special thanks 2

□A Hard Day's Night
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二人ぼっちになりたくて、おんぼろな孤独を隠す夜。










今日も今日とて、慌ただしい一日だ。

商談は分単位で行ったし、合間を縫って新しい顧客も探した。

優秀な部下に任せっぱなしの仕事も多いが、身体を動かすほうが性に合う。

そんな言い訳を使って歩き回るのが好きだった。

浮き世の嗜みは、どうしてこうも太陽の見えないところで行われるのだろうか。

いつもは遠くから眺めるだけの青い星は、いざ降り立ってみると空気も不味く、派手な光が歓楽街をわざとらしく賑わしている。

腕時計の針は、長針と短針がてっぺんを向いて重なり合ったばかりだ。

幸か不幸か、騒がしい夜が慌ただしく朝を呼ぶまで時間はまだ残されていた。

料亭の会食で出された上等の酒を残さず飲み干した挙げ句、土産用にと財布の紐を緩める。

船へ戻ったらこの地を肴に一杯やろう、そう考えたのも束の間だった。

顔も知らない集団に囲まれて逃げ出したのはいいが、足取りは重くなり、身体はなかなか言うことを聞いてくれない。

酔いが回っただけならいいが、生憎そうではないと否が応でも理解している。

腹に手を当てれば、生温いものがじわりと掌を汚した。

人目につかないよう裏路地に入り、石畳の上で足を引きずれば、下駄は鈍い音を立てる。

もっと軽快に歩けたなら、小気味いい音が刻めるだろうに。

他人事めいた考えを頭の中で巡らせながら、やっとの思いで鳥居をくぐる。

鮮やかな朱色は洋灯に染められ、ぼんやりと視界を濁した。

境内の前には、武骨な作りの賽銭箱がある。

古びたそれを避けながら下駄を脱ぎ捨て、板張りの階段を上がろうとしたところで、膝の力が唐突に抜けた。

「お?」

がたがたと騒がしく、大した高さもない階段から転がり落ちる。

仰向けで倒れ込み、サングラスがずり落ちたせいで、夜空に浮かぶ星が見えたのが唯一の救いだ。

今夜は散々な目に遭ったが、運がないとは思わない。

ここまで辿り着けた、それだけで報われてしまう単純さに感謝したい位だ。

「ちぃと…眠いの」

折角の景色を前に、瞼はしぱしぱと瞬きを繰り返す。

痛みすら覚えないわしの意識は、あっという間にどこかへと遠のいていった。










瞼を染める光の色が、僅かに変わった。

おそらく橙色であろう、それの存在を確かめるため目を開ければ、蝋燭に灯された炎がゆらゆらと揺れる。

古びた木材で作られた天井は、船では決して目にしないものだ。

見慣れた我が家もとい我が船ではないが、ここをよく知っている。

何もない殺風景な部屋と丁寧に掃き掃除が施された畳、白い布団と硬めの枕。

腹の辺りを片手で探れば、何重にも巻かれた布地に触れる。

サングラスは顔のすぐ横に行儀よく置かれていた。

「…なるほど、」

合点がいったとばかりに頷けば、床を伝って足音が聞こえてくる。

板張りの廊下を楚々と歩く様子は、見えもしないのにはっきりと思い描けた。

障子は静かに開けられ、衣擦れの乾いた音だけが耳に届く。

姿を見せた彼女はわしと目を合わせ、立ったまま小さな溜め息をついた。

「生きてたんだ」

「おかげ様での」

「医者代払ってよね」

「おんしが医者に転職したとは知らんかったぜよ」

「元々職なんてないから」

「ほう、ならその格好は流行りの‘こすぷれ’じゃな」

「残念だけど、同じかぶき町でもあっちと違ってご奉仕はしない主義なの」

「相手がわしでもか」

「尚更駄目、性病もらったら困るでしょ」

純白の小袖に緋袴で佇む彼女は、裾を払いながらわしの隣で品よく正座する。

