【赤の行方】 どうせなら、本物がいい。 真紅で滴る、その一粒が。 醜女が好きだ。 どれだけ変わった趣味だと叩かれようが、これだけは譲れない。 美人は三日で飽きる、ブスは三日で慣れるとはよく言ったもので、完璧なものには面白みも深みも感じられない。 大体、女なんていくらでも化ける生き物だ。 髪型や化粧、服装一つでイメージなんていくらでも変えられるし、何より綺麗な女はロクなことを考えちゃいない。 そんな持論を長々と語れば、大抵の女は憤慨したり落胆したりして俺から離れていく。 だが、そのほうがいいと笑った奴がいた。 『可愛い子に興味がないんでしょ?なら私は絶対に襲われないってことだし、安心じゃない?』 そう言って隣の部屋に越してきた女は、今俺の目の前で醜態を晒している。 俺の部屋のコタツに入り、寝癖も直さずに我が物顔でぐうたらする女。 コイツが俺のお隣さんだ。 元々は同じ会社の同期で、倒産をきっかけに俺は個人で仕事をするようになり、この女は夜の仕事を始めた。 女のバイト先は俺の馴染みの店で、客と店員としての再会にうんざりしたのを今でも覚えている。 所謂普通のキャバクラではなく醜女が集う一風変わった店で働くコイツは、どう見ても周りから浮いていた。 顔は悪くないのだからせめて普通の店で働けと言えば、就職先が見つかるまでのバイトだから変える気はないと言い張る。 変わった奴だ、できれば関わりたくない。 そう思った矢先に隣の部屋へ引っ越してきて、隣人が俺だと知ったときの第一声がアレだ。 自意識過剰にも程がある。 おまけにコイツはやたらと馴れ馴れしく、メシを作れば食べたいと喚き、部屋を散らかしては俺を呆れさせていた。 「コタツを背負って生活するのはアリかな?」 「ないな」 「服部は夢がなさすぎるよ」 「現実主義ってことだろ」 つまらない話をしながらコタツに入りだらだらと過ごす、それが今年の冬の定番だ。 漫画雑誌を読んでいる俺と、緑茶を飲みながら煎餅を食べたり蜜柑の皮を剥いたりするコイツ。 まるで老夫婦のような構図だが、特に違和感や不満があるわけでもない。 「ねぇ、服部」 「あ?」 「見てこれ、凄くない?」 「何が?」 「ほら」 あまりにも嬉しそうなコイツの口調につられて視線をずらせば、コタツの上には平たい箱が一つ置かれていた。 乱暴に包装紙を破くコイツの表情は、明らかに浮かれていてだらしない。 品のいい紺色の箱を開けると、そこには宝石を並べる丁寧さでチョコが敷き詰められていた。 トリュフやガナッシュなどはどれも見た目が違い、それぞれの味が想像される。 俺の顔とチョコレートを交互に見比べたコイツは、ニヤニヤと節操ない目つきをした。 「今日はバレンタインでしょ?」 「そうだな」 「だからチョコレートを買ったんだ、高いけど奮発しちゃった」 「ふーん…」 「あ、服部の分じゃないけどね。これは全部、自分用。」 ならここで開けるなよ。 そんな文句を言うより先に、コイツの指は小さなトリュフを摘み上げた。 粉砂糖が零れないよう慎重な手つきでトリュフを食べる姿はそこそこ可愛いのに、その性格が全てを台無しにしてしまう。 バレンタインにこんなところでぐうたらして、男にチョコを見せびらかしては一人楽しむ。 こんな女に惚れる物好きは、はたして存在するのだろうか。 「オマエはもう帰れ」 「えー?」 「俺は明日早いんだよ、またコタツで寝て風邪引いても知らねーぞ」 「チョコあげないからって拗ねなくてもいいじゃん」 「拗ねてねぇし、俺もチョコは準備した」 「…誰に?」 「オマエの店の連中に、俺特製のブラウニーだ」 「何それ、聞いてないよ?」 「明日渡しに行くからな」 週末のほうが店に長いこといられるだろ、と一日遅れのバレンタインについて説明すれば、コイツの手は動きを止めた。 その目はブラウニーをよこせとばかりに生き生きと輝いている。 「オマエも店で食え」 「今食べたい」 「こんな夜中に食ったら太るぞ?」 太るという単語で露骨に躊躇ったコイツは、小さく唸りながら項垂れた。 夜も遅く、そろそろ眠らなければ二人共明日が辛いだろう。 「服部がモテない理由がわかったよ」 俺の悪口をぶつぶつ言いながら、コイツはようやくコタツから抜け出して重い腰を上げた。 机の上に置きっぱなしになっているチョコレートが、主人の手から離れたせいかやけに寂しげに見える。 自業自得だというのに、コイツの背中が不憫に見えてしまう俺も大概だ。 「おい」 帰ろうとする後ろ姿に声をかけ、ソイツが振り向いた瞬間、近くにあった小さな紙袋を投げた。 「ちょ…っ、何?」 突然とはいえ、コイツはきちんと紙袋を受け止める。 これくらい簡単に意思の疎通ができたらどれほど楽かと思いながら、俺は紙袋の中を見るように促した。 「開けてみろよ」 「…これって」 「食いたいんだろ?」 紙袋からそれを取り出したコイツは、薄いペーパーをほどいていく。 中身は食べやすいように細長くカットしたブラウニーで、言うまでもなく自信作だ。 「いいの?」 「食い物の恨みは怖いって言うしな」 「…やっぱり服部はモテるかもね」 「つまらないこと言ってないで、明日食えよ」 「はーい」 玄関先でひらひらと手を振るソイツは、ドアを開けながら機嫌よさそうに笑った。 「チョコは一粒だけ服部にあげる、好きなの食べていいから。」 「そりゃどーも」 素直に喜ぶには程遠い言葉を残してドアが閉まり、部屋の中は急に静まりかえった。 「一粒だけ…ねぇ」 首を傾け、コタツに入ったまま敷居が高そうな箱の中身を眺めてみる。 決して甘党なわけでもなく、高級チョコに興味があるわけでもないが、それでも何か食うべきだろう。 深く考えずに、箱の真ん中に位置していた真っ赤なハート型のチョコを手にする。 小さめのそれはつやつやと色鮮やかな赤で染められていて、一口で食っちまうのが勿体ないほど綺麗だ。 そっと口づけるように食べれば甘酸っぱさが広がり、苦みが舌の上でいつまでも余韻を残している。 「…後引くな、」 引きずってしまうのはこの味か、それとも別のものなのか。 そのまま仰向けに寝転がってみれば、喉の奥まで辿り着いた甘さに心底酔ってしまいそうな俺がいた。 Fin たった一つを求めて止まないこの心臓。 |