最後の一本を取り出すが、海水に浸ったそれに当然火はつかず、仕方なくフィルターを噛んだ。



「…神も仏もねェな、クソ」



コイツをずっと見ていた。

いつも隣で、想いすら伝えることなく。

それが今夜、コイツを抱きしめたことにより何かのバランスを崩してしまった気がした。

コイツが目覚めたとき、どんな言い訳をしようか。

そんなことを考えれば頭は朦朧として、身体は疲労感に襲われる。

この思いに名前をつけず、コイツの一番近くに居続ける方法が、副長と副長補佐という関係性だ。

今以上に俺とコイツか近づく方法など、他にはないとわかっているのに。







夜が明けるまでにはまだ時間があり、煙草はないが、膝の重みは寝ずに考え事をするには丁度いい。



俺は塩辛いだけのフィルターをアスファルトの上に捨て、思考を冷やすために雨に打たれながら、ぼんやりと曇天を眺めていた。










Fin


   

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