立ち振る舞いだけで言えばどんな巫女よりも巫女らしいのに、口の悪さは昔のままだ。

表向きは巫女だと名乗り生活する彼女は、今なお攘夷志士として江戸に留まっている。

攘夷戦争にも参加し、こうして戦乱の世が終わった今でも、わしや金時、ヅラや高杉と関係を続けているらしい。

もっとも、この神社で他の三人に出くわしたことはなく、皆で戦陣を突き進んだ過去も遠い思い出になりつつある。

だが、きっと全員、あの日々をはっきりと覚えているのだろう。

志を共にしたからこそ、五人がそれぞれの道を歩む今、顔を合わせなくなったのだ。

巫女は枕元にあったわしの酒瓶と、檜作りの一升枡を手にする。

この神社では、枡は飾り物としての役目を成さない。

使ってこそ物なのだと言って、彼女は笑う。

「で、今回の相手は?」

「心当たりがありすぎての」

「この前テレビで、黒い商売する社長特集に出てたじゃない」

「ああ、あれか」

「違う?」

「さぁ、わしは相手の顔も見てないぜよ」

「坂本らしいね」

一升枡に注がれた酒は、一口、二口と彼女の喉を通り過ぎていく。

口当たりも値もいい上等の酒だ、酒にうるさい巫女も気に入ったのだろう。

わしにも一杯とばかりに俯せになって腕を伸ばすと、巫女は容赦なくわしの手を叩いた。

「血が足りないってわかってるくせに」

「勿論」

「死にたいの?」

「おんしの上で腹上死なら構わんが」

「…それは一生無理でしょ」

「ああ、だからわしは死なん」

真剣にそう答えたが、わしが何を言おうと彼女には冗談としか聞こえないらしい。

呆れ顔の巫女は諦めたのか、酒が半分程度残っている枡を差し出した。

彼女の手ごと枡を抱えたわしは、そのまま酒を口へと運ぶ。

かさついた唇が酒で濡れ、乾いた喉にひりひりと染みるそれは、癖になるほど美味い。

総督、先導者、リーダー、社長。

どれだけ人間に囲まれていようと、若さや愚かさ故の孤独を感じる夜は必ずやってくる。

例えば今夜、手負いになったわしがここにやってきたように。

仲間や部下に隠したいものを受け止めるなら、打ち明け話をする人間と同様、打ち明け話をされる人間も相応の思いを覚悟する。

彼女は自然とその節を理解しているのだろう。



情に甘えてはいけないと理屈ではわかっていても、本能が収まらない。

そうしてまた、ここを目指して歩いてしまう。







「そろそろ行くかの」

布団から起き上がり、サングラスをかけたわしはきっちりと畳まれていたコートに腕を通す。

「手当てしてくれて助かったぜよ」

「帰ったらちゃんと医者に診てもらって」

命が惜しいならと付け加えた彼女も立ち上がり、丁寧に障子を開けた。

「美味しいお酒を持ってきてくれるなら、最期くらい看取ってあげてもいいけど」

「おんしがそんなことを言うとは、明日は雹じゃな」

「減らず口聞けるくらい元気なら、一人でも問題ないか」

「大問題ぜよ。おんしが独りだと寂しいと思って、わしも独りでおる」

「…余計なお世話」

そのまま部屋の外に出た彼女とすれ違い様に呟くと、冷たい指先は遠慮なくわしの頬を力一杯つねりあげる。

「いだだた…」

「明日からもせいぜい稼いでくださいね社長」

「わかったわかった、降参じゃき!」

自由になった頬は、腹の傷よりもよっぽど疼く。





くたびれた夜がもたらす、くだらない言い合いの末で、本当にひとりぼっちなのは一体誰なのか。

答えが何であれ、彼女に縋った時点で今夜もまたわしの負けだ。









A Hard Day's Night



   

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